この世に正義はない、あるのはあなたと私の関係性だけ

(若者を注意しようとしたら返り討ちにあい、暴力を振るわれたという意見に対し)


「注意」するからアカンのやと思いますよ。私が実家に寄ったとき、近所で若者が花火で騒いでいました。私も父も夜10時くらいまでは許容すべきだろう、と放置していたら、近所の方が若者を怒鳴りつけていました。しばらくすると騒ぎは一層エスカレート。

10時近くなって、次は父が。


すると、すぐに静かになりました。戻ってきた父に「どう伝えたの?」と聞くと、「お楽しみのところ悪いな、あそこに病院あるの見えるやろ、あそこ、消灯10時やねん。寝なあかんねん。だから少し静かにしたってくれるか。悪いな、と頼んだら、『分かりました』といってくれたよ」と。


打ち上げ花火のような音のなる花火はやめて、静かに手に持つ花火をしばらくやった後、すぐに解散したらしいです。

ご近所の方は「注意」しに行きました。たぶん、我に正義あり、お前らは悪、といった態度で、上から目線で注意しに行ったのでしょう。だから反発されたのだと思います。


父は、公園近くの病院の存在に若者は気づいていないだろうな、消灯が10時なのも知らないだろうな、と思い、それを伝えました。花火を楽しむことも否定しないし、10時になるまでなら少々騒ぐことも楽しそうで結構、というつもりで伝えたので、若者は「対等に話してくれている」と思ったのかも。


私は、この世に正義なんかないと考えています。あなたと私の関係性があるだけ。その関係性が不快なものになれば反発し、心地よいものであればそれを大切にしたい、と自然に願うようになります。ところが不思議なことに、己に正義がある、と考えると、自分が強くなったと勘違いする人多いです。


己に正義があって、相手が悪であれば、怒鳴り散らしてもいいし、バカにしてもいいし、見下してもいいと考えてしまう人が結構多いです。だから上手くいかないのだと思います。相手を同じ人間だとみなしていないことが態度にあふれているから反発され、逆襲されるのだと思います。


父の場合、対等に接しに来ているのがわかるから、そして「このおっちゃんおもろいな」と思えるから、その関係性を壊したくなくて、こちらの「要望」(注意ではなく)に答えたくなるのではないでしょうか。強制ではなく、自発的能動的に選択する「余地」があるからだと思います。


この世に正義があり、自分が正義に立っていれば、悪を懲らしめてもよい、という勘違いをする人が、いっぱいいます。私はそれ、大きな間違いだと思います。正義はこの世にありません。でも、関係性はある。その関係性をなるべく心地よいものにしよう、という相互の努力が大切だと考えています。

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