大規模農業と小規模農家の繰り返し

歴史って面白いなあ。
口分田を与えて小規模農家の権利を明確にし、勤労意欲を高めようとしたら、数十年で制度にほころび。墾田永年私財法がきっかけで荘園という名の大規模農業が発達。戦国時代の終わりまで荘園の名残は続いたけれど。

大規模農業(荘園)の従業員にあたる名子の働きが悪くなっていた。そりゃ、人に使われるだけじゃやる気が出るはずもない。結婚もできない(経済的にムリ)だし。
そんな戦国末期、治水技術や干拓技術が発達してきた。信長や秀吉、家康は当時僻地だった東海地方の平野部で広大な農地の開拓に成功。

働きの悪い従業員(下人)は解雇して、夫婦だけで新田で独立した方がよいと考える小規模農家が増えた。また、解雇された従業員も独立して新田を耕し、自分も小規模農家に。一気に生産力アップ。信長、秀吉、家康といった英雄が東海地方からわいて出る原動力となった。

多くの農家は太閤検地を受けたがった。それまで荘園がなんとなく生き残っていて、土地の権利関係がややこしかった。しかし検地した田んぼは、実際に耕してる農民のものだとしてくれた。田んぼを我が物だと政府が保証してくれる登記みたいなものなので、農民は受けたがった。

こうして独立して自分の土地を持てた農家は勤労意欲にあふれ、夫婦で必死に耕した。従業員(下人)を雇うより、家族だけで働いた方が勤労意欲が段違いなので、農家の核家族化が進んだ。これが戦国末期から江戸時代前半で起きた。小規模農家全盛時代。

江戸時代の間は小規模農家が中心の時代だったが、次第にほころびを見せる。特に明治に入って地租改正が行われると、それまで米を税として納めれば済んだのに、金で納税しろと言われた。多くの素朴な農家は、米をどうやって換金すればよいかわからない。けど、農地の所有権者は現金で納税。

それがイヤだから、地主に土地を譲り、自分は小作人になって、耕作に専念するという事例も。米の換金技術を持っていた人物が地主になるという形で、明治以降、地主と小作人という、ある意味「大規模農業」的なまとまりが再びできた。

米の価格が高値につり上げられたおかげで、地主は米が高く売れ、儲かるように。するとそのお金で都会に住むようになる不在地主や、村の中に住んでるんだけど、小作人から小作料をがっぽりとって面白おかしく生きようとする寄生地主が増えてきた。小作人の生活に配慮しない経営者(地主)が増えた。

こうして効率の悪化した、地主制という名の大規模農業は、戦後、GHQによって解体され、農地解放により、小作人は自分の耕す農地の私有が認められ、小規模農家がたくさん生まれた。1960年までは勤労意欲に燃え、米は増産につぐ増産。

ところが米が余るようになり、減反政策がスタート。農家は一気にやる気を失った。そんな中、日本列島改造論などで土地価格が上がり、田んぼを切り売りするとボロ儲けできるという事態も起きるように。また、農業以外の仕事も増え、小規模農家は不利な時代に。

口分田が出来てから六十年程で耕作放棄地が増えたように、戦後の農地解放から六十~七十年後、耕作放棄地が増えた。それを担い手農家が集約する形で、大規模農業が復活。

こうして歴史をながめると、大規模農業と小規模農家がかわりばんこに現れてる。


参考文献
・鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」
・速水融「江戸の農民生活史」
・田中圭一「百姓の江戸時代」
・本間敏朗「日本人口増加の歴史」
・玉城哲「稲作文化と日本人」
・板倉聖宣「歴史の見方考え方」

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