雑記2
これから変わる努力をしなくてはと考えている。
まずは書くことからなのでnoteに。
①焦らないこと
いろんなことを考える癖がある。
あれもこれもと考えると、だんだん焦る癖もある。
焦っても良いことはないので、いつも心は穏やかにいられるように、散歩したり、ドライブをしたりと心の安定を図っていきたい。
年齢を気にするようになっている自分がいる。
時間の流れがあまりにも速くて、年齢を気にするのも焦りからくるものだと思う。
周りと比べたりするけれど、年齢のことは一度忘れたい。
そうでないと、リミットを自分でかけてしまうから。
35歳だからできないとか、何歳だから駄目だとか考えて、ダメな理由ばかり探してしまう気がする。
大人としてあるべき姿、年齢相応のふるまいは当然必要だが、それはもう身に染みている。
何かに挑戦する気持ちや、あきらめない気持ち、何かを欲しいと思う欲求はいつまでも持っていたい。
人生100年の時代だ。
深呼吸して、落ち着いて、着実にやっていこう。
焦らずに、一つ一つの物事を黙々と、淡々と行っていこう。
②無駄をなくす
多動症を持っていると、物事がとにかく多くなる。
そして、その数だけ失敗することも人よりも多くなる。
友人に「SINはなんでも卒なくこなすよね」とほめてもらうことがある。
確かに何をやらせても大体センスはある。
なぜなのか考えてみると、単純に経験が多いからだと分かった。
ADHDと知らずに育ち、興味のあることは片っ端から、とりあえずやってきた。
脳の快楽や報酬系のホルモンが放出されるまでやる。
何かを習得したり達成すると、ホルモンが満たされる。
なので、その物事の技術を触りだけ習得できる。
例えばギターなら、Fコードが難しいのだけど、難しいのが面白くて、できるまで何度も過集中モードに入ってやる。
そしてできるまで繰り返す。
問題は大抵の物事はそこで飽きること。
そういうことを万物で繰り返している。
すると新しい物事の習得でも”コツ”をつかむのが早くなってくる。
だから友人に「なんでも卒なくこなす」と言われる。
まるで”センスがある”ように勘違いされるし、自分でも「僕は何でもできる」と勘違いする。
ただ、本当はそれって他人から見れば”努力”なんだけど、ADHDの人は、努力を努力と思わない。
他の人はどうか知らないが僕はそう。
「努力した」なんて思ってないし、辛くないし、難しいことがむしろ面白くて楽しい。
一言でいえば、他人よりも経験値が高い。
これは間違いなく”ギフト”だと感謝している。
ADHDを障害と気にする人もまだまだ多いが、良い面を見てほしい。
しかしながら、良い面もあれば悪い面もある。
あらゆる物事が中途半端になるし、気が付くと物事が溢れかえっていて、脳の思考回路がごちゃごちゃになって、不注意や問題を起こすことになる。
物事や数が多くなってしまうのは、もう生まれながらの性質なので仕方のないこととあきらめている。
その代わりに、捨てていく癖をつけることだと思う。
それは理性をもって、日々努力していかなければならないこと。
今の自分事として、具体例を挙げると
・無駄な経費や出費がないか確認して不要ならやめること
・目に入る全然使ってない無駄なモノを処分すること
・時々でも脳によぎる心配事や不安事を解消すること
多動症だと、何もなくてもあっちこっちと、思いや考えが湧き出てきてしまう。
自分で言うのもなんだけど、俯瞰してみると、本当に辛いし、かわいそうだと思う。
365日、ずっーーーーっと
「あ、買い物行かなきゃ」「うわ、あれ面白そう!」「そういえば例のお客さん大丈夫かな心配だ…」「次のおばあちゃんの誕生日どうしよう?」
起きている間、ずっとこんな思考回路。
あんまり考えたことなかったけど、これは辛いってほんと。
当人はもちろん普通で自然なんだけど、それは疲れるって。
だからこそ、物事を少しでも減らして、捨てていかなきゃダメなの。
頭の中も、環境もゴミ屋敷になっちゃうんだよ。
だからね、苦手だけど、無駄なモノ、コトは捨てること。
それと同時にリラックスできることをちゃんとすること。
ひとりで考えをまとめたり、note書いたり、温泉入ったり、自然の中を歩いたり、ちゃんと寝たりすること。
頭の中ヒートアップしちゃうからね。
無駄をなくすこと、休むことは、がんばりなよ。
③すぐやること
先延ばしにする癖も本当にすごい。
だからすぐやること。
不燃ごみを出そうと思って、車に積んで3週間くらい経つ。
もう何か書いてる暇あったらすぐやろう、すぐ。
まじで、すぐやること、すぐです。
ということで行ってきます。