幼少時の経験が、私を投票所に向かわせる
ショッピングセンターで買い物をしていたら、迷子になっている子どもを見かけた。
すでにサービスカウンターに辿り着いていて、館内放送が始まろうとしている頃だった。
自分もかつて「迷子のお知らせ」をするような施設内で働いていた経験があるが、当時から「スタッフとは言え、よそのお子様(迷子)を抱きかかえるのは禁止」とされていた。
迷子さんは、スタッフが見つけて声をかける頃には疲れ果てていることもしばしば。
まだこの世で頼れるのは親だけ、そんな親を見失って大泣きして、周りには巨人の知らない大人がうごめくように往来している。
そんな迷子さんに声をかけ、目線を合わせるためにしゃがむと、特に女性スタッフに対しては当たり前のように抱きつこうとしてくるが、業務としてそれを避けなければならないつらさがある。
迷子さんの横に並ぶように移動して背中をさすり、「お父さんかお母さんを呼んでもらいましょう」とサービスカウンターに連れて行く。
自分が子供の頃、近所の少年野球の試合を観に行ったものの、大人の腰の高さまであるフェンスより背が低かったためグラウンドが見えなかった。
スタンド(客席側)も平面なので、後方に下がったって大人が邪魔でどのみち何も見えない。
観戦を諦めてつまらなそうにしていた自分に、知らないおじさんが声をかけてくれた。
「どうした?迷子か?」
野球が見たいのにみんなが背が高くて見えない、とふてくされている自分を、おじさんは持ち上げて肩車をしてくれた。
地上2m近い高さまで一気に持ち上げられると、これはこれで高すぎてフラフラしてしまう。
それに気づいたおじさんは「おっちゃんの髪の毛、掴んどきな。」そう言って、私の足をガシっとおさえてくれて、ようやく体が安定した。
今思えば、髪の毛を引っ張られて痛かっただろうし、子どもとは言えしばらくの間の肩車も大変だったろう。
おじさんはそんなことには一切触れず、笑顔で「良い試合だったな!」と自分を下ろし、親のいる方へ「じゃあなー!」と背中を押してくれた。
子どもが子どもなりに、「つまらない日」になりかけていたものが「大好きな野球観戦ができた豊かな日」に上書き保存された瞬間だった。
昔ってそうだったよな。プロ野球チームのキャップに適当な服という出立ちの知らないおじさんが声を掛けてきても親も何も言わないし、肩車のせいで見えなくなった後ろの人たちが文句を言うこともなくて。
人が多く集まるような場所ではこうして優しくしてくれる大人がいる一方、習い事の帰り道、夕方の人通りの少ない場所で露出狂に襲われた経験もある。
一部の良くない大人のせいで(上記NHKの取材の中には中学生の加害者もいるが)世の中全体の目が厳しくなり、自分の「野球観戦」のような豊かな経験ができる機会まで失われてしまっている。
冒頭の「抱っこを求める迷子さんを避けなければならない」も、その影響で作られたルールだ。
常々思うことがある。
「罪を犯す者さえいなければ、警察も裁判所も国会議員すらも要らなくなる」(例外はあるが)
その分、今で言うQOLを上げるために働く人口が増え、それこそ豊かな生活をみんなが送れるようになるはずなのに。
露出狂に襲われ、泣きながら帰宅し母親に訴えたら「嘘つけ」と言われて終わった。当時まだ8歳。傷はまだ癒えないし、一生残りそうだ。
国会議員が必要なくなるくらい平和な世の中を作るために、私は選挙の投票に行く。長期的な矛盾を抱えながら。