相部和男「問題児は問題の親がつくる」抜粋
子供の前に立って「あれはいかん! これはダメ!」と是非善悪を決めつけるのではなく、もっと子供の後ろに立って、子供の中にひそむ善なるものをみつめるようにして下さい。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.120
私は「先回り」ではなく「後回り」を推奨するけど、本書からそれを学んだらしい。
母の手一つで苦労して育てたのに・・・親を殴るなんて・・・、というご不満や腹立ちが、潜在意識の中にいつもあると思いますが、恩着せがましい気持ちはみじんももってはなりませんよ。わが子によっていろいろと勉強させてもらえてありがたい、という謙虚な心がいつも底流になくてはなりません。p.120
母親は、その後子供の後ろに立つようになり、夕食後は母子の会話の場をもつようにした。つっぱっていた昌子も、しだいに母親に接近するようになり、高校一年中退後の自らの身の処し方として、就職したいと言うようになった。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.121
お父さん…。教育というのは、高い所にとどまって子供を引っぱり上げるのではなく、子供の線まで下りていただいて、苦楽を共にしながらだんだん子供も親とともにまっていくというのでなくては、子供は親から離れていくばかりですよ。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.141
勉強せい!と常にがなりたてているころは勉強しようとしなかったのが、子供の後ろに立ったとき、自ら勉学に打ち込むようになったのである。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.143
溺愛が生んだ結果です。
溺愛 わがまま→ →口やかましく叱る→暴力→家出·········ここまでさせてしまいました。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.145
これからは、子供の前に立つのではなく、子供の後ろに立つことです。
同じ後ろに立つのでも、二つの立ち方があります。どうにでもなりやがれと後ろに立つのと、子供の中にひそむ善なるもの、無限の可能性を信じて後ろに立つのとでは、子供に加えられるエネルギーというものは、まったく異質なものになります。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.149
母親は、
「まだタバコ吸っているんでしょ!」
と、いつも先まわりして叱っていたのが、先まわりをしなくなった。ある日、夕食後、
二階にある三郎の部屋に母親が行ったとき、
「お母さん…。 これ要らないよ」と言って、ベッドの下から、タバコの吸い殻の入った空き缶三つをさし出した。
p.152
「先生に面接していただくと、こうも息子が変わるものかと、不思議な感じがいたします」
と言われたので、
「いや・・・それはお母さんが変わられたからですよ・・・自信をもって、今後とも子供の後ろに立ってあげなさい」
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.152
今までは、子供の前に立っていつも取り越し苦労をしていましたが、少しずつでも子供の後ろに立つことができるようになりました 。
(中略)
今までの私なら、きかれないことまで先走って話すのですが、本人がきいてきたことだけを答えることができるようになってきました。
p.153
急いではいけない!
構えてもいけない!
待つことだ!
祈ることだ!
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.157
よく「友達が悪いから、うちの子は悪くなったのだ」と言う親御さんがいるが、悪友ができるのは、引き寄せる磁石が自らの心の中にあるから、〝類は友を呼ぶ〟で、悪友が寄ってくるのである。三郎の心の中に悪友を引き寄せる磁石がなくなったから、昔の悪友は遠ざかりだしたのである。
p.158
こうした事例を見ると、ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」の著者は間違った認識をしているな、と思う。ハリスは「娘がグレたのは親の私のせいじゃない」と言い訳を繰り返してるけど、果たしてそうかな?と。
「勉強しなさい!!勉強しなさい!」
母親がわめきちらしているときは、勉強などいっこうに見むきもしなかったのが、いつのまにか三郎は、机に向かって勉強するようになった。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.159
ところが、母親はここで欲がでてきた。せっかく今まで子供の後ろに立っていたのが、このときまた子供の前に立ったのである。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.160
また待つことにしました。
私は三郎を愛していながら、自分中心の愛で縛っていたのではないでしょうか。
私は三郎のおかげで、いろんなことを体験させてもらい、今では、わが子に”ありがとう"と言いたい気持ちです。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.163
親は正しく、まじめなだけでは駄目である。それだけでは子供は息がつまってくる。
親は、いつも明るくユーモアがなくてはならない。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.166
困難にぶちあたったら、涙をこらえ、歯をくいしばってそれに耐えよと育ててはならない。困難は、戯れることによって楽しく乗り切っていくものだということを、幼児期のころから体験づけていく必要がある。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.169
たとえ、立ったまま挨拶したとしても、挨拶するその気持ちを大切にしたいものである。
挨拶のしかた一つにしても、一定の型にはめるべきではない。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.175
このようなとき、親は絶対に交換条件を出さないことである。
「音楽会に行きたいのなら、あしたはテストなんだから、必ず帰ったら勉強しなさいよ」
なんて言ってはならない。
教育にクドイのは禁物である。それは親の子供への不信と、取り越し苦労以外の何ものでもない。
p.176
恩着せがましいコトバは絶対に吐くべきではない。
よく「成績がよくなったら、ステレオを買ってあげる」とか交換条件を出して勉強させようとする親が多いが、交換条件を出さなくても子供は勉強するものである。
子供を信じれば、子供は必ずそれに応えてくれるものだ。
p.177
私は、公太郎の通知簿を見るときは、公次郎のいないところで、
「ようがんばったな……。またがんばろうな」
とほめてやった。
公次郎には、公太郎のいないところで、通知簿を見せてもらい、
「ヤア......ようがんばったな」
と言って、頭をなでてやった。
p.182
小さいときから、劣等感さえ植えつけなければ…。自信をもたせておけば…。
いつかは、必ず芽が出るものである。そして、成績よりももっと大切なものに 親は目を向けるべきである。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.183
「勉強せい!勉強せい!」
とがなりたてると、摘出困難な劣等感という塊ができる。それは癌細胞よりもたちが悪く、その子の一生をめちゃくちゃにしてしまうことだってあるのだ。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.184
新しい環境に適応できない子供のほとんどは幼児期に溺愛されているので、トレランス(耐性)が低いという特徴をもっている。
相部和男「問題児は問題の親がつくる」p.186
私は、二人の子供の二歳ころまでは、障子は思いきり破らせた。別に奨励してやらせたわけではないが、叱ることはしなかった。障子を指で押せば穴があく。 ひっぱってみると音がして破れる。襖にはいつのまにか、クレヨンの線画がみごとに描かれていた。子供は研究しているのである。
p.195
障子の手の届くところは全部破られてしまった。 手の届かないところはご安泰であったが、しばらくすると、物を投げたり、棒でつついたりして、高いところでも破ることができることを覚えた。妻は、破れ障子を前にため息をつきながらも、子供が新しいことを発見したことを喜んでいた。
p.195
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