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「カモメと富士山」15

  ジョージと共に、語学兵として占領期の日本にいた二世に解説してもらいながら、全米日系アメリカ人博物館の展示を見た。渡米から定住、収容所、軍務、再定住、補償請求運動までの展示は、マンザナ―で聞いたカズヤの話と呼応し、鮮烈な印象を残した。余韻が冷めないまま博物館を出ると、陽光が全身に刺さるようにまぶしい。

 リトル・トーキョーを歩いていると、カズヤと祖母の関係への疑念を思い出してしまう。今のところ、私のなかで燻っている仮定に過ぎない。だが、口にしたら相手の中でも動き出してしまう。それが、関係する人を傷つけるかもしれないと思うと、安易に口にしてはいけない気がする。
 だが、ジョージはマンザナーへの途上で、今思いついたことを装うように、帰国後のカズヤが日本の誰に手紙を出していたのか尋ねた。ジョージも何か気づいていると考えてよいだろう。

 ジョージが頭1つ上から私を覗き込み、ルパン3世の口調で尋ねる。
「ふーじみちゃん、どうかした?」

 私はガラス張りの博物館を振り返る。
「日系アメリカ人は、これほど立派な博物館を建てるまでになったんだと感慨深かった。彼らは辛い経験を隠さず、共有することで、アメリカの市民的自由を守る力につなげている。隠さなくてもいい時代を勝ち取ったんだね。 私が言うのは、おこがましいけど、日本人の血を引く者として誇らしく思う」

「そうだね。この博物館がヘイトクライムに遭う時代が来ないことを祈るよ」

 会話が途切れ、あのことを尋ねるのは今だと思った。口に出そうとすると、にわかに心拍が上がり、緊張で口の中が乾いていく。東本願寺ロサンゼルス別院が見えてきたころ、意を決して口を開く。

「ねえ。カズヤさんがアメリカに帰った後、日本に引き上げる人に、日本で投函してほしいと手紙を託したと言ったよね?」

 隣を歩くジョージの身体が微かに強張る。張り詰めていく空気を破る勢いで尋ねる。
「日米の郵便事情が悪いなか、カズヤさんは、誰に、何のために出していたと思う?」

 ジョージは歩みを止めず、前を見据えながら口を開く。
「二年前、グランマのユキが亡くなった。葬式の後、グランパの家に親戚が集まって食事をしたんだ。グランパが、ある親戚を空港に送るために席を外したとき、大叔母のエミーがそのことを口にしたんだ。そしたら、大叔父のシグが、兄さんは日本に恋人がいたからだと言っていた。すべて大昔の話だからということになって、別の話題に移ったから、それ以上はわからない。 ずっと、そのことは忘れていたんだ。けれど、富士子さんの話を聞いて、気になりだした……」

「カズヤさんの恋人は、私の祖母の富士子だったと思う……?」

「わからない」

「カズヤさんと祖母に身体の関係があって、私達が同じ血を引いているということはないよね……?」

「それはないと思う。もし、そうなら、グランパは俺と富士美が付き合うのに反対するはずだ」

「カズヤさんは反対しなかったのよね?」

「うん。グランパは、俺が富士美を恋人にしたと報告したら大喜びして、絶対に不誠実なことをするなと念を押した。
 でも、グランパが富士美と俺の交際に、執拗に口出しするのが気になるんだ。上手くいってるか、大切にしてるかとしつこく聞かれる。富士美と気まずくなったと聞くと、修復に乗り出してきた。今までの恋人のときは、1度も口を出したことはなかった。親友の妹の孫だからかと思ったけど、別に理由があるのかもしれない……」

「私が祖母の話をしたとき、カズヤさんが何度か感極まるような反応をしたのを覚えている?」

「もちろん。俺、富士美が、自分はお祖母さんの富士子さんに似ていると言ったとき思ったんだ。グランパは、君を通して富士子さんを思い出していると考えると辻褄が合う」

 淡々と語るジョージに、収まらない感情が湧いてくる。
「2人が付き合っていたのが本当なら、私たちは結ばれなかった2人の思いを満たすために、結ばれなくてはならないということ? あなたは、そのことを何とも思わないの?」

 ジョージは眉をかすかに上げ、淡々とした口調で答える。
「俺は、そういうことにこだわらない。俺は富士美に一目ぼれした。だから、すぐにアプローチして恋人にした。それだけの話だ」

