最後だからって特別な事をするっていうのはなんだか違うかなと思いつつ、折角”さいご”だし普段出さない感情を波に任せて文字にしたためるのも悪くないのかもしれないなと思いつつ久しぶりにノートと筆をとる
巣立ちの時
2022年12月31日。
飛鳥ちゃんが乃木坂46という巣から巣立をする日。
来年、粋な計らいで帰巣することはあっても、それは一時の羽根休めと更に邁進するにあたっての通過儀礼をする為。
発表から今日までに目にした色々な飛鳥ちゃんの"さいご"。
今日、また一つ"さいご"を迎え、特別な"さいご"を残して、彼女は乃木坂46を卒業する。
普段から自分の感情や推していた期間の事を吐き出す事も振り返る事をしてこなったが、この節目の時に柄にもなく筆を取りたいと思う。ただ、ネットの海に一つの産物として流すのは少し恥ずかしいとも思っている。
万に一つに、この書き散らしに辿り着いて読む人がいたら寛大な目で見て欲しい。あなたにはあなたの物事を推し図る「ものさし」があると思う。
もし共感してもらえるならこれ幸いであるし、違和感を感じるようであれば、世の中にはこんな奴もいるのかーって程度に捉えて欲しい。
30秒の奇跡
飛鳥ちゃんを”ちゃんと”知ったのは23枚目シングル「Sing Out!」。
約3年前ぐらいの事。
この”ちゃんと”というのは、「明確にこの子のことが気になるというアンテナが張った」という意味だ。元々アイドルを始め、色々なサブカルに通じていた事や知り合いに乃木坂46を応援していた知り合いが居たこともあり、グループの事は知っていたし、飛鳥ちゃんが在籍していた事も知っていた。
ただ、今でもこそ出る質問があると思う。
「なら、なぜ知っててその頃から推してない?」と。
そう聞かれると、明確な回答としては
「知ってはいたけど、パーソナルな部分を知り得てない子を推すことはないし、知る努力がその当時はしなかったし、できなかった」
となってしまう。
今思い返せば、その努力とやる気があればもっと飛鳥ちゃんとの思い出もできたかもしれないし、環境も立場も変わっていたかもしれない。でも、そんな”でも”とか”たら”とか”もし”を今考えて後悔しても意味はない。飛鳥ちゃんの大好きなお姉様のお言葉を借りるとしたら
偉大ですね。本当に。この言葉のおかげでド新規精神でやってこれたし、頑張れたのは過言ではないと思う。
少し話が逸れたが、このシングル時期に私は飛鳥ちゃんに”ちゃんと”会う事になる。その当時は、プライベートなお話で恐縮だが、肉体・精神共に限界を迎えてしまう出来事が多く、平たく言えば"かなり参った状況"だった。
特に2020年のコロナ禍初期にも味わったけども、エンタメという心の栄養剤のようなものを摂取・味わう事ができず、ただ心身をすり減らす毎日だった。そんな日々のある日の夜中、今でこそもう日常の一部と化している日曜夜の坂道タイム。
その時の一本のCMに目を奪われた。
※死ぬ気で探したけど転載CMしかなく、公式チャンネルにもなかったので、MVです。
「Sing Out!」の飛鳥ちゃんのソロダンスの30秒間ver。を頭にいれてほしい。難しかったら、MVの2分56秒からの30秒を想起してほしい。
薄暗いフロアの中、照明に照らされながら1人の女の子が踊るシーン。
たった30秒、しかもCMだった。
なのに凄く引き込まれるものがあって、心を奪われた。
端的に綺麗だと思った。それは小手先の技術とかの話ではなく、パフォーマンスの節々に、これは観る人によく魅せようと思ってるのでなく、ありのままの自分の表現を魅せようとして思ってる。
語弊ないように言うと、飛鳥ちゃんがとても高い技術や表現の仕方の引き出しを持ってるいる事はこの当時から言わずもがなの話ではあるのだが、当時の自分はこの情報すら持ち得ていなかった。だからこそ、当時の気持ちは単に表現者として、この30秒のCMという媒体の中で、誰かを魅了させてくる女の子の姿とパフォーマンスにただただ惹かれた。
とにかくこの子の事をより知りたいと思った。そしてCM明けの「乃木坂工事中を流して観続けた。その時に初めて”今の齋藤飛鳥”を知り、飛鳥ちゃんを推すきっかけになった。
過去をなぞる
「なぁ、齋藤飛鳥ちゃんの事を知りたいから資料ない?」
