なぜ難しい言葉を使わないのか

私の文章が「長文なのに読みやすい」と言ってもらえる理由の一つに「難しい言葉を使わない」というご指摘をよくいただく。確かに私は専門用語や漢字ばかりの音読み熟語などをなるべく用いないようにしている。理由がいくつかあって、1つには「聞き慣れない言葉は戸惑う」という問題がある。

例えば 農業の分野だと「肥効」という言葉がある。しかし 一般の人はこの2文字を見て、しばらく固まってしまうだろう。「肥料の効き、と書いてあるから、肥料を吸って効き目が出てきたってことかな?」と思い当たるのに数秒かかってしまうだろう。こんなこと繰り返してたら、引っかかりが多すぎる。

それを避けるために、私の場合は「肥料が効いて植物の育ちがよくなったら」と書いてしまう。文字数はものすごく増えてしまうけれど、読む側に「何だったっけ?」と考える負担をかけずに済む。また、書く側も「このことを言い表す専門用語は何だったかな?」などと思い出す手間も省ける。

あと、専門用語は余計な意味 内容や歴史を引きずり込んでしまう場合がある。例えば「実存」 なんて言葉を使ってしまうと、サルトルだハイデガーだ哲学の歴史だなどの「亡霊」をたくさん引き連れてくる。読む人はそちらに思考が脱線しちゃって、それが理解の妨げになることもしばしば。

それに、難しい専門用語を使うと「俺ってこんなすごい専門用語も知ってるんだぞ、すごいだろ」と自慢したい気持ちの方が強まってしまい、丁寧に思考することをサボる傾向がある。これはどうも人間の性(さが)のようなので、それなら専門用語を避けてしまう方がよいように考えている。

また、専門用語を用いると「あ、オレもその専門用語知ってる!」ってお仲間が集まり、「オレたち、こんな難しい専門用語を知っててすごいよね」と、鼻の高くなったテングが集まる共同マスタベーション(自慰)大会になりやすい。それは単に特別感を味わいたいだけのものでしかなく、興味湧かない。

あと、専門用語じゃないけど「意味をたくさん抱え込んで意味が分からない」言葉も避けている。たとえば「愛」なんて、何を言いたいのかさっぱり分からない。場面場面で意味がコロコロ変わるし、人によって表したい意味も様々。これでは共同思考の妨げになってしまう。

「やさしさ」なんかもそう。一般によい意味と捉えられがちだけど、場合によっては「甘やかし」にもなりかねない。厳しさがやさしさになる場合もある。意味があいまい過ぎて、同じ言葉を使っていても同じ意味として捉えることが極めて難しい。

こうした言葉は思考停止の原因にもなる。聞き慣れてる言葉で「分かってる気になれる」言葉、それでいて「深遠な意味がありそう」な言葉に出会うと、人間はそれに酔ってしまうことがある。すごく深い話をしてるつもりになって、これまで通りの思考の中で止まってしまう。

そんなこんなで、私は専門用語や難しい言葉、あるいは「深淵なつもりの言葉」を使わないようにしている。なるべくシンプルな言葉を使うことで、言語化したいものの正体を突き止めることに力を注ぎたいと考えている。となると、どうしても言葉が多くなってしまう。

その代わり、引っかかりを覚えやすいそれらの言葉を使わないから、思考の引っかかりがなくて済むのかもしれない。だから私の文章は、長い割に読みやすいと言ってもらえるのかもしれない。

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