美談の前提にあるもの
中学3年の頭ごろ、来年どこの高校に進学したいか進路志望届を出さなければならなかった。
自分は甲子園で活躍したかったので、地元有数の野球強豪校の名前を記入して提出した。
第3希望まで書く欄があったが、保険をかけずにその高校一択で提出した自分は男気に満ちている。
担任の先生からすぐに進路相談室に呼び出され、「あなたはこの高校に進学するための偏差値が足りないから他の高校を探しなさい」と。
「野球をするのにそんなに偏差値が必要なんですか?」
全国の高校球児を敵に回す自分の発言に対し先生は、
「は?女子が野球?何言ってるの?」
椅子に座っている自分の腿に目をやった。はっ、スカートを穿いている。
自分は時々、女性であることを忘れて暴走する癖がある。
「じょ、女性でも野球できないすかね。」
もう、負け戦が始まっている。
昨年2021年にようやく高校女子野球の全国大会が行われたが、これはその何年も前の話だ。
「少年野球の経験もないって?そんな素人がスポーツ推薦取れるわけないだろ?」
平成と言えども、地元の少年野球にも一応女子はいた。しかし自分はピアノ教室で技術が開花し特進クラスにいたため、小学生の頃から手にマメを作ることすら禁じられていた。
それどころか少年野球の試合とピアノの発表会はだいたい土日で被る、いやバッティングする。両立は不可能だった。
「じゃあ、えっと、○○高校(第一志望)のチア部に入って甲子園に行く野球部を応援したいんですけど。」
「だから最初に言ったでしょ。偏差値が足りないんだって。」
本気で甲子園を目指したかつての女子生徒こと私のような人間が、境遇の問題で選手にはなれず、でも大好きなスポーツだから近くで支えたい、そのために自己犠牲を払った行為が美談と呼ばれることに、自分は抵抗がない。
本気で野球が好きだからだ。
女子マネージャーとして男子運動部をサポートするためにはある程度学力が必要であることは知られていないようだが(学校にもよると思うのであくまでも自分の経験の中での話)、そんな女性こそ前に出て自らが持つ得意分野を発揮するべき立場ではないかと自分は主張したい。
そして何の強みもない高校に進学した自分こそ、「シャドウワーカー」になって能力の高い人たちの側で感動を共有させていただいても良かったんじゃないかと前半生を振り返らざるを得ない。