移住、リモート、ワーケーション....全ては「スタイル」の仮説検証
問いを受けて
2020年8月、私たちはPenというカルチャー雑誌に取材を受けた。そこで初めて、自分たちの「ライフスタイル」「ワークスタイル」が他の人たちよりも特異だということに気が付いた。(取材記者の方から「お二人の事例は今回取材した中でもかなり極端なんで、世の中こんな人もいますよという例ですね」という正直なコメントを頂いた。)第三者の目線というのは重要です。
さらには、こんな問いを受けて、自分が言葉に詰まることも感じた。
「今の政府が打ち出すワーケーション、どう思いますか?」
うーん、と言葉を詰まらせながら言ったのは、「ワーケーションの定義がよくわからない」という、その場しのぎの言葉であったが、それよりも、私が違和感を感じたのは、自分たちが選んできた選択肢の”在り方”が違ったのだな、ということだった。
つまり、「ワーケーションをしよう」「移住をしよう」「リモートワークをしよう」という回答を見つけようとして今の状態に至ったのではなく、「自分らしいライフスタイル、ワークスタイル」を模索しているうちに、それが他人から見れば「移住」「リモート」「ワーケーション的働き方」に至っただけであったのだった。
可逆的じゃない
だからと言ってはなんだが、「移住」「リモート」「ワーケーション」がトレンドや社会事情と一致しなくなったら、我々はもとの働き方に戻るのか?、と言われたら、そうではないのだ。
一度起きてしまった変化をもとに戻すことができない。可逆的じゃない。
私たちは「自分らしいライフスタイル・ワークスタイル」を見つけたのであり、それは前に進み、変化を成し遂げ、もう細胞レベルでもとに戻れない。
だから、私の言いたかったのは、
「え、皆さん、政府がワーケーションしろっていうからワーケーションという回答に到達するの? (そうじゃないでしょ、スタイルでしょ?)」
であった。
ファッションのような自己表現スタイルだ
(現在の移住先、飯綱高原の土地に最初に降り立ち、購入を検討していた時)
私は起業も自己表現の一つだと思っているし、ビジネスを起こすことも、人が自分の人生の中で自分の存在を世界に表現し残す行為の一つだと思っている。
だから、「どんな働き方を選ぶか」「どんな場所で生きるか」「どんな仕事の仕方をして、どんな風に他の人と協働するか」というものは全て、スタイルだと思う。
私たちは2人で、どんな仕事を、どんな人生を、どんな家族を、どんな場所で、作っていきたいかを毎日話している。だから、自分たちが2人というユニットで、または、犬2匹と、子ども2人という6つの命というユニットで、「どんな人生にみんななっていきたいか」を常に話す。
そうすると例えば、「なんとなくこの山は自分たちのスタイル的に違う」とか「こういう通勤スタイルって自分たちにはダサい」とか「こういう仕事のあり方って、自分たち的にはかっこいいと思える」みたいな、感覚やセンスのようなものが一番最初に働くのだ。
生理的に受け付けないから避けてきた
例えば、私はノマドワークしかしたことがない。2004年に学部を卒業して院に通いながら、NGOのデジタルキャンペーンを担っていた時も、2006年に大学院を卒業しシンクタンクに入った後も、一度も「槌屋さんの机」を持ったことがない。
常に机はシェアだし、ホットデスクだった。毎日同じ机に向かう、同じオフィスに向かう、という生活は、私には苦だった。生理的に受け付けないのだろう。だから、「スタイル」として、そういう働き方をする職場では働かないように選択してきた。その毎日が、私の今のスタイルを作ったのだと思う。
2009年以降、それが日本国内を動き回る、ではなくなり、世界中を動き回るに変化して、先進国も途上国も全部動き回った。それ以来、ずっと飛行機の中も、空港のラウンジも、カフェも、タクシーの中も、山の中も、キャンプ場も、途上国の農村部の焚き火の脇も、どこもかしこも、「ワークスペース」である。
そして、パートナーも根無し草が平気な人であり、世界中どこもかしこもワークスペースにできる人だった。私たちは2人ともglobe trotter(グローブトロッター)で大丈夫だった。
(インドで仕事をしていたころ。)
新しいユニットの追加と仮説検証のはじまり
だが、子どもと犬はそうはいかなかった。子どもは特に0ー3歳は定期的な習慣、同じことの繰り返しが安心を生む。また、犬も、毎日同じことの繰り返しが精神的安定の基礎となる。
子どもと犬のユニットが追加された時、私たちは「仮説検証」を始める必要がでてきた。何ならOKで、何ならダメか?どこまでがリスキーで、どこまでは許容できるか。私たちのように「こっちを我慢すればこれが得られる」みたいなロジックが通らないため、許容範囲を見つけていくことは、家族の精神的安定を求める上で、とても重要であった。
人生をアジャイル開発①軽井沢へお試し引っ越し、でリスク最小化
まず、子どもはまだ生まれていなかったが、東京から軽井沢への引越しが発生した。子どもを意識し始めたこともあったし、東京での過密スケジュールと仕事中毒で私自身の体調が悪くなったことがきっかけだった。持病のアトピーが過去最悪の状態に達し、「こりゃあかん」という危険信号を体中が発していた。
