業界の慣行を変えることを被害者に頼るのはいかがなものか
(被害者が中居氏を許せないのであれば示談に応じるべきではなかった、という意見に対し)
そういう人多いですけど、私はそうは思いません。示談に応じず裁判になれば、それだけ神経をすり減らすことになります。被害を受けた上になぜそんなしんどいことをさらに引き受けねばならないのか。被害者なのに。その点に想像力を働かせられない人の多いことに、私はいささか驚いています。
今回のことは、当事者だけの問題で片付けてはいけない構造的な問題がある、と感じてる人が多いです。これを機会にそれをただすことが望まれますが、被害者にその戦いを挑めというのは、被害の上に苦しみを重ねることになり、求めるべきではありません。だから第三者が介在することが必要です。
第二、第三の被害者を増やさないために(既に今回の被害者が何番目の被害者か?)、もし業界に構造的な問題があるなら、これを機会に改めさせる事が大切です。しかし、それをできるのは事実上、第三者だと考えます。繰り返しますが、被害者は既に苦しんでいますから、頑張らせるのは酷です。
「当事者以外は口を出すな」という論理は、問題のある構造をそのままに放置しようとする狙いを覆い隠すための卑怯な論理と私には映ります。無論、通常は他人は口を出すべきではありません。しかし第二、第三の被害が出る恐れがあり、それを当事者だけに戦わせるのは酷な場合は、第三者の力が必要です。
今回、当事者だけに戦わせるにしては権力構造から言って大変無理があります。権力が問題の場合は、衆の声が非常に重要です。そうでなければ権力者に反省を促すことはできず、これまでの構造を維持しようとしかねないからです。
ですので、ご意見は、私には、理解があるフリした卑怯な意見と私には映ります。構造をそのままにさせることを許すというのは、今回の場合、非常にまずい行為だと考えるからです。