見出し画像

東京を諦めない、いいとこ取り移住の鍵は、パーソナルな移動の確保だった

巷でコワーキングやら移住やらサテライトやらリモートやらワーケーションやら、と耳にするようになりつつある単語。ずっともう10年くらいその単語の中に生きてきた人間として、かけることは何かな、と思って綴ってみる。

その中でも、「東京」と「長野」の両方を諦めたくない移住の場合について、一番カナメになるのは「移動」だな、と思う。なので思いを連ねるように、今回は「移動」について書いてみよう。


人権無視の「移動」時間を変えたい

あまりにも見過ごされがちだったのが「移動」という時間。とくに東京の「通勤」や「会社や学校など定められた集合作業場所への行き帰り」の時間は、ほとんど基本的人権を無視した、または人権剥奪装置のような通勤電車地獄、というスタイルで埋め尽くされている。

まるでそれが所与の条件のように皆受け取って生きてきているが、私が「通勤」を疑問視して、会社が作ったルールであっても無視して生きてきて、そして世界中を見て回った。そこで「欧州では基本的人権が守られた距離感で人と人の間隔が保たれるように、公共交通機関は設計されている」という事実や、「一方ぎゅうぎゅう押し込むのはインドの列車」という事実などを重ね合わせて、東京の通勤事情や「移動」に対する価値の置き方が完全に「ある意味、遅れている」ということを痛感した。


「移動」は設計次第で最高にも最低にもなりうる

私は通勤電車が死ぬほど嫌いで、女子校時代は痴漢に会った嫌なトラウマしかない。スーツをきたおじさん等が暴力的にまで他者を無視して席を取り合ったり、人の醜さを毎回見せつけられる戦闘状態。通勤電車の数々の押し合いへしあいの中の、数々の嫌な経験が、私にネガティブマインドを形成していったと思う。

もし電車通勤がさらに快適で、パーソナルで、自分の時間として確保された経験として楽しめていたら、まったく違ったものになっていたと思う。人生の大量の時間をそこで過ごしていたのだから。

画像1

(なんでこうなるんでしょう。冷静に見ると不思議な図です)

だが「移動」という言葉でいうと、「旅」は大好きだ。車窓を眺めて様々な思いを巡らすことや、旅をしながら読書に耽ることや、音楽を聴きながら風景を目に焼き付けて自分の映画みたいな錯覚を覚えることや、まったく出会う予定のなかった人に出会い打ち解け、自分を開示するプロセスも好きだ。

「移動」には、嫌いになる要素も、好きになる要素もあるわけで、どういうモードで「移動」を設計するかによって、その経験は最高の経験にも最低の経験にもなりうる。私たちは「通勤=苦痛でも我慢しなければならないもの」、「旅=予想外のものに出会いワクワクする自分の時間」みたいな形で考えるように教えこまれているのかもしれない。

だけど毎日の通勤が、毎回「旅」として設計されていたら、どんなに人生は豊かだろうか。


「旅」のように仕事する、生活する

そう言われると、いろいろ移動が多かった頃(つまり子どもが生まれ、犬や子どもに定住化を求められる前の頃)、私のモットーは「旅のように仕事する」だった。

Impact HUBのグローバルネットワークにいると、どの国に行っても、大体「Impact HUB仲間」が存在していて、そのコワーキングスペースに行けば、暖かく迎えてくれる。本当に「ああ、家に帰ってきた」というホーム感に包み込まれるのだ。

画像2

(誰の家?って感じのImpact HUB Islington。昔、Angel駅近くにあった頃。)

だから都市と都市の間の移動は旅だったけど、旅先に必ず「ホーム」がある。まるで、ひと昔前のAirbnbが謳っていたような世界観。各所のコミュニティをシームレスに移動し、その間の「移動」は旅である。その旅の間は、予期せぬ出会いに溢れ、常にクリエイティビティを誘発する。

