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三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №9 第三章 興国天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)


復刻版 №9
徹底的に日本歴史の誤謬を糺す 其の弐
神皇正統 第九十七代 第五十一世 興国天皇顕彰
第三章 興国天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)

目 次
第1分冊
第一節 守永親王が皇位を継承し給いし経緯
第2分冊 目次
第二節 「興国天皇」(御名守永)の神風串呂


凡 例

🟢旧漢字は固有名詞等の一部を除き新漢字に変換し、旧仮名づかいは新仮名遣いに変換しました(國→国、ふ→う)。「寺野ちゝ薬師」以外の「ゝ、ゞ」は普通の文字で表記し、卅→三十、廿→二十、拾→十、皈→帰、壽→寿、竝→並などと表記しました。横書き用記述に合わせて「串呂地文連記」の東西・南北の方向を反転した場合もあります。本文中の引用箇所は、「 」『 』【 】で明確にしました。
🟢改行で一行空けるようにし、さらに適宜てきぎ改行を補い、難読漢字にはルビを付し、句読点や括弧かっこ等を補い、見出しを付け、原著にはない串呂図や系図、写真・画像、WEB地図、記号(⛩)、絵文字(🟠)等を挿入し、資料先のサイトをリンクしました。頁数は復刻版独自の頁数で原著とは関連していません。
🟢明らかに誤字・脱字・誤記と判明している箇所は訂正し、個人情報保護の為に固有名詞などの関係個所を一部削除したり簡略化しました。
🟢金ヶ崎神宮→金崎神宮と表記し興国こうこく天皇践祚せんその日を延元二年二月五日と改めました。
🟢三浦芳聖師は、遠祖の人生を追体験ついたいけんする為に一人で何役(尊良たかなが天皇、興国こうこく天皇)も務めたようですが、誤解を避ける為「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体」で統一しました。また「五皇一体」と簡略表記した箇所もあります。
🟢串呂図の地名・住所は最新のものを表記し、本文中の住所も文意を損なわない限り最新住所を記載しました。府県名を省略した場合もあります。
🟢編集上の注記として挿入した箇所は〔編集者注記〕、消滅したり変更された地名は〔現在不明・廃村消滅か〕、地名を特定する為に「高松町〔田原市〕」のように記載し、和暦われき皇暦こうれきの後に西暦を挿入しました。例〔1370年〕。

  串呂哲学研究会 鈴木すずき超世志ちょうせいし


第三章 興国天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)

第一節 守永親王が皇位を継承し給いし経緯

1、興国天皇(御名守永)

神皇正統第九十七代第五十一世「興国こうこく天皇」(御名「守永もりなが」) に就いては、吾が三浦皇統家の系譜には

御父ハ尊良たかなが親王、御母ハ右大臣公顕女きんあきのむすめ藤原清子、(後醍醐天皇第七皇子猶子ゆうし卜為ス)嘉暦かりゃく戊辰つちのえたつ年〔1328年〕九月降誕、延元元年〔1336年〕十月九日後醍醐天皇ヨリ比叡山ニ於テ受禅じゅぜん、正平廿三年〔1368年〕三月廿三日譲位、応永四丁丑ひのとうし年〔1397年〕三月崩御ほうぎょじゅ七十、猿田小高陵さるたこだかりょうほうむル。

と、至極しごく簡単に記してあるのみで、全く雲をつかむようでありました。

結局命懸いのちがけ血みどろの修行に依って、霊感、霊通、霊力に依ってさぐる以外に道無きを知り、実に大正十三年〔1924年〕六月三十日、私が初めて「三浦皇統家の系譜」を拝見して以来、満四十三年有余一番困難を極めました。この為には東北は青森県の辺迄も、日本全国を行脚して探索したのであります。

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