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退化してタイヤキュルキュル

去年の終わりか今年の初め頃、家を出て駐輪場へ行き、自分の自転車を引っ張り出したら後輪のタイヤの空気が抜けていた。

こういう時、絶対にサドルに乗ってはいけない。

面倒だったが、急遽自転車屋さんまで自転車を押して行った。

てっきり、私が日常的に段差を無理して降りたりしてパンクさせてしまった、もしくはいたずらで空気を抜かれた、の2択しか頭になかったが、プロが見たら「ただの経年劣化でタイヤがすり減っている、パンクではない」だった。

「あっ、私のせいじゃないんですね?雑に扱った私のせいじゃないんですね?」

緊張が緩むと人はお喋りになる。

プロによると、段差を降りまくってタイヤに負担をかけた場合、タイヤの側面が破れることが多い、しかしこのタイヤは地面に当たる中央部分がすり減ってきているとのことで、順当に「たくさん運転した形跡がある」のだと。

「一度空気を入れますんで、これで持ちこたえたらまだ使えますが、すぐにまた空気が抜けるならタイヤ交換になります」

タイヤ交換は少々面倒だ。

パクチーは食べられるが、あのタイヤの香りの中で30分程度待つことは嗅覚過敏の自分にとってはやや苦行だ。

しかも周辺に娯楽施設はない。店の外で30分もぼーっとするのもな。

その日、空気を入れていただいて以降は恐る恐る自転車に乗り、気持ちばかりお尻を上げながら漕ぎ、頼むから空気よ抜けないでくれと懇願しながら自宅に帰ったことを覚えている。



そんな出来事などすっかり忘れていた昨日の日曜日、駐輪場から自転車を引っ張り出したら、またしても後輪の空気が抜けていた。

約半年前の自転車屋でのやり取りが一瞬で回帰した。

時間が遅かったため、自転車を押しながら走って自転車屋さんへと向かう。

閉店まであと25分。

珍しい画だ。

自転車を押しながら私は地に足をつけて走っている。

何も知らない通行人は100%「乗れよ」と言いたくなる状態。

しかし子どもの頃から言われている。

「パンクした自転車に乗ってはいけない」

たしか空気を入れる部品もしくは車輪全体に別の故障の原因を作るからだったような。

空気が抜けたタイヤ独特の、キュルキュルとした音を響かせ、自転車屋へと急ぐ。


そんな努力も虚しく、自転車屋さんは閉店時間前にシャッターを下ろしていたため、間に合わず。

日曜だもんな、みんな早く帰りたいよな。

ハンドルを握り、マスクの中、息を切らせて店のシャッターを見つめ、掲示されているポスターの自転車情報を読みつつ、呼吸を整える。

ああ、少し行った所のスーパーの店外にも自転車の空気入れあったっけ。

今度こそタイヤ交換なのだろうが、まずは一度空気を入れて様子を見なければ。

この自転車屋は閉店とともに空気入れも撤去されていて時間外は使えない。

スーパーの閉店時間まではまだ2時間はあろう。

さらに奥のスーパーまでタイヤをキュルキュル鳴らせながら突き進む。

実はずっと、帽子を被ってるから傘はギリギリ差さなくても大丈夫、程度の小雨が降る中スーパーに到着し、空気入れを見つけた。

いつもは自転車屋が手前にあるのでそこの自動空気入れを使っていたが、スーパー横付けの空気入れは昔ながらの手動ポンプ式だということがこの瞬間に分かった。

ポンプ式の空気入れはもう何年も使っていない。

自分はずっと、何かあれば必ず自転車屋に赴き、タイヤ側の空気入れ部にはめ込むだけで簡単に空気が入っていく機械を使って楽をしていた。


ギリギリ雨は当たらないスーパーの軒下で自転車を停め、後輪と空気入れを繋ぐ。

踏ん張るための、空気入れ側に付いているフットステップとやらを踏む。

ポンプを上から下へ押し下げる。

入っていない。

タイヤに空気が入っていない。

圧力がどう、と書いてあるので、もう少し圧力を加えるか。

もう一度、上からポンプを押し下げる。

あれ、爆発しないかな?

