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統合失調症に翻弄される人生⑥入院4
またトキが経った、けど、始めてしまったからには最後まで書いておこうと思っているこのシリーズ。
私が20代半ばで母が3度目の入院。
行政系のセンターの完全なる牢屋タイプに一年と少し居ただろうか。
牢屋は一見で入れてくれてとても良かったのだけど、アクセスが悪かった。
退院することになり、私が迎えに行った時、病棟患者の人々から物凄く好奇の目で見られたのを強く記憶している。
なんでだろう。それは今でもわからない。
ひとりパジャマ姿のおばちゃんが居て
「またすぐくるでしょ、じゃあね」
と可愛らしく母に言った。
ここにはここのコミュニティがあって生活している人がいる。
決して出れなくて可哀想、と思うのはちょっと違うのかもしれない。
結果的に母はその後発病入院をするが、ここに来ることはもうなかった。
おばちゃんはまだ入ってるのかな。
また日常。
私は会社を辞めて近所の花街で芸者崩れになった。
ここならいつ母がおかしくなっても休めるし融通が効く。
そして翁との出会いと翁との日常。
翁企画で母とふたり旅行によく行った。
ある日母がうちに来たときに私が処方されている眠剤や安定剤を見た。
どうやらそれがショックだったらしい。
そもそも高校生のときに内科で眠剤を貰ったのをキッカケに10代半ばから私には欠かせないものになっていた。
ちなみに43歳の今も飲んでいる。
飲んでなかったのは妊婦の頃だけだ。
そのあたりから母は徐々に崩れ始め、発病の兆しが見えてきた。
今回のターゲットは私。
生活の全てがおかしくなっているからちょこちょこ実家に行くのだけど、育て方を間違えた、産まなければ良かった、など罵られた。
かなりキツかった。
本気で怒ろうと何度も思ったが耐えた。
翁にはまだ言わなかった。
言ったら大事になるに決まっている。
いよいよ入院させられるな、と思うほどおかしくなった。
兄は仕事なので私ひとり罵倒されながら支度をし、病院へ向かった。
前回退院した後、市内の入院施設のある精神病院に外来で通わせていた。
なのでそこに入院させてくれと前々から頼んでおいた。
タクシーの中で運転手さんに悪態をつき、まぁ、行き先が市内最大の精神病院だからわかってくれただろう。
でもごめんなさい。
到着してからも支離滅裂な言動を繰り返し、勘弁してくれと思った。
やっと診察。先方にはそのまま入院させることを伝えてある。
医師「調子悪そうですね、どうしました?」
母「(私を指差し)全部コイツのせいです」
悪意しかない顔と口調でそう言った。
私は何も言わなかった。
ただただ先生と目を合わせた。
コイツのせいですって、なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ?
病気だからしょうがないとずっと思ってたけど限界。
診察室を出てトイレに入って少し無になった。
ふう、そして入院手続き。長い。
母は暴れ出した。入院なんてしたくないと。
もちろん医療保護入院。
看護師さんたちも手に負えないので前回のセンターの牢屋的な拘束室行きになった。
ひとりのスタッフの方が私の目の前に手のひらをかざし
「ご覧にならない方が良いかと思います」
と。
そう、ここは民間の病院だからそういう配慮があった。
しかし、前回行政のセンターでもっと酷いところを目の前で見ていたので、ああ、なるほど、と思った。
手足を拘束ベルトで固定され、しまいにはさるぐつわ。注射もされてたかな。
民間ではその姿を見ることはなかった。
諸々が終わり、どっと疲れた。
携帯を見ると翁からの着信が何度もあった。
でもその日は何もしたくなかったし、一刻も早く東京に戻りたいと思った。
数日後、私は五反田の社会保険事務所に行き医療費限度額なんちゃらの申請に行った。
その頃は翁が所有するひとつの会社の社員になっていて、母を扶養にしていた。
申請中、電話が鳴り、やはり翁だった。
出ると今起きたところだったらしい。
「大丈夫か?」
深刻に私に問う。
母の事は何も言っていない。
「何がですか?」
「お前が風邪を引く夢を見たんだよ、心配になって急いで電話したんだ」
なんだか私はそれまで緊張状態だった身体の力抜けて笑ってしまった。
「私は大丈夫ですよ」
たしかそのあとランチをしたのだけど、母の病気のことを初めて翁に話した。
案の定、俺が良いお医者を見つけるから待ってろ、そんな事を言ってた。
実際見つけて何人かのお医者に会いに行って、翁が深々と頭を下げていた。
ホントに優しい人だ。
この時もやはり2年弱だっかな、母の入院生活は続いた。
病気だから仕方がないのだけど、ロックオンされた人は物凄く傷つく。
私もよく夫を傷つける。
そして夫もあの日の私みたいにグッと耐えてる。
私たち母娘は極悪である。
もう少し続く。