賢さ の多様性
格差のない社会を目指す人、願う人は現実に多くいるが、格差がなければ手に入らない幸せもあった。
公開から33年経った2023年に初めて「プリティ・ウーマン」を観た感想。
弱い立場にあるからこそ、人は少しでも強くなろうとエネルギーが生まれるし、人に擦り寄る賢さを身につけられる。
家柄などが始めから恵まれていたら、小さな達成感を達成感とも思わずに生涯を終えるのか、と思うと、格差とは、と感じることは常々ある。
格差と言うよりもお金の話だが、お金持ちはお金持ちで、盗られないよう守る責任やプレッシャー、周囲への不信感がある分、精神的な格差は薄いと子供の頃からよく考えていたものだ。
ヴィヴィアンのキャラクターはインパクトが大きい。
喋り方、食べ方、座る姿勢、字の書き方、笑い方、
逆に100点満点と言えるほど全ての要素に品がなく、育ちの悪さを見事に表していた。
私が10代の頃、ダメージデニムを履いて表参道のヴィトンに入ったら明らかに場違いを感じて、すぐに退店した経験がある。
映画の中ではヴィヴィアンが高級店に入ると店員から拒否されるシーンがあり、私がこの映画ともっと早くに出会っていたら、私も自主退店することなく、店員さんから声をかけられるまで待ってみただろう。
実業家のエドワードは、そんなヴィヴィアンを隣に置いていることで、同じく富裕層の周囲の人間から白い目で見られるようになる。
日本で感じるような白い目ならまだしも、アメリカ特有の嫌味は心をえぐられる。
日本人が33年経ってもできない(お笑い芸人さんはお上手な方がちらほらいる)時事やその場にある物と絡ませて、遠回しに「やめときな」と、直接そう言われるよりも説得力を持たせる。
「やめときな」とだけ言われれば、思わず「うるさい」と返してしまうかもしれない。
しかし巧妙に比喩を使った言葉を放つことで相手に考えさせる時間を生み、反射的に言い返すことを難しくさせる。
日本人もこうなればな。
「格差を無くしていく」の中に偏差値別で分けられる学校のことは含まれていない。
勉強ができる環境に恵まれている人はどんどん高みを目指していけば良いし、恵まれなければプリティ・ウーマンを見てヒントを得れば良い。
「賢さ」の多様性が広がる社会になれたら。