専門をもたないことが専門のエンジニア
ロンドンでの僕の仕事は、マトラマルコーニスペース(MMS)という英仏合弁の人工衛星メーカーと日本の衛星製造会社の間の連絡係だった。人工衛星は、大きなGのかかるロケットに乗せて打ち上げられると、温度が周期的に上がり下がりし200度以上違い、放射線が飛び交う、無重力環境で作動しなければならない。一度打ち上げると修理できないため、できるだけ壊れにくい部品(高信頼性部品)を選んで製造する。その部品の製造や検査のノウハウがヨーロッパにはあり、ヨーロッパ宇宙機関が仕様書として公開していた。
マトラのようにたくさんの衛星を製造する会社は、部品調達の部署をもち、部品メーカーとも密接につきあっている。僕の仕事は、マトラの部品調達部署を経由して、高信頼性部品を日本の衛星計画に供給することだった。これはこれで面白いしやりがいのある仕事だったが、いつか衛星システムの人たちと付き合うことを夢見て仕事をしていた。
パリ郊外のヴェリジーにある事務所やトゥールーズにある衛星組み立て工場に何度も通い、いろいろな部署の担当者と信頼関係が出来てきた頃のことだった。北朝鮮のミサイルが脅威となって、日本が偵察衛星を保有するかもしれないという記事が毎日新聞に出たとき、英語版(英文毎日)をマトラにファックスした。すると一度詳しい説明をしてほしいと連絡が入り、初めてパリ16区にあるマトラ本社に呼ばれた。
僕は衛星の技術者と初めて顔を合わせる時、「あなたの専門は何ですか」と聞くことにしていた。この日初対面の、目を子供のようにクリクリさせた小柄な男性にそれを聞くと、「私はシステムエンジニアだ。私は専門をもたない、それが私の専門だ。」と粋な返事を返してきた。狭く深くではなく、広く浅く全体を見通すのがシステムエンジニアだ。僕はこのときとばかりに長年疑問だった「どうしてSPOT衛星の光学センサーの地上分解能を10mにしたのか?」と質問した。その答えは「運用要求」だった。それが何のことかその時わからなかったが、「そうか、運用要求か。ありがとう」と聞いてそのままにしていた。
ロンドンに戻ってから、もし日本が偵察衛星を保有するとしたらどんなことを検討する必要があるか、項目リスト(ワークブレイクダウン)をA-4で8ページ書いて、彼にファックスした。運用要求の項目は、世界平和の監視とした。すると1時間ほどして、僕のファックスに不足している事項を書き入れて返ってきた。ひとつは打上ロケット、もうひとつはドリス(DORIS)というフランス独自の地上からのビーコン信号を使って衛星の位置を測定するシステムだった。
なぜロケット?と思い、彼に直接電話したところ、人工衛星は、設計段階でどのロケットを使って打ち上げるかを決めておかなければならないとのことだった。かつてそれを知らずに設計した独仏共同開発のシンフォニーという衛星は、それを打ち上げる能力をもったロケットがヨーロッパになかったために、打ち上げをアメリカにお願いすることになり、本来やるはずだった実験ができなくなった。この屈辱的な経験があったから、ヨーロッパはアリアンロケットを自前で製造することを決めたということまで教えてくれた。
それ以来、彼は僕を弟子扱いしてくれ、トゥールーズの工場を訪れるたびにクリーンルームで作りかけの衛星を見ながら、衛星の構造や設計のこと、過去どういう失敗があったかといった口伝でしか伝わらない貴重な情報を教えてくれた。あるとき、仕事はなかったが、たまたまトゥールーズにいるから食事をしようという話になった。店で待ち合わせしてもよかったのに、わざわざ工場の受付で待ち合わせして、展示室に展示してあった古い気象衛星について教えてくれた。これは涙が出るほどうれしかった。
しばらくして日本が偵察衛星を保有すると決めたとき、彼はキョトンとして「日本はあのデッカイものをもっていないじゃないか」と言った。僕はこのとき初めて運用要求の意味を理解した。地球観測衛星の運用要求は、大陸間弾道弾ミサイルの着弾確認だったのだ。たとえば戦車砲を打ったとき、着弾確認係が双眼鏡をみて命中していなかったら、「右に100m」と方位を指示して次の弾を撃つ。命中を確認すると「命中。撃ち方止め」といって攻撃を止める。命中確認がなければ戦車砲も大陸間弾道弾ミサイルも意味がない。ミサイルの場合、双眼鏡が役に立たないので、衛星で観測するほかない。なるほど、確かに地球観測衛星を保有している国は、中国やインドを含めて大陸間弾道弾を保有している。
ミサイルは目標に命中させるために撃つものだ。「命中!!! 撃ち方やめ」となってはじめて任務が完了する。他国にある目標への命中確認は、人工衛星にしかできない。言われてみるとなるほどと思うが、思いもしなかった目的のためにランドサット衛星やSPOT衛星は生みだされていたのだ。ミサイルシステムの一部に組み込まれることで、高価な衛星システムは正当化できる。運用要求(operational requirement)という言葉は、作戦要求と訳すほうが適切だ。
僕がアメリカで受けた研修にも、軍事目的の利用は含まれていなかった。地球観測衛星の真の作戦要求に気づくまでに10年かかった。一番大事なことを僕は10年間も知らなかったのだ。
(トップ画像は、フランスの地球観測衛星SPOT)