新型コロナは意見が割れやすい
新型コロナは「意見が割れやすい」のが厄介。私は、意見が異なる人がいるのは「仕方ない」と考えている。他の人が別の意見を持っていても、それを非合理的だとか愚かだと見なす気はない。持っている情報の差、重視している情報の違いがあり、それによって意見が様々に分かれやすいから。
コロナで死ぬよりも経済的死の方が多いのではないか、という指摘は、特に重い。飲食業や旅行業だけでなく、様々な職業で経済的に成り立たなくなっている人が多く、生活が成り立っていない。その人たちが死に追いやられるケースを軽視することはできない。実際、食に事欠く人が大勢出ている。
では、経済的死をなくすため、新型コロナとの共存を目指し、経済的規制を解除したらどうなるだろうか。3つの事態が想定される。①基礎疾患もちの人たちの少なからずの死と身体的ダメージ。②それによって社会を支えるマンパワーの無視できない減少。③医療が機能不全になることによる死者の増加。
新型コロナで死ぬ人は、もはや働いていない高齢者だけだ、と考えている人が少なくない様子。しかし実際には透析を受けながら社会で働いている人が多い。基礎疾患持ちは労働者の中にも少なくなく、この人たちが新型コロナに感染すると、少なからずが死に、あるいは相当なダメージを受ける。
また、退職した高齢者も社会を支える重要なマンパワー。保育園が休みになったりしたときに子供の面倒を高齢者が見てくれることで、現役世代は働きに出られる。こうした支えがなくなったとしたら、現役世代は仕事に出られなくなり、社会はその分、マンパワーを失う。
新型コロナと共生、と言うは易しだが、実際にはなかなか難しい。日本は少子高齢化のために、基礎疾患を持っている人や高齢者にもかなりの社会参加をお願いしないと成り立たないほど、マンパワーが不足している。この人たちが感染により死んだり重大なダメージを受けると、マンパワーがなくなる。
もし経済活動を正常化し、新型コロナが蔓延するままに放置するならば、基礎疾患持ちの人や高齢者が常に一定割合で重症化し、病院のマンパワーを食うことになる。すると、健常者がたまたま事故や急病で医者に見てもらおうとしても、治療が行えない恐れがある。
新型コロナの流行を野放しにし、経済活動を正常化することは、いわば、免疫機能をなくした人に「働け」と言っているようなもの。医療機関は、社会にとっての免疫機能のようなもの。これが新型コロナの対応だけでマンパワーを食われるようなら、免疫なしに社会に動け、というようなもの。
すると、基礎疾患もなく、高齢者でもない人なのに、急病やけがをしても十分な治療をしてもらえず、死んだり、身体的ダメージを回復できずに終わるリスクが出てくる。そうなれば、経済活動を正常化しても、それを支えるべきマンパワーを、健常者からも失うことになりかねない。
専門家は第6波について、オミクロンは弱毒かも、という一縷の希望を抱いていたのだと思う。だから緊急事態宣言ではなく、蔓延防止という少し緩い規制をかけるだけにしたのだと思う。しかし、蔓延防止を外せるほど楽観できる病気でもないらしい。医療をひっ迫させる条件をまだ備えている。
まだ、新型コロナをインフルエンザと同列に扱うだけの条件がそろいきっていない、という判断を専門家たちは行っているのだろう。それに政府も基本、従っていると思われる。私も現時点では、この判断は妥当と考えざるを得ない、と感じている。何せ、日本は少子高齢化社会だからだ。
高齢者も、基礎疾患持ちの人も、社会を支える重要なマンパワー。この人たちは、新型コロナを野放しにすると非常に危険。それによって失う社会的損失は、現在、蔓延防止などの規制で失う損失より巨大になる、という見通しを、専門家たちは持っているのだろう。
私も早く、こんな規制、なくなってほしい。正直、我慢の限界にきている。しかし、高齢者や基礎疾患持ちの人たちが死んだりダメージを受けたりすることによる社会的損失は恐らく日本にとって巨大。これをまだ、軽く見ることはできない、というのが現状のように思われる。
たとえ新型コロナに感染したとしても、ほぼ全員を軽症までの症状にとどめ、かつ、後遺症も残らないようにする手段が確立されていけば、「風邪」扱いできる。しかし、まだそこまでの手段はそろっていないらしい。ワクチンはなかなか届かず、薬も行き渡りにくいようだ。
現状では、経済活動を優先しようとして新型コロナの増勢に手を貸してしまうと、結局再度経済活動を締め上げ、新型コロナの減少をまつしかない、ということを繰り返しそう。私は経済活動を重視するからこそ、安易に解除してよいものか、疑問に思う。
せめて、今経済的に苦しんでいる人たちに、生活で困ることがないだけの手段が講じられれば、と思う。
本当に苦しい、厄介な病気。早く風邪と同じ扱いにできるようになることを、切に願う。