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パブロフ博士の犬供養(1)

(1) 広瀬武夫の助言

「タケオはサムライだった。」

 パブロフは誰も人影のない自分の研究室のなかでこう独り言すると、自分にとって謎のままである実験結果を講義のなかにもりこむことを決めた。

 1924年、彼は定年を目前にして20年間続けてきた「条件反射」研究を、ペトログラードの軍医学校で連続講義していた。その間、革命が起きてロマノフ王朝が滅び、ボルシェビキが権力を握った。革命後、市民生活も大きく変わり、生活を気にせずに安定した研究生活を送ることは難しくなったが、それでも研究を続けていられたのは、パブロフがノーベル賞を受賞していたからだ。

 条件反射は、デカルトの反射の概念を前提にしている。外界の刺激が五官の感覚器に伝わると神経の興奮がおきる。それが神経線維を通じて中枢神経系に伝えられ、そこから以前に形成されているシナプス結合のおかげで他の導線に沿って作用器官へ運ばれ、その器官の細胞の特殊な過程に変換される。これが反射だ。

 

I.P.パブロフ著, 岡田・横山訳 「高次神経活動の客観的研究」 1979年岩崎学術出版より

 

 条件反射は、それまでになかったシナプス結合を新たに作るところから始まる。パブロフは、有史以前の時代から人間にとって道連れであり、友である犬を使って、条件刺激と名づけた刺激を与えてから、無条件刺激と呼ぶ餌や塩酸を犬の口の中に入れることで、新たなシナプス結合をつくり、反射のメカニズムを科学的に解き明かそうとした。

 その研究成果を公開する講義のなかで、20年間研究したのに解明できなかった謎については、講義内容から外していた。謎が解けなかったことは科学者として不本意であり、恥ずかしい。もしそれが世紀の大発見につながる可能性を秘めているとしても、名声を得るのはおそらく解答を見つけた学者だろう。見ず知らずの学者が名声を得るための材料を提供するほど、自分はお人よしではない。そうパブロフは考えていた。

 いったん講義から外した内容をきちんと説明しておこうと思い直したのは、机の上に飾ってある廣瀬武夫の遺影が「博士、事実を隠してはいけません。あなたの名誉を損ないます。あなたが発見したことの原因がまだわかっていなくても報告するのが科学者の義務です。いつか誰かがあなたの仕事の後を継いで完成してくれるでしょう」と語りかけてきたからだ。

 廣瀬は、パブロフがちょうどこの研究をはじめたころ、ペテルブルグに赴任していた日本海軍の駐在武官だ。廣瀬は留学時代を合わせると、ロシアに6年間滞在した。柔道の達人にして、こよなく詩を愛する東洋の丈夫(ますらお)を、パブロフは気に入り、何度も自宅に招いた。ロシアの文化と自然を愛した廣瀬は、プーシキンの詩を漢詩に訳して見せてくれたこともある。その彼が、露日戦争で我が軍の砲弾の直撃を受けて戦死したとき、パブロフは嘆き悲しんだ。

 彼は自分の研究室に日本からの留学生がくると、必ず廣瀬の思い出を語りきかせた。廣瀬はパブロフの心の中で生きつづけていて、自分の業績をまとめるにあたって、すべてをありのままに包み隠さず語るよう助言してくれた。パブロフはそれに素直にしたがった。

 


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