 彼の反応に、振り上げたこぶしの行き場を失くしたような気持ちになる。それでも、燻っている違和感は収まらない。

「2人の叶わなかった恋のために、私達が代わりになるっておかしくない? 私は、祖母の思い残しのために、英語が好きになるように育てられて、アメリカ留学して、外交官になるように誘導されてる気がする。祖母に私の人生を支配されているようで気分悪い!」

「ハニー、落ち着いて。俺は富士美が好きだから付き合っている。富士美は、そうじゃないの?」

「もちろん、私も同じだけど……」

「それなら何も問題ない。俺は、ふーじみちゃんを愛さなくなったら、グランパが何を言おうと、おさらばするぜ。ふーじみちゃんだって、そうすればいい」

 あっさりと言い切られ、彼は私よりずっと自由で、柔軟に物事を捉えていると気づいた。

「君の人生は君のものだ。外交官になるのが嫌なら、止めればいい。誰も君を縛りはしない」

「でも……、祖母が悲しむ気がして」
 祖母の夢は、エリート志向の私の願望と重なり、刷り込まれるように私の夢になった。それに沿って人生を進めてきたので、なくなると自分が空っぽになってしまう。

「富士子さんは、可愛がっていた孫が幸せではないと悲しくなるんじゃない?」

 その答えは永遠に聞けない。彼女が世を去ったいま、こだわっているのは私だけかもしれない。そう思うと、祖母とカズヤに何があったとしても、私達は私達だと割り切っていい気がしてくる。

 ジョージがすぐ隣にそびえる建物を指さす。
「ちょうどいい。エミー大叔母は、あそこに見えるリトルトーキョータワーに1人で住んでいる。何か知ってるかもしれない。今から訪ねてみないか?」

「急に訪ねて大丈夫? 初対面の私まで……」

「じゃあ、俺が電話で聞いてみるよ」

 ジョージが一部始終を電話で説明して許可をもらい、私達は高層アパートに入る。すれ違うのが、アジア系の高齢者ばかりなのが気になる。

「もともとは1975年に、日系人によって日系人や日本人の高齢者のために建設された16階建てアパート。連邦政府の家賃助成制度を受けたから、入居者を日系に限定できなくなって、他のアジア系もたくさん住んでいる」

「なるほど。エミーさんは、若い頃、どんなお仕事を?」

「図書館司書をしていた。ご主人は日系二世の歯科医。エミーはシカゴの大学に入るためにマンザナ―収容所を出た後から、ずっとシカゴで暮らしていた。ご主人が亡くなったとき、息子さんが心配して、ここに移るよう勧めたそうだ」

 私たちはエミーの部屋に通され、ふかふかのソファを勧められる。前に座るエミーの顔には、78歳という年齢相応のしわやたるみが目立つ。だが、カズヤに似た小さな瞳は、好奇心に満ちた光を放っている。一見すると日本人のおばあさんに見えるが、力強いアメリカ英語を聞くと、彼女はアメリカ人だと実感させられる。

 エミーは、日系スーパーで買ったらしいカステラとインスタントコーヒーを勧め、目尻を下げる。
「2人ともよく来てくれたわね。話はわかったわ」

 彼女は、固くなっている私に好奇心に満ちた視線を注ぎ、楽にしてねと鷹揚に微笑む。

「エミー、そういうわけで覚えていることを教えてほしいんだ」

 エミーは窓の外に視線を投げてから、私達の目を交互に見つめながら話し出す。
「もう、60年も前のこと。私がカレッジに通っていた頃の話だから、記憶が確かではないのよ。でも、カズ兄さんが、ロサンゼルス近郊の大学の資料を集めて、日本に送っていたのは確かよ。あの頃は、いつ戦争になるかと騒然としていて、家族で日本に帰る人が多かったの。両親と付き合いがあった企業の駐在員さんまで、引き上げ前の挨拶に来た。兄さんは、そういう人に日本宛の手紙を託していた」

 大学の資料と聞き、ジョージと私は思わず視線を交わす。だが、それが富士子のためだったかはわからない。留学を考えていた大学の友人のためかもしれない。富士子宛だったとしても、2人が恋人だったことを証明できるわけではない。