それが私にとっての仕事であった。だから、そう生きていない人の気持ちはわかりにくいのだけど、そう生きたいと思う人の気持ちは非常によくわかる。

画像3

(訪れるとランチに必ず誘われて、キッチンに立たされて一緒に料理することになる、Impact HUBs。親戚の家に遊びにきたかのよう。ここは今はなきImpact HUB Brussel)


移住が引き起こす行動変容の第一弾は「移動への投資」

東京離脱を図った2014年、私の人生に再びたくさんの「移動時間」が舞い戻ってきた。東京へ往復する合計4時間を、どのように使うかが超重要になったのである。

実は子どもが生まれてから、私がじっくりと腰を据えて、誰にも邪魔されず、ものを書いたり、本を読んだりするのは、「自分1人で移動する」時間だけになった。つまり「長野から東京へ行く時間」だ。

東京のオフィスに「移動」する日は、私は、朝8:00に保育園に送るパートナーと子ども達を送り出す。8:15には車で出発して運転して山を降りて、8:55の長野駅発の新幹線に乗る。1時間20分で東京駅に着き、そこからミーティングの場所へ向かう。この8:15から10:15ほどの2時間が、私にとっては朝の素晴らしい生産効率のよい時間だ。

まず新幹線は必ずしっかりと物書きができる席を確保する。必要なら追加料金をいくばくか払ってでも。だから、指定席の「かがやき」が重宝する。作業ができて、それで収益があがり、もとが取れれば問題ない。ここで、一つ、きちんと投資。

自動車への投資も予想外だが効果が高い

それから車の中では、音声認識とディクテーションで考えていることをメモし、誰かと話すためにボイスメモに残す。そして必要なら、その場ですぐに電話をかけて、運転しながらフリーハンドで通話して、その場で解決する。迅速な経営に重要な機能だった。

実は、私は一度、車を大破するほどぶつけたことがあった。産後2ヶ月目、寝不足ピークのど真ん中、ヘルプにきてくれた母を迎えに、長野駅まで降りて行った際、意識が飛んだ。子どもが乗っていなかったのが幸いだったが、本当に怖くなった。

次の車で重視したのが、「車内通話」や「音声認識」の機能だ。車の走行時の静音性がかなり影響するし、スピーカーやマイクの性能がよくないとダメだった。こうして「寝不足でも誰かと話していたり、仕事をしていたり、音楽を聞いている」ことで神経を覚醒させている。だが産後も年月が経つと、意識がぶっとぶ危険性はなくなっていき、気がつくと音声や耳に関係する部分について投資したことが、自分のビジネス上で結構重要な選択になりつつある。車の中で重要な経営決定を何度したことか。

画像4

(運転すると見えるのはこの景色。通勤の概念を吹っ飛ばしてくれるよね)


「隠居」ではない「移住」の鍵は、移動のハック

長野に移住すると「隠居」と思われるのが落ちだったのが、今やご時世が変わりつつあり、「トレンド」になってしまった。ただ「東京」や「都市」の社会的資本との繋がりを諦めるような移住は、やはり結果として「隠居」になってしまう。

田舎に住むことでもっとも得られやすいベネフィットは「パーソナルな空間の確保」だったと思う。コロナでソーシャルディスタンシングを意識することになって思うのは、山奥に住むとだれも半径2m以内に寄ってこないで生活ができる。ほとんどマスクは不要だ。だから政府も会社も、みーんなこぞって「田舎へ住め」になったのかもしれない。

「移動」を苦痛ではなく、「パーソナルな空間の確保」の一貫として捉えれば、可能性が広がる。「移動時間」も生産性を上げる時間になり、「自分だけの時間と空間を確保できるラグジュアリー」になりうる。

そろそろ、「東京や他の都市にも行き来して、集中する社会的資本への接続は諦めず、かつ自分の良質な時間も確保できる」となれば、仕事における投資対効果はバツグンだということに、みなさんも気付くころかな、と思う。

さてそのような移住をする人たちが、今後どれくらい増えるかな?

次のお題は「シームレスな都市と田舎のコミュニティの移動」で書いてみようと思います。次回も乞うご期待!

いいなと思ったら応援しよう!