生まれる奇跡、生かされる奇跡を大事にする
『人生を左右する分かれ道を選ぶとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。
ほとんどのことが-周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖など、
そういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。
自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。
人とは脆弱なものです。
自分の心に従わない理由などありません。』
(スティーブ・ジョブズ II 、ウォルター・アイザックソン)
こんにちは😊
みなさんは、「死の宣告」をされたことがありますか?
私は2度あります。
2回とも「手術中に亡くなるかもしれませんので、覚悟をしてください」でした。
1回目の時は、長男がまだ1歳になる前のことです。
我が家は実家も嫁ぎ先もまぁ〜ネガティヴが揃っていたので、宣告された私が家族にどう話すかをドクターと話し合いました。
とりあえず、手術のギリギリにドクターが主人に伝える。
それ前は私が家族に「全然簡単な手術だから」と伝えたのですが、母は「しのぶは癌でもうダメだ」と私の前で号泣。
癌とか重い病気とか全く伝えてないのに、この決めつけで一気に空気は
「チーン」です。
家族には「とにかく大丈夫だから、みんなが私を元気づけてくれなきゃ〜」と立場逆転で励ましていた私。
ですが、実際、乳飲み子を残して…を考えなくてはいけない。
もし、助かっても後遺症は顔に出て左顔面の神経もなくなり、筋肉もなくなるから顔が崩れるとも言われていました。
そうなると、妻、母として私は何をする?
①離婚届の用意
②息子が小学校6年の誕生日までの手紙の用意
③遺言書
全て入院までに用意をしました。
①はもし助かって後遺症が出た場合、息子が私の顔のことでいじめられないようにと考えたのです。
②は私が亡くなった場合、母として息子に伝えたいことを記しました。
③は主人に向けて、再婚を考えて欲しいけれど、必ず長男を幸せにしてくれる女性にして欲しい。
2回目の宣告の時は子供たちが成人してからです。
この時は、家族それぞれに手紙を用意しておきました。
(この手紙も生還したので捨てました(笑))
おかげさまで、いろいろな後遺症は残っていますが、いちばん大事な命が残され感謝です。
この体験から、今すべきこと、気なることは後回しにしてはいけないということを痛感しました。
「今さら」
「もういい歳だから」
「何か言われるから」
「笑われたら」
そんなのは捨てちゃいましょう!
一度きりの人生を思いっきり笑って、生き生きと過ごすか。
下を向いて「あ〜あの時やっとけば」を口癖にするのか。
私は笑って過ごしたいし、楽しんで過ごしたい。
そして、それを周りにも伝染させていきたいです。
生まれてきたこと、生かされていること、
全てが「奇跡」です。
大切に、有意義にいきていきましょう。
心を整えて笑顔で前に進んでいきましょう!
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