『東大卒プロゲーマー』 読書メモ
著者:ときど(プロゲーマー)
※各表題は勝手に付けたもので、印象に残ったところをメモしています。
僕は、僕のすべてをゲームに捧げている。
「ゲームに対する情熱」
僕が勝てるのに理由があるとしたら、それは、誰よりも練習するからに他ならない。
格ゲーの強さに、近道とか魔法のようなものはないと思っている。
いまの僕にとって、勝敗を分けるのは戦略であり、それを手に入れられるかどうかは準備にかかっている。
20年間もの長きにわたって格ゲーを続けてきたが、未だに飽きるということがない。
ゲーム漬けの毎日に、うしろめたさを感じたことは一度もない。
「ゲームとの向き合い方」
僕は、ゲームセンターがどれだけ盛り上がっていても、帰ると決めた時間には必ずきびすを返していたのだ。
後ろ髪を引かれることはなかったし、開かれる大会にも心乱されることはなかった。
「ゲームをしていたのに」東大に合格したのか。
「ゲームをしていたから」東大に合格したのか。
僕は浪人時代を振り返って、自分の場合は後者だったのかなと分析する。
よく、手に入れたいものがわかっているのに、焦りからその他いろいろなものに手を出す人を見かけるが、僕はゲームをしていた経験上、その行為に意味がないことを知っていた。
「情熱を持つことの大切さ」
自分のなかに情熱の火がなかったら、時間もかけられないし、集中もできないし、試行錯誤も生まれない。
元来僕という人間は、人から火を移してもらわなければ情熱を抱けない人間だった。
誰か情熱をもった人がいないと、自分では燃えられない人間だったのだ。僕自身が、自分自身で、1人になっても、生涯にわたって情熱をもち続けられることは何か。
東大を出たからって、何か情熱をもっていなければ、別に何にもなりたくなどないのだ。
ロジックや合理性は、情熱があってこそ生きるもの。
情熱なしにそれらを振り回したところで、何も生み出すことはできないのだ。
楽しいときが一番伸びるんだったよな、勉強も、ゲームも、研究も。
情熱の炎は聖火リレーのようなもので、世代を超え、ジャンルを超えて、人の心に伝播していくものなのではないだろうか……
「ゲームも真剣にやれば得るものがある」
英語が話せれば何億人と話せる、といった英会話学校のキャッチコピーがあったが、僕の実感では、ゲームも同じような役割を果たしている。
他国のプレイヤーや関係者と最前線で協力しあえることは、業界が発展途上にあるからこその貴重な体験だ。
20代でこんな体験ができるのも、やっぱりゲームのおかげなのだと痛感する。
たとえ格下の相手のいうことだからって、上から目線で聞いていたら絶対聞けないようなことがそこには潜んでいる。
本当に強いプレイヤーは、みな「いい人」。
格ゲーとは、取り組む姿勢が正しい人間が勝つ世界なのだ。