言語の生物学的基盤:マイクログリア
誰も細胞や分子構造を解明していない
「言葉が脳内でどんなモレキュラー(分子)な構造をとるのかは、まだわかっていません」
これは、理化学研究所の馬塚れい子先生の講演会で馬塚先生がおっしゃられたことだ。
また、東大の酒井邦嘉先生の講演会に伺って、チョムスキー派の言語学者が言語獲得装置と言いならわしているものの生物組織が何であるかについて質問したところ、
「言語獲得装置(Language Acquisition Device)が、具体的にどこにどのようにあるのかは、わかりません」
との回答だった。
分子生物学が隆盛している21世紀、すべての生物学的現象は分子構造や核酸配列と結びつけられるはずだ。僕はそう考えて、脳内の言語現象を分子構造とネットワーク現象として、とらえられないかと試行錯誤していた。
海馬でエピソード記憶を記銘して大脳皮質へ
大脳皮質を構成するマイクログリア細胞は、免疫細胞マクロファージである。マクロファージは、「免疫システムの一部をになうアメーバ状の細胞で、生体内に侵入した細菌、ウィルス、または死んだ細胞を捕食し消化する。また抗原提示を行い、B細胞による抗体の作成に貢献する」(渡辺・岡市 2008)
つまり、そもそも脳の大部分は免疫細胞でできているのだ。マイクログリア細胞がマクロファージであるなら、細胞膜上に抗原提示機能をもつはずである。脳内でのマイクログリアの新生は、海馬の歯状回の顆粒下帯と、側脳室の脳室下帯から嗅球上衣下で行われている。そこで五官記憶が核DNAに記銘されるとともに、細胞膜上にインデックスとして抗原が提示される。それからマイクログリアは大脳皮質に移動する。
マイクログリアの抗原は、その言葉を司るBリンパ球の抗体とネットワークする。ネットワークに際して、マイクログリアは名前の記憶を思い出し、Bリンパ球は五官の記憶を確かめる。
これは日常生活で経験する現象と一致する。たとえば、路上で、ばったり出会った古い友人の顔は覚えているのだが、名前が出てこないことがある。目からの視覚入力が、マイクログリア細胞の記憶を呼びさますのだが、細胞膜上の抗原は、Bリンパ球の抗体に認識されないと、自分の名前がわからない。「たしか珍しい苗字だった」、「漢字の読み方が特殊だった」、「ナ行で始まる名前だった」といったネットワーク記憶は思い出すのだけれど、名前はなかなか思い出せない。いくつか名前を言ってみても、ピタリ感がない。誰かに正しい名前を言われると「ああ、そうだった」と思いだすのだ。
脳外科医ペンフィールドの実験
大脳皮質に言語記憶がないことは、脳外科医のペンフィールドも報告している。彼は、カナダのモントリオールにあるマギル大学付属モントリオール神経学研究所所長として、1934年から30年にわたって、脳腫瘍性てんかん患者の腫瘍部分の切除手術を行った。
その際、局部麻酔状態にある患者の大脳皮質の各所に微弱な電圧(0.5~5V)で短いパルス刺激(1ms)を1分間に数十回発する電極を当てながら、患者の反応を記録し、患者の証言を記録している。 写真でみるかぎり非常におおがかりな実験で、人手も時間もかかっただろうに、よくぞ続けたものだと思う。
実験の結果、感覚が生まれたり、運動が生まれたり、記憶がよみがえる様子が報告されている。しかし言葉の記憶はよみがえらなかった。
「おそらく出来事を思い出すという意識作業は,話したり読むための意識作業とは別のものなのだ。皮質を刺激したときに患者が人々の話を聴いたりその話を理解することはできたが、刺激によって患者が話しだしたり、個別の単語を思い出すということはなかった。」(得丸2011)
千人以上の患者を実験して得られた結論は重たい。出来事の記憶は大脳皮質に記憶されているが、言葉の記憶はそこにないのだ。
Penfield,W., Jasper,H. Epilepsy and the functional anatomy of the human brain, Boston Little 1954 (ペンフィールドのことは、時実利彦の本で知ったが、本も時実文庫にあった。トップ画像は本書。患者が何かを思い出すと、それを記録し、その場所に数字ラベルをおいた。)
得丸(2011) デジタルな言語記憶に関する仮説 情報処理学会 2011-NL-200 No.1 2011/1/28
渡辺・岡市、比較海馬学、ナカニシヤ、2008
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