その翌日に昔からのドルオタ友人Aくんに連絡をとった。そうしたら乃木坂工事中とかNOGIBINGOとかの録画データ、後は雑誌など持ってるものを順次送ってくれることになった。
その時の一コマで
友人A「えっ、飛鳥ちゃんに興味もったの?当時現場呼んできてたよね。
その時、そんな話にならんかったよね?」
私 「そうなんよ、でも昔の飛鳥ちゃんと今の飛鳥ちゃん違い過ぎないか?だから、その辺を理解したいのよ。」
というのがあった。そう昔のあしゅりん時代は昔に観たことがあった
※TIFとかフェスとかなんかでお呼ばれされた事案レベルの話だが
ただその頃に”ある種の違和感”を感じていた。
その違和感の正体を探りたかった。だから、時間を作っては借りたものを見続けた。そして、ようやく1つの解にたどり着いた。その正体は、「7RULES」で紐解かれた。
アイドルは、悩み模索しながら自身の中に”理想のアイドル像”を作って活動するのが仕事のスタンスの1つだと思っている。ただ、そのアイドル像を無理して作りすぎて、自身に負荷をかけてしまう事は本人を苦しめてしまうとも思っている。飛鳥ちゃんが”あしゅりん”であった過去を否定すること気はないが、ありのままの自分を見せてくれる方が好きな私としては、今の飛鳥ちゃんのスタンスの方が好きなのだ。
この後更に、情熱大陸やアナザースカイを始め過去の映像作品や雑誌のインタビューを記事を叩き込んだ。過去から今現在への変遷を資料からなぞっていくのは好きな方であり、ましてや気になった女の子をこうも沢山知ることができる環境にただただ嬉しっかた自分がいた。この頃は少しプライベートも一旦の落ち着きをみせていて、自分の時間も僅かながら取れていた。
取れた自分は、ほぼ飛鳥ちゃんや乃木坂の事をインプットしていた。
そうしていく内に、インプットだけじゃなくて、アウトプットがしたくなった。何とかして会えないものか、と。
と言うことで、当時は倍率のヤバさとかは一切無視し、応募してみた結果、見事当選したこの催しが初めて、自分の意志で乃木坂のイベントに行くことになったのが
『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』完成披露上映会
登壇者(予定):秋元真夏、梅澤美波、齋藤飛鳥、高山一実、与田祐希、岩下力監督
・・・今思うと、これが初めてって謎過ぎる。
ただ、この作品で飛鳥ちゃんのルーツを深堀する事ができて、より一個人として”齋藤飛鳥”ちゃんのことが好きになった。それと乃木坂46っていうグループそのものにも興味を持ち始めた。あと、漫画「七つの大罪」きっかけで知っていた梅に単独興味を持ち始めたのもこの辺りのお話。
いつもと違う夏
と言うことで、飛鳥ちゃんをきっかけにグループにまで興味を持ち始めたわけだが、そうなってくるとアレにいくしかなくなってきた。そうライブだ。え?アイドルと言えば握手会では?と思いましたか?
それも一理あると思うけども、ライブ至上主義の価値観を持っている為、どうしても握手会の前にライブに行きたかったのだ。プライベートの方も過渡期ではあったものの春先よりかは安定していたので、ようやく現場(ライブ)に行く計画を立てた。結果、2019年の全ツは初日名古屋から大阪初日までは現地、神宮最終日はLVで参加した。
まぁとにかく楽しかった。何故か名古屋初日は席が良くて「飛鳥ちゃん、ちっか!」とかいう事案もあれば、福岡初日のさくちゃんとの「他の星から」のパフォーマンスもバリバリっに魅せてくるし、同日のアンコール1曲目で空扉のイントロでテンションがめちゃくちゃ上がったのを、書いてて鮮明に思い出す。ただ、思ったのは飛鳥ちゃんのセンター無双がすごかったのが印象に残ってる。西野七瀬ちゃん卒業後の新体制構築やツアー前半公演の白石麻衣ちゃん不在とかも色々重なる部分があった経緯もあるが、絶対的エースだったなぁちゃんが2月に卒業後にそのエースが抱えていたものを殆ど継承した飛鳥ちゃん。「大変だったろうなぁ」って言葉で片付けたくないけども、本当に大変だったと思う。誰もその時の飛鳥ちゃんの気持ちを推し量るのは難しいと思うけども、今かけれる言葉としては
「あなたは頼れるエースとしてその役目を全うしていた」
この一言に尽きるだろう。
