デジタル信号処理の脳室内免疫ネットワーク仮説 ー 言語獲得装置(LAD)の分子構造 (第2回)
2. 脳室内免疫ネットワークが言語を処理
2.1 IF A THEN Bの回路
言語学者の鈴木孝夫(1956)は,動物社会学者のティンバーゲンの観察結果をもとに,言語の論理構造を可視化している.
図1は,ある視・聴覚刺激の入力が,記憶にあるAであるときに,「Aが入力されたらBをしなさい」(If A then B)と行動を指示する.図2は,少し複雑で,「Aが入力されて,その運動方向がBなら,Cをしなさい」(If A+Bi Then C)の回路である.
鈴木(1972)は「個人がある音声形態と結びつけて頭の中に持っている知識及び体験の総体」を言葉の意味と言った.そうであるならIf A then Bの論理によって,言葉Aが入力されると,呼びさまされる個人の記憶Bが意味である.言葉(A)の意味(B)はIf A then Bの論理回路によってつくりだせる.ティンバーゲンはこの回路を「生得解発機構(Innate Releasing Mechanism)」と呼んだが,それはヒトも生まれながらにもっている脊髄反射回路である.
2.2 パブロフはイヌの大脳皮質を切除した
1904年にノーベル医学生理学賞を受賞した後,パブロフは,サンクトペテルブルクに自分の研究所を建て,30年にわたって100人規模の研究者を指揮して,条件反射の実験を行った.(Pavlov 1927)
イヌに視覚刺激や聴覚刺激(A)を与えた後で,餌(B)を出すことが条件付けだった.様々な実験を行い,If A(条件刺激) then B(餌)という論理が作用していることを,イヌが分泌する唾液が何滴か数えて評価した.
パブロフは,条件反射は大脳皮質上の現象であると考えていたため,「大脳半球のない犬をとってみると,このような刺激に対して決して唾液は出てこない」(第2講,上P46)と予測していた.ところが「手術が大脳半球のどの点であろうと,手術後普通無差別に条件反射はみな消失する.消失期間はさまざまで一日から数週間、時には数カ月に及んだ.」(第19講,下P124)つまり大脳皮質を切除した後,イヌの条件反射は復活したのだ.大脳皮質を切除しても条件反射が生まれたのなら,IF A THEN Bの回路は大脳皮質上にないということになる.
条件反射は脊髄反射と同じ機構を使う.脊髄反射は,大脳皮質で行われていないのではないか.
2.3 ヘロフィロスは脳の生体解剖実験をした
生きたままのヒトの脳を解剖して観察した事例もある.ヘレニズム時代にアレキサンドリアで医学校を設立したヘロフィロス(BC335-269)とエラシストラトス(BC304-250)は,奴隷や死刑囚を対象に生体解剖を行ったとされる.「エラシストラトスは最初の実験生理学者だった.脳と神経を調べたうえで,神経が中空の管で,脳から全身へ「神経の精気」を運ぶと考えていた.」(ルーニー2014)
この霊気説が,精神機能の脳室局在論という考えに発展し,18世紀末まで広く一般に信じれていた.(時実1988) つまり目や耳から入った刺激は脳室を通じて全身に送られる,つまりIF A THEN Bの回路は脳室にあると長らく考えられていた.
2.4 脳室:脊椎動物の脳に特徴的な構造
脳室は脊椎動物の脳に特徴的な構造である.(保2006) 脳室は,弱アルカリ性の透明な脳脊髄液で満たされている.脳脊髄液は,脈絡叢でろ過され,1日に3~4回入れ替わり,非常に低い雑音レベルに維持されている.
これまで脳脊髄液中にBリンパ球は存在しないと思われてきたが,血液中に比べると200分の 1の割合で存在し,活発な免疫応答が行なわれていることがわかってきた.
2.5 Bリンパ球は言語処理能力をもつ
イェルネは1984年に行われたノーベル講演「免疫システムの生成文法」(Jerne 1984)で,Bリンパ球が言葉の記号装置として機能するために必要な条件を全てもつことを指摘した.
抗原と抗体がカギと鍵穴の関係で結びつくことを特異的結合と呼ぶが,Bリンパ球は1000万種類以上の特異的結合ペアをつくりだせるほか,世界に存在するいかなる分子にも対応でき,一度も出会ったことのない分子に対しても対応できる完璧さをもつ.言語の語彙数の100倍規模の記号を生み出せ,まったく見知らぬ新しい記号にも対応できるのだ.
Bリンパ球は,抗体と抗原が互いに認識し認識されることで,記憶を形成してネットワーク記憶を構築する.また,抗体はその一部が抗原として機能し,他の抗体とネットワークできる.言葉と五官記憶のネットワークだけでなく,言葉と言葉のネットワークも可能となる.Bリンパ球が脳室内で自由にモバイルネットワークして,脳室壁や大脳皮質の細胞とネットワーク記憶を構築して,意識や知能が生まれるのではないか.
2.6 脳室内免疫細胞ネットワーク仮説
2.1~2.5までの議論を振り返ると,①言語を処理するためにはIF A THEN Bの回路があればよい.②それはヒトの脊髄反射回路であり,③18世紀末までは大脳皮質ではなく,脳室にあると思われていた.④脳室は血液脳関門によって大きな分子が入り込まない場所と思われてきたが,今はBリンパ球が存在し,活発な免疫応答していることが確認された.⑤Bリンパ球は言語処理能力をもつ.
Bリンパ球は膜表面上に抗体をもつ.抗体がネットワークする相手は,脳室壁と大脳皮質にある抗原だ.「通常、脳室の脳脊髄液との接触面は上衣細胞に覆われている.この上衣細胞の間には脳脊髄液接触ニューロンと呼ばれる神経細胞が存在する.脳脊髄液接触ニューロンとは,脳室に沿って局在する双極性の神経細胞で,一方のノブ状の突起を脳室に突き出し,もう一方の突起は軸索として複雑な神経網を形成してい」(保2006)て,目や耳などの感覚器官が感知した記号刺激をいち早く脳室壁に伝える.この突起が,脳室内の免疫ネットワークを賦活すると思われる.
一方,大脳皮質のマイクログリア細胞は免疫細胞マクロファージであり,海馬で五官の記憶を記銘し,膜表面に抗原を提示して,大脳皮質に着床する.
Bリンパ球の抗体が,脳脊髄液接触ニューロンやマイクログリアの抗原とネットワークすることで,言葉と意味は結びつき,言語を処理することができる.(図3, 表2)これが脳室内免疫細胞ネットワーク仮説である.(得丸2021a)
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