生き切る達人

モンテーニュって人は、死の恐怖を克服するために、過去の偉人の死に様を研究していた。いわく、ソクラテスは友人たちの見守る中で毒人参を飲み干し、毒が回るよう歩き回り、静かに横たわって死んだ、とか。セネカは手首を切って湯船の中でみんなが見守る中、静かに死んだとか。

小カトーは少年の頃、大人を怒らせて窓の外に出され、「参ったと言わねばこのまま叩き落として殺すぞ」と脅されても動じず、大人が根負けしたとか。スパルタ(ラケダイモーン)の少年は焼けた石が袖の中に入って肉が焼けても儀式を中断せずにやり抜いたとか。そんな克己心あふれるエピソードを集めた。

なんでそんなことをしたかというと、当時、尿結石が貴族で流行っていたから。尿結石になるとその激痛から、貴族たちは「もうこの世の終わりだ」と嘆き悲しんだ。モンテーニュも尿結石に苦しんだのだけど、死ぬよりマシだと考え、死を静かに受け入れた偉人たちの話を読んで、なんとか真似ようとした。

ところがモンテーニュは旅の途上、意外な光景を発見した。その町ではペストが大流行していた。都市に住む人々はペストを恐れ、逃げまどったが、農民は普段と変わらず自分の畑で耕し続けた。
そしてペストにかかる者も現れた。しかし嘆き悲しむ様子もなく、動けるうちは畑で耕し続けた。

そしていよいよ動けなくなると、静かに息を引き取った。モンテーニュは驚いた。哲学や思想を学び、教養があるはずの貴族は、死に病でもない病気でも嘆き悲しむのに、農民はまるでソクラテスやセネカのように静かに死を受け入れるなんて!しかも最後まで日常通りに過ごして!

それからモンテーニュは、偉人の死に様を研究するのをやめてしまった。死の恐怖を克服しようなんて、する必要はない。農家がそうであるように、日常を生き、動けなくなったら死ねばよい。死ぬことなんか考えなくていいんだ、と思い切れた。

大地震でたくさんの死者が出たとき、「私たちは何ができるでしょうか」と尋ねられた良寛さんは「死ぬときは死ねばよろしい」と答えたらしい。
事実、良寛さんは地で行っていた。ある時、悪党と間違われ、首だけ出して生き埋めにされ、さあ殺されようとした。たまたま知人が通りかかり、助かった。

「なんで人違いだと言わないんですか!殺されるところだったじゃないですか!」と知人に叱られると、「だってそう思いこんでるんだもの、殺されるより仕方ないじゃないか」と良寛さんは答えたという。

良寛さんが旅の途中、茶屋に立ち寄ると「あいにくこんなものしかなくて」と、主人が煮魚を出してきた。僧侶が食べてはいけない生臭物。しかし良寛さんは喜んで「うまいうまい」と食べた。別の若い僧侶はそれを見て、嘆かわしいと言った感じで顔をしかめた。

その先の旅籠で、良寛さんと若い僧侶は同じ部屋になった。しかし蚊が多くて寝ていられやしない。パチパチと体中を叩く若い僧侶。しかし良寛さんは平気な顔して寝ている。「よくこんなひどい蚊で平気でいられますね」と言うと、良寛さんは「なに、何でも食う代わり、食われることにしてるだけだよ」。

若い僧侶は雷に打たれたような顔をした。良寛さんは「ああ、すまないすまない、余計なことを言った」と謝った。
良寛さんはいつ死んでもよいつもりで生きていたらしい。死を考えず、ただ生だけを考えて生きているから、いつでも死ぬ覚悟があったのかもしれない。

死をかんがえても仕方ない。だから考えない。それがモンテーニュの達した答えだけど、良寛さんも同じ結論に達していたのかもしれない。死は考えても仕方ない。だから生きる。生きてるから、静かに死を受け入れられるのかも。
ここまで達観できたらすごいなあ。

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