それとセンターの継承もだが、個人技ではドラムの披露も目を見張るものがあった。映像で知っていたものの、ちゃんと現地で生の音で聞かないとその真価は測れないと思っていたので、いつか聞きたいと思っていた矢先に体感できたのは大きな意味があった。
いや、普通に上手い。下手な素人バンマスより全然鳴らせていたし、技術もアイドルの域ではなかった。この辺りの個人技が個人のお仕事に繋がってほしいなと当然当時思ったわけだが、ここから3年後に現実になる。ただ
それはまた別のお話で。
とこの全ツ期間中にあった全国握手会にも行ってきた。まさか自分の意志で全握の会場行くことになるとはなぁ~と思いつつ、伝えたい事を伝えにいった。最初はヘラヘラしていたが、やはり番が近づくと変な緊張があった。
今思い返すと、この辺りの飛鳥ちゃんとの握手会・ミーグリの時のスタンスは初期から今も変わらず最後まで変わらなかったなぁ。
ちなみに初めての飛鳥ちゃんは可愛かったです(小並感)。あと、凡なお話しかしてないのでレポは割愛させてください。
ただ、来る人来る人が大勢の中、ちゃんと来た人へのスタンスはその人に合わせた距離感や間を作るのは上手いよなぁと思った。。。つまるところ、無事に飛鳥ちゃん沼に無事にハマったのだった。
小休止
ここまでが私が飛鳥ちゃん、引いては乃木坂46に対して興味を持ち始めた話だ。ある程度、書き手の飛鳥ちゃんに対する考え方をご理解してもらえただろうか?
この2019年の夏から飛鳥ちゃんを推すようになった私は、同年の残りの全握や24thの個握、さらには上海ライブにも足を運ぶようになる。翌年2020年はコロナ禍に突入して制限が多い生活が始まり中々会いに行くこと互いにできなくなったが、突入前の台湾ライブや8thバスラの全日程に参加するなど精力的に乃木坂46を応援するようになる。もちろんグループが好きという気持ちがある中で飛鳥ちゃんに会うためにというのがあったが、”乃木坂46の
齋藤飛鳥”というより”齋藤飛鳥”に会いたい部分が強かった。そもそものきっかけが飛鳥ちゃんの表現からである為か、個人として飛鳥ちゃんの活動が沢山みたいという気持ちが常々あった。
ここからはグループの外を飛び出した飛鳥ちゃんについて綴っていきたい。
映像研には手を出そう
2020年のコロナ禍において、最も感謝したいコンテンツであり、私が観たかった飛鳥ちゃんが詰まっている作品が「映像研には手を出すな」だ。
2019年に実写映画化の発表、主役の浅草みどりは飛鳥ちゃん、脇を固める水崎ツバメ約に山、金森さやか役に梅が抜擢された。この作品が如何に飛鳥ちゃんに影響を与えたか、そしてグループに大きな還元をもたらしたかはわかる人にはわかるお話かと思う。
撮影当初こそ全くしゃべらなかった3人組がこの作品を通して、今ではいじりあうのが日常茶飯事であり、「あすやま」や「うめあす」といった単語が生まれたのはこの作品様様だ。同時にこうした関係値を構築するのに飛鳥ちゃんが殻を壊して2人と接していたエピソードも有名な話だ。
そして、最近公開されたのぎ動画内の久保チャンネルでも久保ちゃんから飛鳥ちゃんにいけるようになったエピソードが出るなど、2人に限らず飛鳥ちゃんとのエピソードが沢山出てくるようになる。
詳細はこちらを是非に。
お正月にでもゆっくり御餅でも食べながら観てほしい。
※ちなみにこの動画内の飛鳥ちゃんと久保ちゃんのエピソード内にうめあす要素がめちゃくちゃ詰まっているので、本当に観てください←
飛鳥ちゃんの殻を壊した以降の後輩エピソードは他にも沢山ある。ただ、これ以前のエピソードは限られた後輩メンバーとのものに限らてるイメージがある。この作品を皮切りに後輩との接し方が変わったのは自明なところだと思う。決して接してこなかったことはなかったと思うが、よりいい方向に変化していく様は推していて、気持ちがいいものがあるし、こういう外仕事が結果としてグループ全体の環境に還元されるのは大きな意味を持っていると思う。
なお、個人的な話をすると、映像研はエキストラ参加や聖地巡礼を始め、色んな角度から飛鳥ちゃんを見たいと思って、制限がある中各地を飛び回った。なにより、2回目の舞台挨拶で劇場内で3人に会えたのは2020年の飛鳥ちゃんのイベントの最初にして最後みたいなところがあったので、一ファンとして様様でしかない。
