パブロフ博士の犬供養 (9)
(9) 免疫ネットワーク
今パブロフは、サンクトペテルブルグ市内にある国民英雄墓地に眠っている。大きな大理石の墓は彼の偉業をたたえるためだ。隣には元素周期表を考えついたメンデレーエフが眠る。しかしいつもここにいるわけではなく、たとえばノーベルの命日の12月10日は、ストックホルムにあるカロリンスカ研究所に行き、その年のノーベル生理学医学賞受賞者の講演を聞くことを楽しみにしている。
パブロフは、フランスのパスツール、日本の北里柴三郎、そしてロシアのメーチニコフらが研究していた免疫学の動向も気になっていた。外界の刺激に対応するという点で、免疫作用は神経活動と似ている。だがパブロフは、免疫学の研究成果が自分の解けなかった謎を解明することにつながろうとは思っていなかった。
パブロフがノーベル生理学医学賞を受賞して80年後の1984年、ロンドン生まれでデンマーク籍をもつコスモポリタン、ニールス・イェルネが免疫ネットワーク理論でノーベル生理学医学賞を受賞した。理論だけでノーベル生理学医学賞が授与されるのははじめてのことだった。
彼のノーベル講演「免疫システムの生成文法」は、言語活動と免疫作用を比較する意表をつく内容であり、パブロフがめざしてした高次神経活動の生理学的分析の延長にあった。
もし免疫ネットワークが条件反射をつかさどるとしたら、条件刺激の受容体も、分化抑制刺激の受容体も、ともにリンパ液のなかを浮遊していて、相互にネットワークしていることになる。条件刺激が与えられたとき、分化抑制刺激の受容体は、抑制任務を確認する。このため分化抑制刺激のあとで餌を出しても涎が出なかったのだ。
それから3年後の1987年、イェルネが所長をつとめていたバーゼル免疫学研究所で免疫抗体の遺伝子構造を研究した利根川進がノーベル生理学医学賞を単独受賞する。利根川のノーベル講演「免疫多様性の体細胞産生」は、免疫一次応答・二次応答のメカニズムを説明した。
新たな刺激に直面したとき、その刺激によく似た刺激の抗体をもつ免疫細胞が増殖する。これが免疫一次応答だ。刺激は似ているが微妙に違うし、意味が違うので、とりあえずの対応になる。(このとき、少し涎が出るのではないか、とパブロフは思った。)
新たな状況に対応しきれていないことがわかると、増殖した細胞の一部は、抗体をさまざまな形に試行錯誤しつつ変化させる活性化状態(体細胞超変異 Somatic Hypermutation)になる。(このとき、条件刺激と同量の涎が出るのではないか。)最終的に新しい抗原とピッタリ結合する抗体をもつ細胞が生まれて、抑制の任務を与えられると、活性化がとまる。(これで涎が出なくなる。)
イェルネと利根川の講演を聴いてパブロフは興奮した。そして、条件反射や言語処理が大脳皮質で行われていないことも、いつか免疫ネットワークとして説明されるだろうと確信した。