野菊の墓、伊豆の踊子、舞姫、マドンナたちのララバイ・・・男に都合のよいストーリー

結婚する前、今のYouMeさんに「中学生の頃『野菊の墓』を読んで感動した」と話したら、「男に都合のいい話よね」と言われ、雷に打たれたように衝撃を受けた。確かに!目からウロコが!YouMeさんに畳みかけた。「じゃあじゃあ、『伊豆の踊子』や『舞姫』は?」「優柔不断な男と身勝手な男」

ウロコ!

「岩崎宏美の『マドンナたちのララバイ』は?僕は名曲だとばかり思ってたんだけど?」
「あー、女性の側も、男性に対して聖母マリアみたいな存在にならなきゃ、って呪いは確かにあるわね。そうしなきゃいけない、って、私も古い世代だからそう考えがちだもの」
うわあ、ウロコが!ウロコが!

このように、私はYouMeさんと結婚するまで、相当に古い考え方(男にやたら都合のよい考え方)をしてることに無自覚だった。YouMeさんのおかげでアップデートする必要を痛感することになったのだけど、まあ、元々古いOS搭載だから、バグが見つかる見つかる。まだあると思う。

それ以来、YouMeさんを師と仰ぎ、女性から見てこれはどう見えるんですか?と教えを請うことしばしば。「私が女性代表と言えるのかどうかは考えものだけど」と前置きしつつ、私の想像を超えた回答がいくつも返ってきた。私はその都度、思考のアップデートを余儀なくされることになった。

「野菊の墓」を読んだことのない方のために、私なりに解説しよう。伊藤左千夫によるこの作品では、主人公が下働きしてる女の子から一方的に惚れられる展開に。しかし中途半端で煮えきらない主人公の態度が続き、その女の子は別の人のところに嫁に出されるのだけど、主人公からもらった品を胸に抱いて死にました、という話。そこまで主人公に惚れてたのか!という、主人公に非常に好都合な物語となっている。男の願望丸出し、と言われても仕方ない面が。
「伊豆の踊子」は、主人公の学生が、旅芸人の女の子からどうしたわけか一方的に惚れられるという物語。しかしこれも主人公の態度が煮えきらない。

森鴎外「舞姫」に至ってはひどいの一言で、妊娠までさせた外国人女性を主人公は受け入れず、発狂させてしまうという物語。
しかし「野菊の墓」や「舞姫」は昭和の昔、アイドルが主人公を演じる定番の映画だったし、「舞姫」は高校の教科書にも載っていたので「名作に違いない」と思い込もうとしていた。

「マドンナたちのララバイ」は「トップテン」という歌番組で出てくるくらいだから名曲に違いない、と私は思っていた。そうした世間の「常識」に囚われず、自分なりの解釈をしていたYouMeさんの独創性に驚いた。が、YouMeさんによると「女友達の間ではそういう話になってたよ」
そうなんや・・・

このことはよく考えてみた方がよいように思う。明治から昭和(平成、令和も?)に至るまで、男性に都合のよいストーリーが社会のOS(常識)になっていたということ。だから、女性でさえ、その当時はその常識に沿った考え方、行動をとらざるを得なかったのだろう。容認せざるを得なかったのだろう。

これが可能だったのは、経済の主導権が男性に独占されていたからだろう。女性が生きていくには結婚し、男性に付き従うという生き方しか道がない、という社会構造になっていた。それしか道がない以上、選択肢はなかった。

これが変化してきたのは、経済の重心が男性から女性に移ってきたからだろう。いまだに会社の幹部は男性だらけだが、消費の中心は男性から女性に移りつつある。少なからぬ男性が、出張先でも牛丼やコンビニで食事を済ますのに対し、女性は「せっかくだから」と名物を食べたりオシャレなカフェに寄ることが多い。

男性は腹がふくれればそれでいい、と、安いものに手を出しがちなのに対し、女性は「どうせなら美味しいものを、雰囲気のよいお店で」と、それなりの対価を払う気がある。
こうした消費行動の違いから、飲食店も女性に人気の出そうな内装とメニューを心がけるようになっている。

こうした経済的重心の変化が、「男性に都合のよいOS」のアップデートを求められることにもつながっているのだろう。
しかし、多くの男性が古いOSをインストールされてて、更新ができていない。更新の必要性さえ気づいていない男性も少なくないのかもしれない。

私はYouMeさんとの出会いにより、少なくともアップデートの必要性を痛感することになった。まだバグはあると思うが、そこは気づいたところからパッチを当てていくしかないと思っている。

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