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【朗読台本】雨が止む前に

 目が覚める。僕の隣に彼女はいなかった。
 それは安堵だった。だが、頭が冴え始めると自分がただ悪夢を見ただけだったと分かった。
 ならば、彼女はどこへ行ってしまったのだろう。
 何も言わずに消える人ではない。
 それに、僕らは昨日初めての夜を迎えたばかりだ。
 今日は特別な朝。隣には照れ笑いを浮かべる彼女がいるべきだ。

 僕はベッドから起き上がる。
 彼女にとって、僕は最初の男だった。シーツに血がついている。だが、その色がピンクに見えるのは気のせいだろう。
 部屋が妙にドブ臭い。それもきっと気のせい。
 窓を開けると、じっとりとした湿り気が流れ込んでくる。
 今にも降り出しそうな空。梅雨らしい天気だ。
 それから数時間経ったが、彼女は帰ってこなかった。
 彼女の実家は隣町の山奥と聞いている。もしかしたら、ご両親に何かあったのかもしれない。
 実家を訪ねてみよう。
 僕は身支度を整える。

 彼女は不思議な人だった。
 今時、スマホを持たず、時間感覚があまりにルーズで、そして、雨の日にしか現れない人だった。
 ――雨が止む前におうちに帰らなきゃ。
 彼女の口癖だった。
 ――変わったシンデレラみたいだね。
 僕の言葉に、彼女は首を傾げた。シンデレラの意味が分からないようだった。
 本当に何も知らない人だった。
 だが、だからこそ、その無垢さに僕は惹きつけられたのだ。

 車のキーを探しているうちに雨が降ってきた。
 彼女と出会ったのも、こんな鬱陶しい雨の日だった。

 残業帰りの暗い畦道。
 不機嫌な僕が運転する車のヘッドライトが照らし出したのは道の真ん中で踊る女性だった。
 クラクションを鳴らそうとも、その女性は道を譲らない。
 雨の降る空を見上げ、くるくると踊る。緑のスカートがやけに鮮やかだった。
 それが彼女との出会いだった。

 どこまでも不思議で、たまらなく愛しい人だった。
 彼女のすべてを愛していた。だから、何だって受け入れられる。
 隠し事の多い彼女の柔肌に触れながら、僕はそう告げた。
 彼女の身体が強張る。そして、深刻な表情で言う。
 ――実は、私、蛙なの。
 僕は目を見開いた。そして、笑った。
 あまりに滑稽で、可愛らしい冗談だった。そう思っていた。
 目の前に巨大な蝦蟇が現れるまでは。

 どこからが夢なのだろう。
 滑った肌、逃げ惑い包丁を持ち出した僕、手に残った妙な弾力。
 ああ、そうだ。すべて夢だ。

 やっと見つけ出した車のキー。
 僕は外に出る。

 黒いコンクリートの駐車場にピンク色の汁が飛び散っている。
 死にかけのイボガエルが僕の元へ這い寄ってくる。

 車に乗り込む。アクセルを踏む。
 僅かな弾力がタイヤ越しに伝わってきた。

 さあ、彼女を探しに行こう。
 雨が止む前に。

【了】

***

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