人類は「IPM」から学べるか?
昔の農業は、農作物を食べる虫を害虫とみなし、農薬で皆殺しにしようとした。化学農薬は当初著効を示し、絶滅に成功するかに見えた。しかし害虫も生きとし生けるもの。なんとかして生き残ろうとする結果、農薬に対して耐性を持った。このため、農薬をいくらかけても死ななくなった。
ならば新しい農薬を、と、新たな効果を示す化学農薬を開発したけれど、やはり耐性を持った。新しい農薬、新しい耐性虫のイタチごっこ。結局、農薬で害虫を皆殺しにすることはできず、どんな農薬を使っても害虫を抑えることはできないことを認めるしかなくなった。
現在、農業分野では、害虫を皆殺しにしようとすることを諦め、害虫と程よく付き合いながら被害を最小限にするIPM(総合防除)という考えにシフトしている。農作物を網で囲う、白い布を貼って太陽が上なのか下なのか撹乱して農作物に近づけなくする、など、農薬以外の方法を駆使。
化学農薬はなるべく使わず、それ以外の方法を動員して害虫による被害を食い止める。そうした思想に切り替わっている。絶滅させようとするから耐性虫が現れ、どんな農薬も効かなくなる。かえって被害が大きくなり、抑えられなくなることを、農業は経験から学んだ。
しかし人類は、農業の体験からまだ学ぶことができていないらしい。イスラエルはガザ地区の人々を絶滅させんばかりの行動を繰り返している。もしかしたら絶滅させて構わない、と考えているのかもしれない。この行動に移るきっかけとなった、いきなりの襲撃と人質を取った勢力への怒りは理解できる。
ただ、相手を害虫のようにみなし、皆殺しにしようとすれば、相手は深い恨みを胸に抱く。その恨みは、あらゆる攻撃を耐え忍び、何としても復讐しようという情念に火をつけることになるだろう。そうなれば、決して絶滅させることはできない。一時的に勢力は小さくなっても、後で抑えはきかなくなる。
そもそも、農業でも、特定の虫を「害虫」とみなし、絶滅させても構わない、農作物を守ることは「正義」だ、と考えたことが傲慢だった。虫も人も、命であることにかわりはない。一方の命が他方の命を殲滅させようとしたところに、すでに間違いがあったのだろう。
IPMでは、害虫も命であることを認め、生きることを認めることから発想する。害虫が生きられる場所をなくそうとせず、互いに共存できる道を探る。その上で農作物の被害を最小限に抑える道を探る。農業は、もはや害虫を全滅させようとする思想を持たない。では、イスラエルは?
ガザにいる人達は害虫ではない。人だ。同じ生きている人間だ。しかし歴史的経緯から憎しみ合う関係となり、力の強いイスラエルは、ガザの人々を「害虫」とみなし、絶滅させても構わない、と考えているのかもしれない。しかし。
ジェノサイド(特定の民族を皆殺しにする)をしようとしても、必ず復活してくることは、ユダヤの人々自身が経験しているはず。なのにガザ地区の人々に対してジェノサイドを実行しようとしているように見える。自らの体験から学んでいないように思われる。もちろん、収まらぬ怒りがあるからだろう。
けれど、絶滅主義は成功することがない。むしろ時間をかけて、もっとひどい事態をもたらすことになる。人間関係も、IPMのような発想が重要。自分も相手も命であり、生きようとする生き物。互いが共存し、被害を与え合わない関係性を模索する必要がある。
残念なことに、イスラエルは、憎しみの火に油を注ぐ指導者を抱えていること。どうやら彼は全滅主義らしい。彼はイスラエルの英雄でいる気分かもしれないが、後にイスラエルに最悪の災厄をもたらしかねない。そのことに、ネタニヤフ氏は気づいているだろうか。
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