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南アフリカへの旅の準備

切符

 雑誌編集部に飛び込みで電話をする一方で、フライトはどうするか、どこの洞窟に行くのか、お金はどうやって工面するかという現実的な問題を処理した。

 フライトは、アフリカ専門の旅行代理店(道祖神)に電話した。いまどきネットで買ったほうが安いのだが、連休という繁忙期にすんなり切符が取れるとは思わなかったのと、ヨハネスブルグに駐在員を置いているから、何かと助けてくれるだろうと期待したのだった。それに、旅の準備で一番大事な航空券の予約は、絶対にミスが許されないので、専門家にお願いするのが一番だと思った。ほかにやることもあったので、時間も節約できる。

 予想どおり、フライトの予約は、混んでいてなかなか大変だった。結局4月28日土曜日日本航空で香港に飛び、そこから南ア航空でヨハネスブルグ往復することにした。帰国はどうしても連休最終日である5月6日の香港ー東京便が取れないので、連休をつなぐための2日間の有給休暇に加えて、もう1日余分に会社から休みをいただくことにして5月7日帰国の全日空便を取った。切符代だけで約25万円。

 国内線はどうしますかと聞かれたが、「人類のゆりかご」はヨハネスブルグが最寄だから、ほかは要りませんと答えたのだった。

 このフライト・スケジュールが確定して発券指示をしたのが4月16日、支払い期日が4月20日。手元に金はない。九州の実家になきつくことにした。

 

訪問先1 人類がハダカになった洞窟

 旅の準備の二番目は、本から情報を得ることだ。こちらは、自分で本を探して、自分で読むほかはない。

 南アフリカの人類進化についての本は、調べてみようと思い、近くの図書館で、レイモンド・ダート博士の「ミッシング・リンクの謎」(山口敏訳、みすず書房, "Adventures with the Missing Link", 1959)を借りてきて読んだ。

 この本では、オーストラリア人であったレイモンド・ダート博士が、たまたま南アフリカのウィットウォーターズランド大学医学部解剖学教室に職を得て赴任し、そこで初期人類の骨に出会い、アウストラロピテクス・アフリカヌスと名づけたときの話などが、実に生々しく、描かれていた。

 いつどこでどんな人類化石が発見されたかについての知識を得て、これから訪問すべき洞窟の名前や位置についての情報を得ようとしたのだ。正味一週間しか現地にいられないので、無駄に時間を過ごすことはできない。人類がハダカになって生きていたときの気分を味わうためには、洞窟の中に泊まることも辞さない覚悟だったので、そのためにも、訪問する洞窟を特定して、洞窟の管理者の許可を得ておかなければならないと思っていた。

 訪問先2 ゴンドワナを分裂させた巨大隕石衝突跡

 今回は、人類の揺り篭の洞窟群以外に、20億年前の巨大隕石衝突跡で、2005年にユネスコの世界自然遺産に登録されたフレデフォート・ドーム(Vredefort Dome)にもいってみたいと思っていた。

 そこから200kmほど西にあって、今から1億4500万年前にやはり巨大隕石が衝突した跡であるモロケン(Morokweng)にも足を運ぶことはできないだろうかと考えていた。

 どうして隕石跡かという理由は実にあいまいなのだが、ひとつには、ほぼ同じ場所に巨大隕石が二回衝突したことで、ゴンドワナランドが分裂した可能性があると僕は感じていた。近くに行けば何か感じるだろうと思ったのである。

 それと、これらの隕石衝突跡では、磁気異常が観測されている。岩石が強い衝撃を受けて、非常に強力で方向がバラバラな磁場ができたというのだ。もしかしたら、この磁気異常が人類の知能の向上、なかんずく概念活動を促した可能性はないかと漠然と考えていたからであった。

 現場に行って何がわかるとも思っていなかったが、とにかく現場に行ってみたいと思っていた。


おまけ:トップ画像は、アフリカ標高図(USGSの数値地形モデルGTOPO30をGoogle Earthに重ねたもの)に2つの隕石衝突跡をプロットした。

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