良識破りは国民の自由を損なう
私は「良識」という言葉があまり好きではない。ただ、立花氏のような「良識」破りが出てくると話が違う。法律というのは本来、「良識」に支えられることで細々書かないことを前提にしている。しかし法律に書かれていないことを逆手に取って良識破りをする輩が出てきた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/898ab7fe55aa8966a9627d4373c9f31c1484b4a9
良識破りが出ると何がマズいのか?法律が細かくなるから。法律は本来、国民の自由が最大限担保されるように、「これだけはやったらアカンよ」ということだけを記載するにとどめている。「いくらなんでもそんなアホなことをする奴はおらんやろ」という前提で組み立てるのが法律。なのに。
良識破りをする人間が出てくると、そういう輩を取り締まる必要が出て、法律で縛る必要が出る。しかしこれをすると、国民の自由も同時に奪われてしまう。そう、良識破りが最悪なのは、国民の自由を奪う方向に社会を動かしてしまう点。法律に書かれていない自由を乱用することで自由を損なう点。
では、なぜ良識破りが現れるようになったのだろう?良識という名の常識を破る人間をたたえる社会的風潮が出ているからだろう。「その手があったか!」と、その意外性、新規性をヤンヤとたたえる空気が、今の社会の中にあるということなのだろう。だから、良識破りが現れるのでは。
ではなぜ良識破りをたたえる空気が出てきているのだろう?二つほどあるような気がする。恥を恥と思わなくなったこと、そして現状の閉塞感に不満があること。
もし昭和のバブルが崩壊する前に立花氏のような人物が出てきても、誰も相手にしなかっただろう。恥さらしと思われるだけがオチ。
人間、こうしたことはしないものだ、という良識がしっかりしていて、恥を恥と思う社会である場合、立花氏のような言動をする人物が出ても、たたえるような空気にはならなかったように思う。私たちの社会はちょっと、「恥」を忘れ始めているのかもしれない。
もう一つ、閉塞感というのは厄介。日本は少子高齢化で、経済が今一つの状態もずっと続いている。何か打開策はないか、という不満がたまっているところに、何の役にも立たないのだけれど、良識という名の常識を破る人間が出てくると、疑似改革気分を味わえる。
立花氏は、そうした空気の変化を敏感にかぎ取り、実践して見せる人物なのだろう。立花氏に出会った堀江氏や橋下氏は「賢い人物」という印象を持ったという。なるほど、クレバーな人物なのだと思う。ただ、クレバーという単語には「ずるがしこい」という意味もあるらしい。
立花氏の厄介なのは、良識破りの自由を乱暴に行使することによって、国民の自由を損ねる行動に出ていること。これは国民にとって大きな損害。彼の打ち上げる花火に一時の快を感じてもてはやす社会の状況、なんとも残念な気がする。相手にしなきゃいいのに。