ややこしさが生んだ交流
ここのスーパーはとにかくゴチャゴチャしている。
昨今の公園とさも似たり、きっと誰かからの苦情が出るたびにルールを明確にしてあちこちに文言を貼り付けるからこのようになってしまうのだ。
「ソーシャルディスタンス」と言われ始めた頃にスーパーレジ前の床に貼られた "一定の距離を保って並んでくれステッカー" のようなものは引き続き貼られたままだ。
感染症が通年化、常態化していることもそうであるが、やはりレジ待ちの列に隙間があった方が、そこを買い物中のお客さんが横切ることができる。
レジ周りに置かれた商品は、レジ待ち中の手持ち無沙汰な人がつい手に取りたくなりそうな商品を厳選して置いている。
レジ周りにどんな商品を置くかで店の売り上げは多少変わってくるのだ。
そこの商品をレジ待ちの人に限らず通行人までもが気に留めて手に取ってくれるのであれば、喜んで隙間文化を残そう、という戦略が見てとれる。
もちろん「通行人が通行できないストレス」を生まない意味もあるのだろうけれど。
それが故にレジの周りは張り紙も商品も多く、眼精疲労に苦しむ私はつい目を瞑りたくなる光景だ。
そんな私に、後ろから小さなお婆さんが不安そうに声をかけてきた。
「ねえ?ここって現金払いで大丈夫かしら」
たしかに、無数に貼られたり吊るされたりしているレジ前の文章たちの中に「キャッシュレス専用レジ」と「その他レジ」が各レジの前に貼られているが、私だってすぐには確認できないくらいの膨大な張り紙たち。
ましてやこのご婦人は、「キャッシュレス」がどういう意味か分かっていないようだ。
私は現金チャージ+電子マネー払いで既に手元にお札を持っていたので、
「ええ、私も現金払いですよ」
厳密には違うのだが、ご婦人を混乱させまいと、持っているお札を握ってアピールすると、ご婦人はホッとされていた。
瞬時に優しい嘘がつけた自分を私は褒め称えたい。
私のお会計が始まる頃、後ろのご婦人の買い物カゴにふと目をやると、どうやって持って帰るのかギリギリ疑問になるような量。
ご婦人は私のことを信用してくださっている、だからこそもう一つ踏み込んだアクション、
「こっちに乗せちゃいますね」
せっかく一度会話をした仲なのだから、ご婦人のカートの上にあるカゴを持ち上げて、レジ精算台の上に乗せた。
お、重い。
お一人のようだけど、車を運転しそうな感じもない。
どうやって持って帰るのだろうか、などとコンマ何秒で考えていた時、
「助かるわ、ありがとう」
人が言われるととっても嬉しい言葉をかけていただけた。
眼精疲労の症状が少し和らいだような気がした。
今日のスーパーは、数週間前に私がミスをしたまさにその場所。
たまにしか寄らないのだが、行くたびに何かが起こる、不思議な空間。