そこで「背水の陣」策をとることにし、まず東京の生活拠点を無くす。仕事拠点である、起業家のコミュニティの経営は続けるし、そのために社会的資本の繋がりは残ったままにしてある。(これが後々とてもよかった)
軽井沢という、東京24区とまで呼ばれる東京の延長線上へ、まず賃貸引越しである。我々からすれば、とてもリスクを最小化した気持ちでいるが、多くの人はその時点で「移住!」とびっくりされたものである。
(軽井沢で最初の移住生活を楽しむ。犬たちが駆け回る草原と空を見て、間違いないと感じた。)
軽井沢が自分たちのスタイルに合うか
2015年から2017年までの合計3年弱、私たちは何度も何度も、「軽井沢」が自分たちのスタイルに合うかを問うた。東京まで1時間の距離感、小ぶりな区画だが趣のある佇まいの別荘たち、素敵な食事のできるレストランや文化度の高いコミュニティ、教育熱心な人たちや芸術家たちの住まい。私たちは大方満足はしていた。
だが、家を買うという話になると変わってきた。東京24区と言われるだけあり、地価は他の長野に比べると高く、区画も小さく、東京から出てきたのに「広々した」面積を手に入れるにはネットワークも資金力も必要だった。また、今後の発展を考えると町長の政治は危うかったし、隣の佐久市の方が魅力的だった。観光客で夏はどこも渋滞する。
こうした「コスト」を抱えた上で、得られる「メリット」を考えた時、それらを天秤にかけて、私たちの「スタイル」に合うかを考えた。
そして、答えはNOとなった。さっそく、次の土地を探し始めた。
人生をアジャイル開発②「土地を買う・所有する」をプロジェクト化
私たちは2年の間、毎週末、長野県内を上から下まで、隈なくクルマで視察にいった。グーグルアースの衛星で、「この地形なら自分たちが好きそう」と言った具合に見つけるのである。だから、検索やなんとかランキングで上位に上がるような場所ではなかった。秘境のような場所や、まとめて売りに出ていた村や集落もあった。日本には変なものがたくさんある、という裏事情を知るに至った。
シェアリングエコノミーが大躍進!という時代において、私たちは「所有」に立ち返ることにした。私自身、社会主義・共産主義思想を大学院では研究してきて、「所有」の概念については様々な思いがあるわけだが、「1人の人間が所有したものを、プロジェクト化して、多くの人の財産(コモンズ)へと開示していく」プロセスというのは興味があった。
同じ世代の人たちは資産形成を気にし、都内の中古マンションを購入する。我々は、資産と呼べるのか呼べないのか分からない、山奥の値下がりが続く敷地を購入する。だが、未来はそこにある。その土地で、何を作るか、何を立てるか、どんなプロジェクトを起こすかだ。未来の価値は我々の手で作る。
もう私たち2人には、土地は不動産資産、ではなく、プロジェクトのアセットであり、わくわくするリソースにしか見えてなかった。
そして、そういうものの見方が、自分たちのスタイルだと思う。
(Penの取材を受けた際の私のパートナー。オープンすぎる場所ですが、書斎。)
なんでもプロジェクトであるーそれが私たちのスタイル
ここでは子育てもプロジェクトだし、庭をどう開墾するかもプロジェクトだし、自治会との付き合い方もプロジェクトだし、地元のみんなとするバーベキューも一大プロジェクトだ。一つ一つ、試行錯誤して、楽しい。
このプロジェクトの一つ一つに、「〜〜さんを巻き込んだら楽しそう」とか、「〜〜さんのアートや作品や知識や経験を入れてもらおうか」とか、誰にお願いするかを考えるのも楽しい。楽しいか楽しいか、肌に合うか合わないか、生理的に受け付けるかどうか。それでスタイルを選んでいく。
これは仕事の仕方も全て同じで、仕事も全てプロジェクトとして見ている。いろんな人の力を借りて、いろいろな場所やリソースを活用して、その時に一番面白いものを生み出せるような、エネルギーの集約が必要。
そのエネルギーを、オーケストラするのが、私たちの役目。そういう仕事のスタイルに、いろいろ模索して定着したのだと思う。
仮説検証はまだ続いている。全ての小さなプロジェクトの一つ一つの、全ての過程、段取りの中に、仮説と検証の交互の関係が緻密に設計されていて、綿綿と続いている。こうやって「仮説検証の連続」をし続けることそのものが、私たちのスタイルでもあるのだと思う。
移住やワーケーションを選ぶ際に「スタイル」の吟味を
猫も杓子も、皆が右にならえと言ったら右に向く。そんな形で、移住だ、ワーケーションだ、テレワークだ、リモートワークだ、が大騒ぎになって、こそばゆい。
せっかく「どこに行こうか」吟味するのだったら、この時期を「自己分析」に当ててほしい。自分のスタイルの分析、自分の個性と価値の分析に。
むやみやたら、「とにかく田舎に来ました」みたいな人たちが増えるよりも、「自分のスタイルを模索してここにたどり着きました」という人たちが、住民として、または関係人口として、地方や地域に増える方が私は嬉しい。責任のある移住、責任のあるワーケーション、とはそういうことなのかもしれない。
次の記事も書きます。
「次の時代は必ず移動の価値が変わる、だから移住ワークのススメ」へ(予告)
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