「知識がないなら思想を語るな」?
(知識がないなら思想を語るなという意見に対し)
私は、知識の多寡で思想を語る資格を云々するのはおかしいと考えています。本を全く読まない方でも素晴らしい人生哲学を磨いてらっしゃる人がいて、私はそういう人の話を聞くのが大好きです。ツイッターでは「こんなことも知らないのか」とマウントとろうとする人がやたら多いですけど。
誰もが自分の知らない世界を持っているものです。私は青椒肉絲が大好きですが、今日YouMeさんに教えてもらうまで、醤油とオイスターソースとゴマ油で味を再現できることを知りませんでした。人間知らないことばかりだなあ、教えてもらうことばかりだなあ、と思います。
人間は結局、全ての知識を手にすることなく、手持ちの知識から「仮説」を紡ぎ出すしかありません。人間は生きてる最中だから、何らかの決断を下さねばなりません。その目安としての仮説は抱かざるを得ません。全てを知ってから、なんて悠長なことをしていては、人間は生きていけません。
あくまで正解ではなく、仮説でしかないという自覚さえあるなら、私は全知識を持たずともいろんなことを考え、判断し、発言して構わないと思います。一つだけ条件を満たせば。仮説に過ぎないのだから、新しい知識を仕入れたらアップデートする、ということを受け入れることです。それさえあるなら、
未熟で構わない。知識が不足していても構わない。いや、そうするしか人間は生きようがないのだと思います。
なのにどうしたわけか、ツイッターでは「こんなことも知らない無知な人間は黙れ」と平気で言います。その言葉はそのまま自身に跳ね返るというのに。自分も例外ではいられないのに。
私達はみな、不完全な知識で仮説を立て、それっぽいと思うやり方で生きています。そうするしかない。ただ、日々改善を願いながら生きていくことができるだけ。誰かを変に説教したり、黙らせようとしたりするのはちと違うかな、と思います。