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人工衛星地球観測との出会い

 一年間、フランス語を学んで帰国すると、宇宙開発推進室に配属された。当時、アメリカのランドサット衛星プログラムが民営化され、衛星データの販売会社EOSATが設立されたばかりだった。日商岩井がその観測データの日本向けの販売代理店になり、僕が担当者になった。代理店契約の調印日を見ると、その年の僕の誕生日だった!神様のくださった誕プレだったのか。

 ランドサットデータは、環境、農業、都市計画、資源探査などなんにでも使えるというのだが、具体的に衛星がいつどのように観測しているのか、データはどう使うのかがわからなかった。それらを学ぶために、新規事業を準備するための社内予算を使ってアメリカの会社に研修計画をつくってもらい、自ら渡米して研修を受けた。

 研修は1988年2月から3月にかけて東海岸から南部、中西部を経由して、西海岸までアメリカ横断ウルトラクイズのような旅だった。毎日ホテルを変えて次の研修地に向かう生活をひと月続けていると、「もしかすると自分は生まれてからずっとスーツケースをもって移動していたのかもしれない」と錯覚するほどになった。前衛的なノマドワーカーだった。

 ワシントンDCでの研修初日は、NASAのゴダード宇宙飛行センターでランドサット衛星の指揮管制業務を担当している専門家から直々に、衛星の軌道、通信回線、センサーの仕様と健康状態などについて講義を受けた。

 高度700kmの南極と北極を結ぶ極軌道を回るランドサット衛星の4号機と5号機が、それぞれいつどのようにして打ち上げられ、その後の健康状態がどうなっているか。ランドサット衛星が地表を観測したデータは、衛星搭載のデータレコーダー、世界各地にある直接受信局や静止軌道上の追跡データ中継衛星(TDRS)を経由して、サウスダコタ州にあるデータセンターに保管される。その通信周波数帯とデータ伝送レート。
 当時、運用中のTDRS衛星は西半球に一機しかなかった。東半球用のB号機は、1986年1月にスペースシャトル チャレンジャー号で打ち上げられたが、爆発事故で跡形もなくなってしまっていたから。

 そういった生々しくて複雑で膨大な情報を、資料を見ながら、一日で教わった。若かったこともあるが、僕は複雑なことが好きなのだ。自分がわからないことがあると、細かなことでも納得がゆくまで質問した。相手は専門家だから僕にわかるようにすべてに明解な答をくれた。

 他に衛星データ利用者からの注文受付業務の具体的内容、コダック社が新たに開発したカラープリンター、IBM互換パソコン上で動く画像解析ソフトのデモ、計画中のランドサット6号の仕様と資金計画などの話がワシントンDC周辺であった。続いてアトランタに飛んで画像解析ソフトウエアの説明、シカゴ郊外で野鴨の保護団体が衛星データを生息地である水場の管理にどう使っているかを見学した。

 それから中西部サウスダコタ州のスーフォールズにある、地球観測データの聖地EROSデータセンター。ここに歴代衛星のデータが保管されている。衛星が観測したデータが、どのような手順を経てここに送られて、どんな処理が行われ、どういう状態で保管されるかを教わった。

 最後に、カリフォルニア州サンタバーバラで、ランドサット衛星の搭載センサーを製造した工場を見学した。地上に残されたエンジニアリング・モデルを見て、センサーの仕様や機構を学んだ。余った時間でシリコンバレーを訪れて、パソコン版の衛星データ処理ソフトと地理情報システム(GIS)を販売するヴェンチャー会社を訪問した。この会社に日本の石油資源開発が投資していて、後にそこと一緒に解析ソフトの販売をすることになる。

 これらすべての研修は、衛星地球観測(リモートセンシング)について、衛星やセンサーの製造から、運用、データ受信・処理・配布を経て、データ利用にいたるまで、「広く浅く専門知識を学ぶ」研修となった。これが「システム工学」であり、システムエンジニアはこうやって育てられるのだと5年後に知ることになるのだが、この「広く浅く専門知識を学ぶ」手法が今の僕の研究に大きく役立っている。

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