なにより、浅草氏を演じる飛鳥ちゃんの表現は、ダンス時の表現の仕方に通じる部分があると思っている。以前の工事中でもパフォーマンスをするときは自分ではない、誰か”人を作る”という話をしていたが、浅草氏もそれに近いと思っている。久保ちゃんのような役を自分におろすより、飛鳥ちゃんは役を作って演じるタイプかなと。こういう細かいところ一つ一つとっても飛鳥ちゃんの個人技は目を見張るものがあるし、もっと個人としての活躍に期待したいと思わせてくれる作品だった。
最大の生命線音楽番組
2020年の映像研から飛んで、2021年。
今飛鳥ちゃんファンにとっては最大のライフラインとなるであろう番組が爆誕した。そう「ハマスカ放送部」だ。
https://www.instagram.com/hamasuka_bd/
番組の詳細は↑のリンクを各種チェックしていただき、割愛。
この番組が今の飛鳥ちゃんファンにとって、来年2023年の生命線であることは言わずもがなな話かと思うけども、この番組には飛鳥ちゃんをここまでのびのびとさせてくれていて感謝の念しかない。
ここまで自由にやっている飛鳥ちゃんも飛鳥ちゃんだが、それを許している番組も番組だ。(その延長線上で、その行為に対してイベントで裁判ジャッジコーナーを持ってくるのは秀逸でしかない)
そんな自由な飛鳥ちゃんを巧みに引っ張っているMCのハマさんも流石でしかない。2人の掛け合いのバランスの良さ・空気感は中毒性が高い。深夜番組特有の緩さと専門性番組の良さが十二分に詰まっている。
なにより、グループでは見る事のないパーソナルな飛鳥ちゃんがこの番組では観れる。これがなによりも堪らない。個人的にはこの番組で観れる真に素の飛鳥ちゃんが何よりも好きだし、ずっと見続けていたと思う。巣立つことの寂しさが無いと言えば噓になるが、少なくともこの番組の存在はこれからも飛鳥ちゃんの活躍を見届けられるコンテンツの1つにはなる。
今の形のままでもいいが、更なる発展を願っている。
小休止2
長くない?
と思った人。えぇ、私も書いていて長いと思っている。
なので、そろそろ確信にあたる話をしていきたいと思っている。
私は乃木坂46としての齋藤飛鳥ちゃんも好きであると同時に、”ただの飛鳥ちゃん”も好きだ。だからこそ、言えることとして、アイドルとしての飛鳥ちゃんが観れなくなることは寂しいという気持ちは持っている。一方でこれからの飛鳥ちゃんの未来への楽しみな気持ちも持っていて、それを天秤にかけた時に傾くのは未来なのだ。
これは冒頭で書いたものさしの話の通り、人によって飛鳥ちゃんの卒業に対する感情や捉え方の尺度は違う。ここからはセンシティブな話だ。書き続けるが、だからこそ読まなくてもいいと思う。ここで読む目を止めていただいても構わない。それもまた、一つの選択だと思うから。
これから
2022年11月5日、飛鳥ちゃんは卒業のお知らせをブログで綴った日。
私はその日京都にいた。京都で開催中のアンディ・ウォーホルの展示会の副音声ガイドをやっている飛鳥ちゃんの声を聴くために旅行で滞在中だった。
そのブログの知らせを見て、そのまま読んだのは美術館の目の前だった。「ついにきた」という感情と共に今からその当人の声を聴くのにどんな気持ちで聞けばいいのか、その判断が鈍くなっていく。それと共にくる大きな喪失感。人が亡くなった訳ではないのに、それと同じぐらいの悲しい感情が襲う感覚。したくはなかったが、この時ばかりは感情のスイッチを切った。しないとこのまま館内に入る事は無理だと悟った。
けれども、駄目だった。耳から入ってくる聴き慣れた大好きな子の声を聴くたびにスイッチを切ったはずなのに、思い出すのは飛鳥ちゃんとの思い出。気持ち悪いお客と思われないように、なんとか見られないように泣きながら回った。こんな飛鳥ちゃんのオタクは私ぐらいだろう、本当に。
翌日には、乃木坂配信中での緊急生配信。ここで初めて飛鳥ちゃんの口から直接卒業の話を聞いた。脳に響く喪失感を感じさせるようなベルの音をシャットダウンしつつ、ただ本人の声を聴く。後半から涙を流し始めた時、やっぱり無理になった。なんとか「ここにはないもの」のパフォーマンス時は引っ込めるべきものを引っ込めて観た。
