「心の中で思うだけ」と「口にしてしまう」ことの大きな違い
「心の中で思うだけ」と、「口にしてしまう」ことには大きな違いがあると思う。
とても元気でわんぱくな子どもがいた。少々叱られてもケロッとしている、非常に精神的に安定していた子どもだった。その子のお兄ちゃんは大変成績優秀で、両親から期待されていた。弟のその子は放任されていた形。
そのお兄ちゃんが事故で突然亡くなった。両親の嘆きは大変なものだった。そのとき、わんぱくだったその弟に、親が次のような言葉を漏らした。「なぜあの子が?死ぬのならお前が死ねばよかったのに」。その日からその子は、女の子から少しちょっかい出されただけでメソメソ泣く子に変わった。
たとえ、心の中に思っていたとしても、口にしなければ結果は違っていたかもしれない。心の中は見えないからだ。何か不満を持っていたとしても、何に不満を持っているのかははっきりしないで済む。でも、言葉にしてしまうと、それは残酷に刻まれてしまう。
ある方から教えて頂いた話。その子は私立小学校に進学したのだけれど、学習障害があり、そのために学年が進むにつれ、学校になじめなくなってしまった。先生からは「うちは学習障害をケアする体制がない。公立に移られることをお勧めする」と言われ、事実上、退学を進められたという。
で、子どもに「公立に移るかも」というと、その子はわんわんと大泣きし、悲嘆にくれたという。実はその母親は小学校受験前に子どもが私立を志望するよう、公立小学校が荒れていることや、そこに通う子供たちは成績が悪いなど、イメージの悪いことを子どもに吹き込んでいたらしい。
進退窮まった母親は、ある人に相談することにした。その相談者は、「お母さんがさんざん悪口を言った公立に行かなければならない絶望感、子どもは大変苦しいでしょうね」と、母親にはっきりと伝えたという。母親は自分が差別的な考えを子どもに伝えてしまったことを悔い、子どもに謝罪して、
公立にもいい友達がたくさんいること、公立の方が学習障害のためのケアの制度が充実していて楽しく過ごせるだろうことを子どもに伝え、結果、公立小学校に通うことにしたという。今はその子は持ち前の明るさを取り戻し、「前の学校より優しい友達が多い」と喜んでいるという。
「よりよい環境を求めて」、私立の小学校や中学校への進学を考える親御さんは多いと思う。その際、注意していただきたいのは、「心に思っているだけ」と「口にする」ことには大きな落差がある、ということ。それを口にしてしまうことで、子どもに強い呪縛を与える恐れがある。
道路工事をしている人から聞いた話。道路工事をしていると、子ども連れの母親が「勉強しないとこういう人たちみたいになってしまいますよ」と言って立ち去っていくことがある、という。「一応僕ら、大学で難しい土木の勉強をしてきたんだけどね」と苦笑しておられた。
私もそれを目撃したことがある。知り合いの親子だったのだけれど、道路工事のそばに来て子どもに同じセリフを言っていた。ちなみにその時いた二人の子どもは、二人とも不良になった。その言葉かけをする前は優等生だと聞いていたのだが。
一番上の男の子は、たいへんヤンチャな子だった。その下の二人の妹は大人しく、成績優秀。お父さんが事故で亡くなり、お母さんが3人の子どもを育てていたのだけれど、保険金が多額だったからか、少しお母さんがハメ外しがち。で、上の子がヤンチャして頭を下げ回るのが嫌になったのか、
「あんたのことはもう自分の子どもとは思わない」と明言し、切り捨ててしまったらしい。下の娘二人は優等生だったから、もう娘二人だけ丁寧に育てよう、と思ったらしい。ところがその娘二人ともその後、見事に不良になってしまった。
どうやら、お兄ちゃんを切り捨てる発言を耳にしたことで、娘二人も不安になったらしい。「私たちをかわいいと思うのは、優等生だから、だけ?もし優等生でなくなったら、子どもだと思わなくなるの?」と。で、母親の愛情を試すために、娘たちは不良になったようだった。
もし、上のお兄ちゃんのことも、言葉の上で見捨てていなければ。切り捨てていなければ、娘二人まで荒れずに済んだのかもしれない。もちろん、先生や地域の人に頭を下げる羽目にされてしまう上の子に母親は不満だっただろう。でも、言葉の上でも見捨ててしまったために、娘も不良にしてしまった。
もちろん人間は、言葉にしなくても態度に現れる、というのはある。結構敏感に察知する。それでも、言葉が形を成してしまうのとそうでないのとでは、決定的な違いがある。言葉にしてしまったために子どもは奈落の底に突き落とされてしまうことになってしまう。
高校卒業してすぐ、母親が死病にかかったということで入院。余命も短いというのでセンター対策だけして見せかけの成績をよくし、安心してもらおうとした。幸い、死病ではないことが判明。しかし母親は体力失い家事ができず、私の家事負担が大きく、2次試験対策ができずに京大落ちた。
センター試験と大差ない、素直な問題を出す大阪大学や名古屋大学なら合格していたかもしれない。で、母は悔しくてならないらしく、「なんで京大受けたん?」「なんで阪大や名大にしなかったん?」と何度もぼやいた。いやいや、家族会議で何度も話して決めたことやん、と私は不思議に思った。
ある日、私のもとに近づいて「あんたは阪大も名大も受かるアタマではなかった、って思えばええんやな」と言って、母が立ち去った。私は茫然。「え?入院し、退院後も家事でけへんあなたのために家事をして勉強時間確保が難しかったんやん?それに不満を持ったこともない僕にこの仕打ち?」
私が真っ青な顔をしてるのを見て事情を聞いた父親がカンカンになって怒り、大喧嘩。その結果、もう次はないと決めていたはずの京大受験をもう一度挑戦することになった。
もし、もう一度京大を受けることにしていなければ、私は気持ちの持っていきどころを失っていたかもしれない。
母親には悪気が全くない。悪気がないだけに、私が1年間、母の入院後、家事を怠らずにやってきたことを、母がまるで評価していないことがわかり、衝撃を受けた。もし言葉にしていなかったら、そこまで衝撃を受けずに済んだかもしれない。受かった中堅大学にそのまま通学していたと思う。
もし父が「もう一度挑戦していい」と言ってくれてなかったら、私は気持ちの持って行きどころがなくて、かなりつらかったと思う。口にするのとしないのとでは、かなりな違いがあるように思う。