通信衛星システムを学ぶ
日商岩井からユネスコ、それから日商岩井エアロスペース(ロンドン駐在員)、そして富山の環境財団への転職は、神に導かれるかのようにスムーズだった。ところが富山での3年間の任期が満了になったとき、どこからも誘いがこなかった。とりあえず東京に戻ってブラブラしていたら、当時の妻から、「あなたは絶対どこからか誘いが来ると言っていたけど、こないじゃない。嘘つき」と非難された。
鷹揚の会の読書会仲間に紹介されて、虎ノ門パストラルで開かれた鈴木秀子さんの講演会に行き、鈴木先生と握手をした。翌朝目覚めたとき、誰かが僕の胸の奥をそっと掬いあげてくれたような気がした。行くと運が開けるという話のとおりに、その日、ヨハネスブルグサミットのときに現地で知り合ったシップアンドオーシャン財団の寺島紘士さんから、「海洋白書」というものを新たに出版するので、その事務方を頼みたいというお誘いを頂いた。わずか3か月の仕事だったが、虎ノ門の日本船舶振興会ビルで働かせていただいた。その後は、虎ノ門に事務所を構えるフランス人ビジネスコンサルタント、ボドリ氏のもとで食客のように過ごした。
不安定で低賃金のアルバイト生活を心配してくださった方の紹介で、2004年2月から自衛隊のために衛星通信サービスを提供する会社で働くことになった。地球観測衛星は、宇宙空間から写真を撮影する仕事をするが、通信衛星は地球上の二点間の通信回線を構築するのが仕事だ。通信衛星のほうがシステムとしては複雑であり、たくさん勉強することがあった。しかし、ここでも神の導きがあった。
入社してまもない頃、(今は亡き)日本衛星ビジネス協会の例会でロジャー・タウ(Roger Taur)博士の講演を聞く機会をえた。インテルサットの第五世代衛星やイリジウム衛星通信ペイロードのシステムエンジニアの経験をもつタウ博士は、アメリカの衛星製造会社でシステムエンジニアの養成コースを作った経験を話された。講演後の懇親会で名刺交換し、翌日同僚とタウ博士の会社を訪ねて、公開情報だけを使って、軍事衛星通信システム工学セミナーの授業の提案と見積りの提出をお願いした。
2004年当時、米軍は基地間通信、戦場管理、戦略潜水艦などすべての軍事衛星通信をネットワーク化して統合する時期にあった。ネットワークと無線をどのように組み合わすかが大きな壁で、それを乗り越えるためにそれぞれのシステムエンジニアが一堂に会して、システム工学を統合してさらに複雑なシステムを生み出すためのSOSE(システム工学のシステム化)が始まったときだった。室内で使われていたネットワークの技術を、人工衛星と組み合わせて、巡航ミサイルから戦略潜水艦までの通信端末を結びつけるのは、これまで誰も考えたことのないことで、超絶複雑だった。ネット上には普段なら公開されない貴重な情報が開示されていた。
全部で10回の連続授業は、日本で初めての試みで、社内だけではもったいないと判断した。そこで上司を説得して、株主である衛星運用会社と製造会社、株主ではないが名古屋に複数の事業所をもつシステム会社に聴講をよびかけた。僕は事前に講師から送られてくる英文資料を翻訳して日本語版を用意し、講師の授業を逐次通訳した。そのなかには、デジタル通信技術の要である、誤り訂正符号化理論が含まれていた。この誤り訂正符号化理論や通信理論一般の知識のおかげで、僕は人類言語のデジタル起源に気づき、そのメカニズムを研究する『デジタル言語学』を立ち上げることになる。
2005年10月、会社は国家資格である第一種・第二種陸上無線技術士の資格取得を奨励しはじめた。会社は社内に資格保持者を有する義務があるのだが、経営合理化で資格手当をなくしたために受験者が減って、有資格者がいなくなるという緊急事態になっていた。僕は受験するつもりなかったのだが、技術部の若手におだてられて受験した。受ける以上、合格を目指そうと思った。試験日までの3か月間に、会社でも暇なときには受験対策し、土日は朝6時から夜12時まで、18時間ぶっ通しで自宅の食卓で受験勉強した。
結果、僕は合格したが、僕以外の受験者は全員不合格だった。これが原因だったのか、その後、社内で疎まれ、残業や出張が減ることになった。ひとことでいうと、窓際族ということだ。定時退社が続くようになったので、僕は会社が終わったあと、会社から徒歩10分のところにある東大本郷キャンパスの総合図書館、各学部学科図書館に通うようになる。
(トップ画像は、アメリカの戦略用軍事通信衛星ミルスター。核戦争のときでも通信できるよう、超低速レートをもつ。)