よくよく考えれば圧力とはこういう物だが、空気はタイヤに入っていない、ではこの圧力は今どこに溜まっているのかと考えると、何か設定を間違えている私がケガをするような爆発手前状態なのではと不安に駆られる。

Tシャツに長袖一枚を羽織って丁度良かったはずが、汗が出てくる。

実は自転車屋に走って到着した時点で汗はかいていたが、この手動空気入れの取り扱いが分からず少し冷静に立ち返っている間に、初めて長袖をまくった方が丁度良い体温でいられると気がつくほどに、私は焦っていた。

自動空気入れに慣れすぎて、手動空気入れの扱い方が分からず、まるで頭が退化してしまったみたいだ。

デジタルに慣れすぎてアナログな作業ができなくなっていく人間だな、まるで。


ああでもない、こうでもないとあれこれ触っているうちに、別の部品が外れたり、それを戻すのに上下を間違えたり。

今が江戸時代だったらな。

どうしたんでい姉ちゃん!なんつって声を掛けてきて助けてくれる人がすぐ現れるのだろう。

孤独だな、令和時代というものは。

天気が悪い日曜日の夜、スーパーとてそもそも人がいない。

ああ、江戸時代の天気が悪い20時なんてもはや誰一人通りかからないだろうな。

いやいや、江戸時代にタイムリープしている場合ではない。

私が恐れているのは、圧力をかけて外れたパーツが勢い良く私の脚にぶつかり、骨にヒビが入り、救急車にお世話になることだ。

日曜の夜、完全なる時間外診療。

保険証は持って来ていない。

私が救急車で運ばれたとして、この自転車だってどうするんだ。誰が取っておいてくれるんだ。孤独な令和時代に。

ましてやまともに運転できもしない状態のこの自転車。


自転車の向きを変え、部品が飛んでも自分に当たらなそうな角度を探す。

これなら最悪爆発しても安全だろう。

緊急事態に、みるみる自分本位に成り下がる無様な人間が、ここにいる。

体重をかけて、何度もポンプを押し下げる。

爆発はしない。

はてこの動きは、どこの筋肉に効いているんだろう。

背筋は、こういうポンプ状のものを逆に引っ張る時に使うイメージだが、私は今、押し下げている。

腕だけなら腕の筋肉を使うが、体重をかけているので、肩や肩甲骨の辺りが疲れてくる。

家に帰ったら肩周りの筋肉を調べてみよう。

ああ、また思考がそれてしまった。

今日も筋トレをしてからここに来ている。

筋トレをルーティン化させた人間は気がつくと筋肉のことを考えている。

それはそれで面白いのだが、今は自転車と向き合え。

日曜の夜だぞ。

のんびりしている場合ではない。

何度もしつこくポンプを押し下げているうちに、タイヤを触るとついに空気が入っていることが確認できた。

これで合っていたのか。

さらに体重をかけ、空気入れ側の部品を外し、キャップをつけて元通り。

時間はかかったが、無事に空気が入った。

空気入れを30分も使わせていただいたことだし、この店で買い物していくか。

チョコと羊羹。日米友好を感じるな。

小雨も降ってるし、今日はこの程度で。

スーパーを出て自転車に乗り、数十メートル。

後輪がみるみるへこんでいくのが分かる。

すぐに「乗ってはいけない」レベルまでタイヤがしぼんだ。

行きと同じ、またしても押しながら帰宅することに。

何となくそんな予感がしていたので、冷蔵品は買わなかったんだ。

10分かけて、帰宅。

今日はこれから自転車屋に行かなければ。

タイヤ交換、面倒だなあ。

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