同じ教室での習熟度別学習
日本の学校は大概、一斉授業。で、ついていけない子が出る。そうした子も指導できるように、そしてもっと前に進める子は前に進めるように、習熟度別学級を進めるべき、という意見もある。しかし私は、同じクラスに身を置きながら習熟度別学習は可能だと思う。
うちの子どもたちが通うそろばん塾は、まだ小学校低学年なのに段位持ちの子もいれば、中学生になってから習い始めた子もいる。同じ教室に身をおいて、それぞれが自分の級や段を上げようと努力している。進行具合は様々なのに、同じ空間で学んでいる。
これはそろばんだけでなく、どの教科もできるのでは?今は子ども一人ひとりにタブレットが支給されている。授業の動画もかなり充実しているらしい。それぞれの子が自分の進度に合わせて各自学習は叶だと思う。
先生は一斉授業するのではなく、それぞれの子どもの進捗具合を確認し、時折アシストするという指導法が可能なのではないか。こうなれば、分からないところがあってもそこまで立ち戻り、やり直し、しっかり理解してから次に進むということが可能だと思う。
先生は「お、ここまで進んだのか」と、昨日までと違う「差分」に気がつき、それを言葉にして伝えれば、子どもは自分の成長を実感できて楽しくなるだろう。この場合、その子は自分の進度が遅れているかどうか気にしなくていい。自分が着実に理解し、成長していることを実感し、学ぶことを楽しめば。
こうした学習スタイルを実験しているところはあるのだろうか。もしそういうところがあるなら教えてほしい。問題点が有るならそれも伺いたい。
私が習熟度別学級に分けることに違和感があるのは、自分は優れた人間だと思い上がる人間を生み、弱者への思いやりに欠ける人間を生みかねないことと、逆に自分は劣った人間だとレッテル貼られたことに嫌気が差し、学習意欲を失う子どもを増産しかねないことが懸念されるから。
私は、大器晩成ということが大いにあり得ると思う。私の指導した若者の中には、5歳になる迄言葉を話さず、成人しても喋る日本語支離滅裂だった者もいる。けれど旧帝大の博士号をとり、今は大学の先生に。何がどうなるかわかったもんじゃない。
だとすれば、進度が遅いからといって変に劣等感を植え付け、学習意欲を損なうのは社会的損失になる恐れがある。学習を楽しみ、本人のペースで魔男でいけば大器晩成するかもしれない。そうした可能性を捨てずにいられるようにする学習スタイルがよいように思う。
たとえ学習進度が違っていても、同じクラスに同じ年齢層の子が集まれば、休み時間に似たような体力の子たちが一緒に遊べる。似た年頃の子ども達が交流できるというのは大切だと思う。飛び級制度で大学生になった少年は、あまり大成していないという。友人がいないためだ。
ならば、同じ年頃の子たちが集まり、友人となる機会は破壊しないほうがよいだろう。しかし全員を同じ進度で学習させるのは、ついていけない子には苦痛。ならばタブレットでそれぞれの進度に合わせた学習を、同じ教室で行ってもよいように思う。