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第二夜 海外院進ちょい堀り⛏️
どこの大学院に出願しようか…
さて、海外大学院と一口に言っても世界には途方もない数の大学がある。どうやって絞り込むかが問題になる。私の場合は以下のように絞っていった。
・ぶっちゃけ国はどこでも良い
➡︎「異国で長期滞在したい」がコアな願望なので国への拘りは捨て去った。
・英語要件がIELTS Overall 6.0〜6.5
(サブスコア5.5〜)
➡︎当時のIELTSスコア※で出願できる大学を血眼で探した。
※Overall 6.5 (R 7.0 / L6.0 / S 6.5 / W 5.5 )
・学士の専攻に関係なく出願できる大学
➡︎これが結構難しい。ローラー作戦で虱潰しに探した。社会学専攻からビジネス系の専攻に変えたかった。
・英語圏は捨てる(英、米、豪、愛…)
➡︎学費も英語要件も高すぎる!!
絞られた出願先
※情報が古いので参考程度に…
・香港大学
University of Hong Kong
➡︎言わずとしれた超名門。棚牡丹狙いでおちょけで出願。学費がクソ高いので本当におちょけで出願したのみ。
・香港城市大学
City University of Hong Kong
➡︎レベルが高い香港の大学の中でギリ出願要件を満たしていた。
・モナシュ大学マレーシア校
Monash University Malaysia
➡︎本校は豪だがマレーシア校は学費が安い。生活費もオーストラリアより安い。学部の専攻が異なっても期間を延ばし追加科目を受ければOK。英語のスコアが足りなくてもFoundation Courseがある。大学の成績要件もあるが大したことは無かった気がする。
※ぶっちゃけここに行くつもりでいた。
・国立マラヤ大学
University of Malaya
➡︎マレーシアのトップ国立。
英語のスコアはIELTS 6.0以上あればOK。
大学の成績でGPA3.0以上あればOK。
最終に面接がある。
卒業論文の執筆に重きを置きつつ調べ物をした結果、上記四つの大学が絞られたという訳です。「あれ?イタリアは??」と思われたかも知れませんが、リサーチ及びリストアップした時点でイタリアは頭の中に露にも浮かんでいませんでした(汗)。
意外と簡単な海外大学院への出願
海外大学院と聞いてギョッとする人も一定数いるかも知れませんが、受験自体はよほどの名門大学でない限りは拍子抜けするほど簡単なものです。なぜなら一部トップ校を除き、試験がありません。基本的に書類で決まります。学校によって面接があったり推薦状を求められたりする程度です。
大学院の出願での使用書類。
・大学の成績表
・大学の卒業証明書
※在学中の出願の場合はその旨を伝える
・出願先要件を満たした英語のスコア証明書
・CV(要するの英文の履歴書)
・Personal Statement (志望理由書)
・推薦状2枚
※1枚で良い場合も必要ない事もある
基本これだけです。非常に簡単。
学校によっては選考のどこかのタイミングで面接があったりしますが、これだけで合否が決まったりするんですよ!!!EASY!!!
