楽しい同調、逃げたくなる同調

ごめん、わかんねえ。全然納得いかねえ。おら、大人になったからだか。

「学校が「みんな同じ」を強いる理由とは? 小学6年生の質問へ、先生が納得の回答!」

さてまあ、あえて考察してみる。

幼い子と仲良くなるコツの一つに「同調する」というのがある。にこやかに、楽しそうに、まるで鏡のように子どもの動作をまねると、子どもはとても嬉しそうに笑う。

他方、からかう、バカにするような気持ちで同調すると、子どもはひどく嫌がる。


どうも、私の親の世代以前の小学校は楽しい空間だったらしい。みんなで声をそろえ、席を並べて、列を作って、と、みんなと同じようにすること自体が楽しかったらしい。それは恐らく「非日常」だったからだろう。みんなでそろっての体験が日常にはなく、学校だけで体験できる独特なものだったから。


幼稚園や保育園では「トントントントンこぶじいさん♪」を歌い始めると、バラバラだった子どもたちが同じ調子に合わせて同じ動作になっていき、「手はおひざ」で落ち着く。こうして、みんなで息を合わせて同じ動作をするのが楽しいからそうするのだろう。


みんな同じ制服なことに反発する話もよく聞くけど、横須賀だったかな、海上自衛隊の学校か何かあるのだろうか、真っ白な詰め襟の制服を着て誇らしげに歩いてる若者を見た。正直、格好よかった。若者がこの制服を着ていることを誇りに思ってるのが伝わるから、余計に格好よく見えたのかもしれない。


オマーンで女学校を始めた人の話によると、生徒たちが示し合わせて、地面からスカートの裾までの高さをきっちり決めたという。背の高い子も低い子も。なかなか壮観で、大人はびっくりしたという。この子たちは自らすすんで同調することで、大人たちを驚かすという茶目っ気を発揮したのだろう。


人間はこのように、同調すること、同じことをすることを楽しむ性質がある。ただしこの楽しさは、ある要素が加味するだけで逆転し、何としても逆らいたくなるものに変わる。それは、強制とか、バカにするとか、からかうといったネガティブな姿勢を持つものが強要するとき。


人間は、どうやら同調を強要、強制されると途端に逆らいたくなるらしい。楽しいから自ら進んで同調する場合は、何の抵抗もなく同調できるのに、強制されたとたんそれは楽しいものではなくなり、厭わしいものになる。なんとかしてそこから抜け出したくなる。


記事で答えてる先生は、そうした人間心理を全然理解しておられないように思う。ただ、同調せねばならない理由をそれっぽく捏造してるに過ぎないように思われて仕方ない。あたかも個性を認めてる風にして、同調するのは当たり前、と強制してる。私はそのヘリクツが理解できない。


同調させたいなら、簡単だ。そうするほうが楽しかったり誇らしかったり、ワクワクするものだったりになるようにデザインすればよいだけ。子どもがすでに「なんで同じことしなきゃいけないの?」と疑問を感じてる時点で、すでに楽しくない同調であり、強制と感じてるということだと思う。


反発を起こさせ、子どもたちを不良にしたいなら、同調圧力をかけるのも一つだろう。しかし、恐らく記事の先生はそれを望んでいない。不良行為を「個性」と認める度量は恐らくないだろう。だとすれば、同調圧力に従える従順な子と、反発する子とを選抜することだけをやってることになる。


何のことはない、昔ながらの、考えもなしに同調圧力をかける教師と私は違いがないように思う。ただヘリクツ述べてるだけだと思う。「はぐくむ」の記者は、なんでこんな教師を選び、こんなヘリクツを記事にする気になったのか?育むどころか子どもたちが窒息するよ。


昔、何処の国か忘れたけど、赤ん坊を足伸ばした状態で布でぐるぐる巻きにする慣習があり、そのために股関節の発育不全になりやすかったという。この記事の同調圧力は、「まっすぐ」にしようとして、かえって素直な発育を妨げるような考えをしておられるように思う。


私は、同調することを必ずしも否定しない。メトロノームを動かすと、他のメトロノームも次第に同調していくように、進んで楽しく同調するなら基本的に構わないと思う。息を揃えるという「奇跡」が起きることは、結構楽しいゲームだから。でも、それはゲームだから楽しい。


強制で何も楽しくない同調なんて、反発したくなるだけ。反発の強い子は、「不良」と烙印を押されるだろう。その子は自立心の強い子であり、見どころがあるからこそ反発するのに。他方、強制的同調にも従う子は、牙を抜かれ、思考することをやめるだろう。どちらにしろちっともよくない結果を生む。


悪いけど、記事の先生のようなスタイルだと、子どもにあまりよろしからずな結果を招くように思われてならない。まあ、子どもは多様性があるから、そんなに始動を受けても不思議に順応し、成功する子どももなかにはいるだろう。でもそれは、多數を犠牲にした上での「奇跡」でしかないように思う。

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