オープンマインドという「テクニック」
その子は多動の傾向が強かったが、心があけっぴろげで、私は気に入っていた。このまま大人になると面白いけどなあ、と思っていたが、案の定、思春期に入ると引っ込み思案になり、オズオズするようになった。どうも思春期に入ると、他人の目が気になるお年頃となるらしい。
うちの娘もあけっぴろげで、大人には警戒を怠らないけれど、公園で小さい子を見つけると果敢に仲良くなろうとし、実際仲良くなってしまう。相手が戸惑っていても頓着せずに声をかけ続けることで、やがて相手も心を開いてしまう。最後は互いに名残惜しそう。「また遊ぼうね!」大したものだなあと思う。
娘も思春期になると人目を気にするようになり、引っ込み思案になるのだろうか。すぐ人と仲良くなるこのオープンマインドなアプローチは、娘の最大の長所でもあり、強みだと思う。思春期を超えてこの強みを維持できたらなあ、と私なんかは思う。
大人でこうしたオープンマインドな人は稀有だけど、いないわけではない。私の友人で大変あけっぴろげな人がいる。とある刑務所で外国人の囚人のための通訳をしてるのだけど、囚人からも刑務官からも大変信頼されてる様子。相当の暴れ者がいるのに、その人には乱暴しないらしい。スゲー。
よほど人の心をつかむのか、フェイスブックでは友達を制限するありさま。この人がSNSやったら、私なんかと比較にならないほどのインフルエンサーになるだろうな、と思うけど、この人は日常が充実してるから人に知られたいと思わないらしい。直接出会う友人で手一杯。ひっそりと隠居したいという。
どうも子どもの頃からそうらしい。ということは、大人になってもオープンマインドは可能なのか。
私は大人になってから、テクニックとしてオープンマインドを身に着けたけど、生まれ持ってのオープンマインドは最強。最強なんだけど、技術化してないと失いやすくもあるらしい。
ところでオープンマインドとは、一体どういう状態のことなのだろう?普通の人は、初対面の人と出会うと身構える。慎重になる。これが筋肉の緊張や表情のこわばりとなって表れるらしい。すると相手も警戒してしまう。心を閉ざしてる印象を与えてしまうのだろう。
しかしオープンマインドの人はいい意味で力が抜けている。初対面の人と対面しても筋肉も表情も緊張した力が入らない。そして「相手と仲良くなれる」ということを疑わない。しかし他方、相手から嫌われても「ま、仕方ないね」と動じない、こうした様子が相手に伝わるらしい。
オープンマインドは、ある意味「度胸がいい」とも言えるらしい。でも勇気があるというわけでもなく、危険を察知しそれを避ける力もある。ただ、他者に対して、人間に対して信頼があるらしい。そうそう乱暴なことはしない、と。自分がどう振る舞えば相手は乱暴しなくなるという呼吸をどこかで心得てる。
呼吸といえば、昔こんなことがあった。道案内したのをきっかけに韓国人留学生と仲良くなり、大阪の小さな居酒屋で飲んでると、明らかに暴力団の男が店全体に響く大声で「わしゃ、朝鮮人が嫌いじゃ!」と繰り返しわめいた。友人は席を立ち、そちらに向かおうとするので、私は必死に止めた。
ところが笑顔で目配せするので、何か考えがあるのかと手を離すと、その途端にヤクザに向かって「あなた、気に入らないね!」と距離をつめた!すわ、ケンカになる!と思ったらヤクザの隣にドカンと座り、「ママさん、ビール!」。ビールをヤクザのコップに注ぎながら「あなた、気に入らないね!」
すっかり距離をつめられ、ケンカとなれば自分も無事に済まない状態にされながら、はっきり「気に入らないね」と言われつつ、でもビールをついでくれるという親愛の情も示されるという複数のことが起きてヤクザもドギマギ。その動揺を隠すためか、「わしゃ朝鮮人は嫌いじゃが、お前は気に入った」。
するとヤクザにガバッと抱きついて、「これでトモダチね!」突然ハグされたヤクザはもう度肝を抜かれて、なんとか体裁を保つために友人の肩を叩いた。友人は私にウインクしながら笑顔で戻ってきた。
私は、わずかな時間で起きたこのドラマにあっけにとられてしまった。
もし韓国人のその友人が、明らかに敵対する姿勢、表情をしていたら、こうした結末は迎えられず、ケンカになっていただろう。しかし友人は、ヤクザの予想を超えて「心を獲る」ことができると踏んでいたのだろう。それができなければできる芸当ではなかったように思う。
一つには、その友人はテコンドーの使い手で、ケンカになっても自信があったのもあるかもしれない。昔、女性を強盗から守ろうとして腹を刺されたことがある、という経験も生かされたのかもしれない。度胸がいいからできたことだと思う。
オープンマインドを示す言葉に「赤心を推して人の腹中に置く」というのがある。赤ん坊が親に対してあけっぴろげに心を開いて見せるのと同じように、心をそのまま相手の腹の中に放り込むような度胸を示す言葉なのかもしれない。なんとなく、これにどこか近いような気がする言葉がもう一つある。
「窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さず」という言葉。人間て、懐に入られたら、少し距離がある時と違って受け入れる心理が働きやすいらしい。オープンマインドとは、相手の懐に入ってしまうこと、心を閉ざすとは、距離を置こうとすること、なのかもしれない。
歴史上の人物でオープンマインドの使い手としては、吉田松陰が有名。野山獄という牢獄に放り込まれた時、なんと、囚人たちと一緒に学び始める、一種の塾と化した。これは松陰が心を自分から開いて見せる名人だったからだろう。これが松下村塾で塾生たちを育てるときに役立った。
私も、ややもすれば心を閉ざし、人に距離をとろうとしてしまう。まあ、これはこれで楽なので、わざとそうするときもあるのだけれど、必要な時にオープンマインドでいられる自分でもありたい。テクニックとして、オープンマインドは身に着けたいと思う。
昔、ウィンドウズのパソコンでアップルのOSを動かすことを「エミュレート」(模擬)といったけど、オープンマインドをエミュレートできたらなあ、と思う。私自身はもともと心を閉ざす人間だけれど、オープンマインドをエミュレートできたら楽しいだろうな、と思い、修行している毎日。