子ども、人、学術を育てるには「任せる」、「待つ」器量が必要
日本は「育てる」のがヘタクソな国になったと思う。「カネを払ってるから言うこと聞くべき」という性急さ、単純さが、学術会議ばかりか、部下育成でも子育てでも顔を出す。その性急さの故に子どもも、人も、学術さえも育てられなくなっているように思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d9d0dbf8d6403942f2c546cd15327e564fc505bb
孟嘗君は「食客」という、何も義務を負わない人間を多数抱えたことで知られる。孟嘗君から彼らに何かしてもらおうとはしなかった。
一見ムダにしか思えないこの食客らは、孟嘗君のために中国全土から情報を集め、アドバイスした。この結果、群雄割拠の時代にあって、孟嘗君は六カ国の宰相となった。
孟嘗君のこの成功を見て、見習う者が出てきた。春申君なども食客を多数抱えた。食客という自由人を多数抱えることが、たった一人では決してたどり着けない膨大なデータベースになることを、孟嘗君は気づいていたと言えるだろう。
ヨーロッパは歴史を異にするが、やはり何ものにも縛られず、自由にものを考え、語ることが大切だと気づいていた。プラトンの許には多くの人間が集い、自由闊達な議論が行われた。その場を「アカデメイア」という。そう、アカデミー(学術会議)の語源ともなっている。
中世はキリスト教の教会がすべてを支配した。教皇や司教がパトロンとなり、学者を支援することがあったが、「カネを出してるんだから」という支配も強かった。ガリレオは、教会の支配が強い時代の学者だったから、研究する場を奪われてしまった。研究を自由にできる空気は、まだ育っていなかった。
やがて、イギリスなどの王家がアカデミーを作るようになった。その中では、何の束縛も受けずに研究できるように。やがて各国で革命が起き、民主化が進んでも、アカデミーは維持された。自由に研究できるようにすることが様々な知見を集め、思わぬ解決策を見出す力になることに気がついたから。
人を育てる際、「カネを出してるのだから言うことを聞け」という態度を示したら、人は育たない。もしそんな言葉、態度をとれば、その人の心は支配者の機嫌を損ねないようにと怯えるようになる。思考を深めるより顔色を窺うことにエネルギーが割かれる。身勝手なガキ大将にもみ手する人間が増えるだけ。
もし親が「誰が育ててやってると思っている!」と思い、自分に従うことを優先して子育てをしたら、その子どもは親の機嫌を窺うばかりで怯えて暮らし、思考の狭い人間になってしまうだろう。支配しようという欲望と「育てる」ことは両立しない。
子どもを育て、人を育て、学問を育てるには「任せる、口を出さない、育つのを待つ」という度量が必要。その度量がなければ人は育たず、単にカネの出し手である権力者の顔色を窺うばかりの人間ばかり育てることになるだろう。
劉備は、何もしない幼馴染を軍の中に抱えていた。ある時、その幼馴染が敵軍のもとに赴いた。てっきり使者だと思ったら、劉備の悪口とか、何なら軍の弱点までペラペラ喋る。敵も呆れて、「お前は使者ではないのか」と聞くと「俺は俺の好きなようにやらせてもらうさ」と言って帰ってしまった。
その男が帰った後、敵軍は劉備軍に降伏した。劉備の悪口をあれだけ好きなように言う男を軍の中に抱えたままにできる劉備の懐の深さ、器の大きさに気づき、「降伏しても我々を受け入れてくれる」と信じることができたからだ。
後漢を創立した光武帝は敵をあっさり許し、自軍で活躍させる度量を持っていた。その器量の大きさが、二百年続く国家を支えることになったのだろう。
自分に楯突く人間を許せないという器量の小ささでは人を育てられない。反発するくらいが可愛くていい、くらいの器量がほしい。
勝海舟のもとに「西郷隆盛に会いたい。紹介状を書いてほしい」と言う男が来た。西郷を斬りたいようだな、と見抜いた勝は、「いいよ」と言って紹介状を書いてやった。その文面は「お前さんを殺したいみたいだから会ってやってくれないか」だったという。自分を殺そうとする人間も笑ってあしらう器量。
坂本竜馬は元々、勝海舟を殺そうとしていた。しかし勝から世界情勢を説かれ、弟子となった。幕末、維新の頃に活躍していた男たちは、自分を殺そうとする人間さえ笑ってあしらうような器量の大きさがあった。だからあれだけの傑物を多数生み出せたのだろう。しかし今の日本の権力者の小ささたるや。
しかしこれは、意識の持ちようで変われるように思う。「カネを出してるのだから言うことを聞け」という小さな正義が正しいという思い違いが日本を覆っているために起きていることでしかない。しかしそれでは人は育たず、萎縮した人間しか育てないことに気づけば、変われる。
度量を持とう。器を大きくしよう。器は空っぽだからいろんなものが容れられる。器は大きければ大きいほど多くの人材を育てられる。人を育てたければ、ムダ飯を食べる食客がある程度いることも許容するくらいの心構えが必要。
ルソーが「子どもの発見」をするまでは、子どもは「小さな大人」と見なされ、「非力な故に大した仕事もできない穀潰し」的な捉え方が決しておかしくなかった。しかしルソーが、子どもは大人とは違う存在であり、育つのを待つことで大輪の花を咲かせることが可能であることを示し、教育学を創始した。
日本は元々、育てるのがうまい国だった。幕末や維新の頃に日本を訪れた外国人は、日本が子どもを心から慈しみ、ルソーが唱えた「新理論」を地で行っていることに驚愕した。だからこんな小国が世界に伍する強国へと育つことができたと言えよう。
しかし「カネを出してるのだから言うことを聞け」という小さな正義に目を奪われ、人を育てるという視点を失っている。実に近視眼的、視野狭窄に陥っている。政治家に度量を求めると同時に、私達国民も「育てる」度量を持とう。人を育てることにしか、この国の力の源泉はないのだから。