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「僕が見つけた『生きる』という選択」 take2

第1章:誰かのために生きるということ

幼い頃の家族と私

生まれ育った家庭には、静かだが根強いルールがあった。それは口に出されることはなく、生活の隅々に自然に染み渡っているものだった。兄が二人いて、私は三兄弟の末っ子だった。兄たちはいつも何かと忙しそうで、周囲に認められようと努力しているのが見て取れた。小さな私にとって、彼らは「こうあるべき姿」を体現した存在であり、その姿勢を少しでも真似たいと感じていたのを覚えている。

父は特に厳しく、無口な人だった。言葉をあまり交わさなくても、父の存在そのものが家族に対する厳しい期待を表しているように思えた。成績や礼儀、そして他者への配慮、そういった細やかな点に父は注意深かった。母も、特に教育熱心で、私たちが「家族の顔を立てるように」と言うことに情熱を傾けていた。私にとっての「良い子であること」や「他人の期待に応えること」が、家庭で自然と求められるようになっていったのだ。幼少期には、自分の気持ちを抑え込むことが「当然」だと考えたことすらなかった。それが当たり前で、むしろ「自分の気持ちを優先する」という考えは存在しなかった。

「〇〇ちゃんは家族の誇りだね」
幼少期には、こうした言葉が繰り返され、私の心に深く刻み込まれていった。「家族のために、兄たちに遅れを取らないように、もっと頑張ろう」と心に誓い、無意識に「我慢すること」や「他人の期待に応えること」を自分の役割だと感じるようになっていった。

我慢の美徳

ある日、私は学校であった小さな出来事について家族に話した。それは、クラスメイトが困っているのを見て助けた、という些細なことだったが、母は笑顔で私の頭を撫でて「さすがね」と褒めてくれた。それが心に残り、「誰かのために尽くすことは素晴らしいことなのだ」という確信を得た瞬間だった。私にとっては、他人の役に立つことが自分の価値を証明するように思えたのだ。

次第に、私は「自分がどう思うか」よりも「他者がどう感じるか」に意識を向けるようになっていった。何かを決断する時も、行動を起こす時も、自分の気持ちはそっと後ろに置き、誰かが望むであろう形を考えることが常となった。例えば、学校のグループ活動で意見が食い違った時、私は自分の意見を口に出さず、他のメンバーの意見に合わせることを選んだ。時には、自分が納得できなくても、それが皆のためであると信じて行動することが「正しい選択」だと思うようになっていた。こうした行動が積み重なるうちに、「我慢すること」や「自己犠牲」は自然と習慣化し、何の疑問も持たなくなっていった。

家族の中で良い子であること、友人や周囲から信頼される存在であること、それらは私にとって日常の一部であり、それを果たすことが私の「務め」だと考えていた。誰かに対して自分の気持ちを優先することは、まるで自己中心的な行為のように感じられたのだ。そして、心の奥底では「自分はどう思うのだろう?」と自問する声が、次第にかすれていくのを感じていた。

チームのためのラグビー

中学に上がると、私はラグビーという新しい世界に足を踏み入れた。それまでのスポーツ経験は、チームとして協力することを求められることも少なかったが、ラグビーは違っていた。プレー中には、仲間がフォローし合い、必死に相手に立ち向かうその姿に、ある種の美徳を見出すようになった。チームメイトのために自分を犠牲にし、仲間が倒れたときには全力でサポートすることが求められるそのスポーツに、私は一瞬で魅了された。

特に厳しかったのは、練習の度に繰り返される体力トレーニングだった。苦しくても、疲れても、仲間と一緒に耐え抜くことに誇りを感じていた。練習中に息が切れるたびに、「これがチームのためならば」と自分に言い聞かせて奮い立たせた。誰もが必死に耐え抜く中、自分だけが限界だと感じても、その声を飲み込み、チームの輪から外れることを避けるようにしていた。こうしたラグビーの経験は、私にとって「我慢」という美徳をさらに深く刻み込むものであり、自分自身を他者のために捧げる価値観を強化していった。

自分の本音を失うこと

ラグビーの練習が厳しさを増すにつれて、私は自分の感情や体調をますます後回しにしていった。試合に向けて怪我を負っても、その痛みはできるだけ表に出さないようにしていた。チームのために必死に耐える姿こそが「強さ」だと信じて疑わなかったからだ。仲間が同じように努力する姿を見て、自分だけが弱音を吐くことは恥ずかしいことだと感じ、黙々とその痛みを抱えていた。

「誰かのために尽くすこと」が、自分の存在意義だと確信していた私は、こうした我慢や自己犠牲が当然のように思える日常を送るようになった。そしていつしか、自分がどう感じているか、何を望んでいるかという本音は、無意識のうちに心の奥深くにしまい込まれていたのだ。

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