歌詞、パフォーマンス、表情、全てが愛おしかった。ここまで愛に溢れたパフォーマンスは稀なものだ。本人もだがメンバーを感情を爆発させてのパフォーマンスにただただ胸を打たれた。一方でここはしっかり見届けたい気持ちを強く持って、水で画面がぐしゃぐしゃにすることなく見届けた。
これは唯一無二の配信であり、この配信時だけは、過去に何度も見返すでなく、生ものという鮮度がもたらす感動の刹那を噛みしめ続けていたと思う。
この11月時点では割と喪失感が大きかった。
だからか、11月23日にあった全握では柄にもなく手紙を書いて、本人今の気持ちを伝えた。ただ、その手紙を書くのも難産だった。書いては破り、書いては破りを繰り返した。けれど、その繰り返しの中で、自分が求めた”飛鳥ちゃん像”というものを再度認識できた。
それは、飛鳥ちゃんを知ったきっかけはアイドルというフィルターでなく、表現者としてのフィルターを通してのものだったということ。
つまりは、アイドルの枠に囚われずに、様々な表現をする飛鳥ちゃんをずっと見届けたくて応援していること。
飛鳥ちゃんのこの決断はそのためのものかもしれないこと。
この考えに至った時、ずっと抱いていた喪失感はなくなった。むしろ、これからの未来も見届けてあげたいと前向きな気持ちが強くなった。すると、自然と手紙の内容は感謝と未来も一緒に見届けに行きたいような趣旨の内容でできあがっていた。
今、手紙の原文を見直したが恥ずかしすぎてよくこれ本人に言えたなと思う。ただ、その時の飛鳥ちゃんの反応が堪らなく愛おしかったので、ちゃんと伝わっていることがただただ救いである。
これもあってか12月のさいごのミーグリ期間は、明るく楽しい感じで終えることができた。いや、正直最終日は寂しさが語りかけてきて、心が折れそうになる瞬間が結構あった。けれど、飛鳥ちゃん本人が前を向いている以上、こっちも同じ目線で同じ歩幅で立っていないと2023年を迎えた時にスタートラインに立てられないと思ったら、自分を鼓舞してなんとか耐えた。
そして、12月のさいごのライブだった「ASIA EMOTIONAL MUSIC FES」。粋な計らいで披露された「ここにはないもの」のフルでの披露。最高に綺麗な飛鳥ちゃんの姿を焼き付けるにに必死で出るもの全部引っ込めて、2022年の乃木坂46としては生で観れるのは最後であるライブを見届けることもできた。感無量の一言に尽きる。
そして、今さいごの時を迎えようとしている。
今、実際紅白歌合戦を見ながら、ここから先は書いている。
2021年の東京ドームで話した「乃木坂は私の全てです。」
この言葉の通り、貴女は11年間ただ乃木坂の為に生きていたと思う。
最初は苦しいことも多かったと思うし、それを乗り越えたとしても期待に対する重圧や求められるプレッシャーに辛さを感じることもあったかもしれない。けれども、貴女はそれらを全て受け入れて、そして乗り越えてきた。
これは間違いなく貴女が自分の力で切り開いてきた結果だと思う。
いつも褒めても「そんな、そんな」と謙遜したり、可愛いといっても「そんあことないよ」と否定したりするように、ここで褒めた言葉を書いても否定している顔が目に浮かぶ。だけど、そんなネガな言葉の裏側で、しっかり喜んでくれているのを知っているんだからね。
こうして、普段しない事をやっていると貴方の事で新たな気づきや過去の思い出が蘇ってきては、ただただ筆がとまらない。いや、これは言い訳だ。今も止まらないのは、これを書き終えたら本当のさいごを見届ける時が来たことを自覚したくないからかもしれない。これだけ、未来が楽しみっていいつつもやっぱり寂しいものは寂しいというの綴ってて改めて痛感する。
だからこそ、終わらせないといけない。
”君がいてくれたから素敵なサヨナラを言える”
この言葉の通り一旦のお別れをしなければならない。
けれども、最後に。
飛鳥ちゃん、乃木坂46でアイドルになってくれてありがとう。
飛鳥ちゃん、出会ってくれてありがとう。
今もこれからも飛鳥ちゃんの進み道を見届けさせてね。
それでは。あーでも、ごめんなさい。サヨナラは言いたくないから、代わりにこの言葉で締めさせて。
またね。
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