「既得権益」考

小泉純一郎氏による小泉旋風以来、日本では既得権益層、抵抗勢力という言葉がずいぶんと吹き荒れた。先だっての兵庫県知事選でも「既得権益層」という言葉がずいぶんツイッターやテレビに出てくる有権者からの口から出ていた。それで一つ、思い出したエピソードがある。

私ともう一人の方が、新産業のタネになるかもしれない技術開発者ということで、様々な企業の若手を集めたセミナーに呼ばれた。もう一人の方は「こんな素晴らしい技術の普及を妨げるのは、既得権益層がいるからだ、そんな抵抗勢力は打破しなければならない」と鼻息荒く自分の技術のすばらしさを主張。

で、私の講演が終わり、質問に対して次のように答えた。
「私は自分の開発した技術に自信はありますが、その普及によって生活できなくなる人が出ることを懸念しています。たとえば東日本大震災での事故後、原発推進派は既得権益層だとか抵抗勢力だとか叩かれています。でも。

原発に関わる労働者の皆さんは、まじめにコツコツ働いてきた人たちがほとんど。そして原発が発電してきた電力の恩恵を都市住民は受けてきた。なのに事故があったからと言って、安易に既得権益層だ、抵抗勢力だと批判し、悪の権化のように見なすのは、私は違うように思います。

もし本当に原発をやめたいのなら、原発があるところの人たちが、他の方法で生活していける手段を提供する必要があります。もしそんな方法があるのなら、住民も無理に原発を続けようとは思わないでしょう。既得権益層と言われる人たちも、これまで、社会を支えるためにまじめに働いてきた人たちです。

ですから私の技術は、できたら、私の技術が普及することによって仕事を失うかもしれない産業、企業の方にご採用頂き、雇用を失わないようにして頂けたらと思います。そうすると、その人たちも変に抵抗することなく、これまで通りまじめにコツコツ働いて、生活して頂けるのですから」

そんな風に話したら、もう一人の講演者はバツの悪そうな顔をしていた。
既得権益層だ、抵抗勢力だとレッテルを張り、悪の権化だとみなすのは、実に楽な手法だ。自分は正義で相手は悪という図式に瞬間的にすることができ、好きなだけ攻撃してもよい、という発想に切り替われるのだから。

でも、攻撃される側としてはどんな気分だろう?たとえばアメリカの「さびた地帯(ラストベルト)」と呼ばれた土地は本来、自動車産業が栄えていた時、アメリカの経済を支えた労働者たちが多く住む場所だった。マジメにコツコツ働く人たちが大半だったわけだ。

ところがニューヨークやシリコンバレーのような新産業が脚光を浴び、ラストベルトの人たちは「古い産業にしがみつく学ばない連中」と見下され、放置された。既得権益層、抵抗勢力扱いされたわけだ。そのことへの怒りが、トランプ氏を2度も大統領に引き上げる原動力になった。

人間は、見下され、見捨てられれば、腹を立てるのは当たり前だ。もちろん、既存の勢力にも問題があっただろう。公平ではない行為もあったかもしれない。自分の利益ばかりはかっていた連中かも知れない。しかし相手がそうだったからと言って自分もそうなったら、醜い人間に自分もなるということ。

それに、トップはともかく、その産業で働いていた人たちの大半は、まじめにコツコツ働いてきた人たち。その人たちを悪の権化とみなすのは、あまりに思考停止すぎる。物事を単純化し過ぎている。その人たちはちっとも悪ではない。

事故で指を切り落としてしまうことがある。それでも慎重に冷蔵保存、手術すれば、指をつなぐことは可能。しかし、「既得権益層だ、抵抗勢力だ」と否定し批判するのは、切り落とした指を冷やしもせず、保存もせず、適当に押し当てて「くっつかなかった」として捨てようとする粗暴な行為に見える。

切り落とした指を再びくっつけるには慎重さと丁寧さが必要なように、旧産業から新産業への移行にも、慎重さと丁寧さ必要だと私は考えている。なのに、「既得権益層め、抵抗勢力め」という批判、拒絶は、切り落として腐らせ、そのまま死に至らしめようという乱暴さを感じる。

どんな産業にも、そこに生活した人がいたのなら、少なくともそれまでは意味があったのだと私は考える。そしてそこには必ず、まじめにコツコツ働いてきた人たちがいる。その人たちのおかげで社会は回ってきたのだと思う。なのにその人たちを安易に悪の権化のように述べる雑さが、私は許せない。

小泉純一郎氏は、既得権益層、抵抗勢力という言葉を駆使することで、「悪の権化に立ち向かう正義の味方」という分かりやすい図式にし、一般の人々を熱狂の渦に巻き込んだ。しかしその結果はどうだったろうか。賃金低下は止まらず、貧富の格差はどんどん拡大した。なぜか。

「既得権益層」と呼ばれた人たちは、それまでまじめにコツコツ働いてきた労働者であり、消費者だったからだ。しかし産業が潰され、路頭に迷い、低賃金の仕事しか見つからず、収入が少ないから消費を減らすしかなく、そのために社会全体のお金のめぐりが悪くなり、デフレ経済に陥った。

そう、「既得権益層の打破、抵抗勢力の打破」という、耳に心地よい言葉が、デフレ経済を悪化させた一因だと私は考えている。
私は、既得権益層、抵抗勢力という言葉を使うことに、慎重であるべきだと考えている。そこにもまじめに働き、生活している人たちが大勢いるからだ。

いかにそうした人たちの生活を守り、新体制にスムーズに移行させるか。それには慎重さと丁寧さが必要。しかし小泉旋風以来、日本はその慎重さ、丁寧さを失った。非常に粗雑で粗暴になった。それが、日本を混迷に至らせた大きな原因の一つだと思う。

旧式のシステムで生活している人たちが大勢いるなら、その人たちを悪とみなすのではなく、新システムでも生活していけるように、慎重に丁寧に工夫を重ねる必要がある。私たちは、そうしたことをここ20年以上、忘れていたのではないか。でも、日本は本来、そうした丁寧な国民ではなかったか。

相手を敵とみなし、悪の権化とみなすのは、非常に安易な道だ。私たちは、そうした安易な道に進めと扇動する人間に騙されないような慎重さを持つべきだと思う。マジメに働く人たちを、安易にバカにする社会は、ろくでもないのだから。

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