相手が知的傲慢だと産婆術は弁証法(論破)に変わる
「関係性から考えるものの見方」(社会構成主義)、たぶん第24弾。
ソクラテスといえば、プロタゴラスやゴルギアスなど、古代ギリシャで天才と言われた人たちを「論破」した人物として知られている。恐らく当時の人もこの「快挙」に驚いたし、後世の人も「自分も論破の天才になりたい」と思ったかも。
でも、「論破」のところをマネすると、いけ好かない人物が増えるだけに終わる。実際、「論破」された恨みを買ったためにソクラテスは死刑宣告を受けたと言ってもよいように思う。もし「論破」だけマネする人が増えるなら、ソクラテスは有害な方法を残した人物、ということになる。しかし。
ソクラテスのこうした一面だけをクローズアップするのは、ソクラテスがちとかわいそうに思う。ソクラテスの真価は「論破」(弁証法)にはないように思う。もしソクラテスがそれだけの人物だったとしたら、若者にあれだけの人気を誇ることは難しかっただろう。
ソクラテスが若者に人気だった理由、それは「論破」(弁証法)ではなく「産婆術」だったように思う。
「饗宴」というプラトンの初期作品では、アルキビアデスというアテネいちの人気アイドルが登場し、ソクラテスのそばから離れようとしない様子が描かれている。
なぜそんなに若者から人気があったのか?ソクラテスは若者に説教してたのだろうか?いや、むしろ逆。ソクラテスは若者から話を聞きたがった。「ほう、それはどういうことだい?」「ははあ、ではこうしたことと合わせて考えるとどうなるだろう?」と問いかけ、若者に答えてもらった。
若者はソクラテスから問われるものだから一所懸命考えて答える。するとソクラテスがさらに問う。これを繰り返すうちに、若者は思考が刺激され、それまで繋げて考えたこともなかったことがつながり、新しいアイディアが湧く。自分が知恵者になったかのように。それが快感でたまらなかったらしい。
問いかけることで思考を刺激し、新しい知が生まれるのを手助けする。この技術をソクラテスは「産婆術」と呼んだ。ソクラテスは産婆術の名手だった。だから若者から人気だったのだろう。
恐らくなのだけど、ソクラテスはプロタゴラスやゴルギアスなど天才たちを「論破」するつもりはなかったのではないか。若者たちに対するのと同じように「産婆術」をしようとしていたのではないかと思われて仕方ない。なのに彼ら天才に産婆術を施そうとすると、「論破」(弁証法)になってしまった。
それは、彼ら天才が「知ったかぶり」したせいだと思う。ソクラテスは、話を着実に進めようとするのだけど、プロタゴラスら天才は言葉の洪水で押し流してごまかそうとする。そのつどソクラテスは元の場所で戻って、「これを確認しましたね、では次」とやった。この方法だと。
天才が知ったかぶりをして、それを言葉の洪水で押し流してごまかそうとしてるだけなのがバレてしまった。天才の知ったかぶりが「産婆術」を「論破」(弁証法)に変えてしまったのだろう。
もし若者のように自分の無知ぶりを自覚し、謙虚であるならば、ソクラテスの問いは「産婆術」となる。傲慢で、自分は天才だというフリをしようとした場合は、その無知ぶりを暴き立てる弁証法となる。ソクラテスは何も変わっちゃいない。知ったかぶりするからおかしくなるのだろう。
なぜか現代に至るまで、自分を天才になぞらえ、何でも知ってるフリをしなきゃいけない気がしてる人が少なくない。けれど、産婆術が成立し、新しい知を生み出すには、互いに謙虚で、自分の限界を弁えておく必要がある。
なぜ知ったかぶりをすると、相手を論破せずにいられない「弁証法」になってしまうのだろう?それは、「自分だけが知恵者、相手は愚か者」という「関係性」に持っていこうとする「無理」があるからだろう。その無理がたたって、産婆術は弁証法に化けてしまうのだろう。
産婆術は対等な関係性の中で成立する。対等な関係を認めようとしない人間には「弁証法」に変化し、その化けの皮をはいでしまう。ソクラテスの「産婆術」(≒弁証法)は、民主主義を生み出す画期的な技術だったのかもしれない。
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