※出願する大学や学部によって必要な書類は様々なので鵜呑みにしないように。あくまで「私の場合はこうだった」という一例に過ぎないのでご注意を。出願先の要件をググって確認するように。
2020年10月…
卒業論文はそれなりに捗っていて、既定の32,000字は余裕で超えていたため、インタビューの文字起こしや、細かい内容の加筆修正なんかをしていた時期だ。出願先は上記の四つに決めて、他に御誂え向きの大学がないか卒論の片手間に調べたりしていた。というのも、出願先が決まっても出願時期は先だったので出来ることが限られていたのだ。出来ることと言えば、懇意にして頂いた大学の先生方に「外国の大学院に出願するにあたり推薦状の執筆をお願いすることがあると思われますので、その時な何卒よろしくお願い申し上げます」と根回しをしておく程度で、卒論に集中する他なかったのである。
2020年10月某日
私はいつも通り、早朝5時から始まるアルバイトに赴くために4時半に起床した。強めの可視光線、要はブルーライトで強制的に覚醒を促すためにベッドでスマホを開くわけだが、LINEが一通入っていた。
彼女からフラれていた。
深夜3時頃に送信されていた。
レシートみたいに長い吹き出しであった。
「農家かよ!!!」
脳内でクソデカボイスでツッコんだ。
活動時間が農家である。
その日の夜は友人と立川某所のイタリアンで呑みに行く約束をしていたのでこう言った。
「産地直送の朝採れ野菜みたいに
新鮮な別れ話があるよ!!!」
持つべきものは友である。
楽しい夜であった。
すっかり話が横道に逸れてしまった。院進の話ばかりではつまらないと思ったので書いてみた次第である。我ながら巧い話だと思ったり思わなかったり。「人の不幸は蜜の味」なんて言葉もあるように、私は自分の身に降りかかった残念な出来事をネタにして成仏させるのが好きなのである。はしたない振舞であることは理解しているのだが「笑い話にした方が楽しいやん」と思ってしまうのである。
就職先も進学先もなく大学を卒業…何者でもない期間に突入
90,000字を超える卒業論文を平穏無事に完成させ、持て余した時間を埋めるために興味本位で受講していた科目も無事に修了して、私は大学を卒業してしまった。
在学中の2021年の2月、3月ごろに出願した大学は結果待ちの状態である。
タイトル通り就職先も進学先も決まらないまま卒業し、何者でもない期間に突入したわけだ。主語が大きいのは承知だが、日本において帰属集団というものはアイデンティティの大きな要素なのだと考えさせられた。自己紹介の時も「〇〇大学の△△です」や「〇〇株式会社の△△です」の様に、最初に自分がどこに属した人間であるかを示すことが多いように思われる。私は大学卒業と同時に帰属集団を喪失したので、アイデンティティの在り方に少し悩まされることになる。本当に少しである。ここで大きく悩まないのが私の強さなのかも知れない。粛々と早朝の仕分けバイトを続けた。
それは突然下りてきた!!ありがとう厄祓い。
私は1998年生で2021年が前厄にあたる。信心深い人間ではないのだが一応慣例なので大学を卒業して間もない2021年4月に近所の神社に厄祓いに行った。
厄祓いに行った翌日のことだ。
頭の中に突如として「イタリア」
というワードが降ってきたのだ。
出願先の大学からの返事が中々なかったのもあり、イタリアの大学院を調べる始めるのはごく自然な流れだったという他ない。そして「ミラノ工科大学ビジネスクール」に辿り着くのである。私立文系出身なのもあり、通常ならば「工科大学」という単語だけでアレルギーを催してそれ以上は調べないはずなのだが、私は何かに突き動かされるかのように詳らかに情報を追っていた。そしてミラノ工科大学は私でも出願可能である事を把握した。
※当時の学校名:
MIP Politecnico di Milano
Graduate School of Business
※現在の学校名
POLIMI
Graduate School of Management
ここからは動きが早かった。
教授2人に推薦状執筆を再度依頼した。
お二方とも快諾して下さった。
推薦状の完成を待つ間にさっさと他の書類を揃えて出願準備を整えた。この大学は少し特殊なのか、書類を提出する前に録画インタビューと簡単な筆記の質問があった。
録画インタビューは表示される質問に対して回答するというものだ。2回まで撮り直しが可能だったので質問を確認し爆速でスクリプトを作成及び記憶し、1回目の撮り直しで練習、2回目の撮り直しで完成させて提出した。だって英語苦手なんだもの(汗)。
筆記の質問は問いに対して9分間で自分の意見を書く形式だったような気がする。よく覚えていないので大したこと無かったのだろう。
録画面接で無事に通されたので
指定書類を全て提出して結果を待った。
そしてスルスル合格通知を頂戴した。
厄祓いの効能を感じざるを得ない。
大学を発見して合格を貰うまで
なんと1ヶ月弱、爆速である。
この間にマレーシアの国立マラヤ大学の最終面接を受けていたが、ミラノ工科大学の頭金的なものの入金締切が早かったので、結果を待たずしてマラヤ大学は辞退することにした。イタリアという国に少なからず御縁を感じたのもあった。
というなんとも雑な経緯で、5月12日に
ミラノ工科大学ビジネススクールから
合格通知を頂戴することで
妙な早さでイタリア行が決定した。
人生とは本当に何が起こるかわからない。
第三夜へ続く…To Be Continued…
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