「誰に送っていたか、わかりますか?」

 彼女は申し訳なさそうに、眉間に深いしわを寄せる。
「ごめんなさいね、そこまではわからないの……。兄さんが、熱心に手紙を書いたり、預けに行ったりしてたから、恋人に書いているんじゃないかと、弟のシグとひそひそ話していたわ。
 あの頃、あたしはカレッジの友達との付き合いが楽しくて、あまり家にいなかったの。だから、6年ぶりに再会した兄さんとは、何だかぎこちなくて、壁が取り払われるまでに時間がかかったのよ」

 彼女はコーヒーを1口飲んだ後、思いついたように口を開く。
「あたしよりシグのほうが、カズ兄さんと打ち解けるのが早かった。男同士、いろいろ話してたみたいだから、何か知っているかもしれないわ」

「彼は、ハワイで隠居生活してるんだっけ?」

「それは、二年前までよ。いまは、娘さんのいるサンノゼ近郊で暮らしてる。私が話を通しておくから、訪ねてみたら」

 エミーの部屋を辞し、ジョージの車に引き返しながら考える。カリフォルニア州は日本と同じくらいの面積だ。シリコンバレーのあるサンノゼまでは、東京-京都くらいの距離がありそうだ。

「ジョージ、ここまでわかったのだから、カズヤさんに直接聞いてみるのはどう? サンノゼは遠いでしょう」

 運転席に座ったジョージは、顎に手を当てて考える。
「グランパは愛妻家だった。グランマが亡くなった後でも、彼女が悲しむことは口にしない気がする。シグはグランパの弁護士事務所で、長年パラリーガルをしていて、今でも家族ぐるみの付き合いだ。何か知っているとしたら、彼だと思う」

「そう。私も一緒に行って大丈夫?」

「もちろんさ。飛行機のチケットを予約するよ。時間があったら、サンノゼを観光しよう」

               ★
 9・11の影響で、空港のセキュリティチェックをは厳重になっていた。シグの家には、サンノゼ国際空港から、レンタカーで15分ほどで着いた。クパチーノの閑静な住宅地街に立つ一軒家だ。

 迎えてくれたシグは、奥さんとマイクロソフトに勤務する娘さんは、ショッピングモールに出かけたので一人だと言い、リビングに通してくれた。

 シグは小柄で引き締まった体型だった。眼光が鋭く、動作はきびきびしていて、常に周囲の状況を観察しているような緊張感を相手に与える。戦争で受けたPTSDに苦しんでいたという話とは、異なる印象を受けた。

 彼は、私達が夕方の飛行機に乗らなくてはいけないと聞くと、お茶も出さずに話し出す。

「カズ兄さんが手紙を出していた相手は、フジコという女性だよ。2人は恋人だった」

 ジョージが震える私の手に、自分の手を力強く重ねる。

「1941年3月、カズ兄さんが帰国して間もない頃、パパとママに、日本で恋人ができたと報告しているのを聞いた。親友の妹のフジコという女性で、アメリカ留学を希望している。彼女がアメリカの大学を卒業したら、一緒になるつもりだと言っていた」

「ご両親は、何と言っていたのでしょうか?」

「パパとママは、日本で裕福に暮らしてきたお嬢さんに、人種差別の激しい西海岸に来てもらっても不幸になるだけだ。彼女にも御両親にも申し訳ないと反対した。カズ兄さんは、彼女には西海岸で日系人が置かれた状況について説明した。彼女はその上で、僕と一緒にいたいと言ってくれて、必ずアメリカに来ると約束してくれた。大学にアクセプトされたら、秋学期に間に合うよう渡米してくるから、慣れない間はうちで世話をしてもいいかと尋ねていた。懇願された両親は、右も左もわからないお嬢さんを放っておくわけにはいかないと渋々承諾した」

「グランパは、富士子さんを待っていたんだね……」

 シグは眉間のしわを深くする。
「カズ兄さんは、8月に太平洋航路が閉鎖されたと聞いて、見ているのが気の毒なほど落ち込んでいた。12月8日の朝、真珠湾攻撃のニュースを聞くと、自分の部屋にこもって、夕食まで出てこなかったよ」

 シグは言葉を切った後、私の目をしっかりと見ながら言う。
「フジコは海を渡れなかったが、60年後に孫のあなたが来てくれた。カズ兄さんは、時を超えてフジコが約束を守ってくれたと思っただろうね」

 ジョージが強張った私の肩をぐいと抱き寄せる。 
「俺は、グランパたちのことは全く知らなかったけど、富士美に一目ぼれしたんだ!」

 シグは目元の笑いじわを深くして、私達を見つめていた。