風花が舞う頃 7
予想していなかった申し出に、視界がぐらつく。蛍光灯がやけにまぶしく感じ、寿司桶に残る握り寿司がぎらついて見える。
水気を失った舌を動かし、言葉を紡ぐ。
「非常勤講師ではなく、専任教員ということですか?」
「はい。教授として、お迎えしたいと考えています」
「身に余るお話ですが、なぜ私なのでしょうか? 私は国際機関やNGOでの勤務経験がありません。適任の方は、他にたくさんいらっしゃいます」
「私は、国際関係学部を専門学校のようにするつもりはありません。教員の研究を奨励し、如月先生のような優秀な先生に、魅力を感じていただける研究大学にしたいのです。ですから、博士号を持ち、研究業績も教育能力も優れ、英語で講義できる先生を集めたいのです。研究費も十分に出し、必要ならサバティカル(研究休暇)も認めます。
如月先生は、アメリカ西海岸の有名大学でPh.D(博士号)を取得し、アメリカで博士論文を出版しています。多数の研究論文、共著本、二冊目の単著も出していて、大規模な共同研究にも参加しています。二冊目の単著は、某財団の学芸賞を受賞していますね。研究業績は十分です。学会活動も活発で、既に学会をリードする中堅メンバーです。
英語力についても、海外の有名大学でティーチングアシスタントとして教壇に立ち、H大でも英語で講義する専門科目を担当していらっしゃる。先日、先生が某学会のシンポジウムでパネリストを務め、外国人研究者と議論している動画を拝見しましたが、申し分のない会話力でした。うちでも英語と英語で行う専門科目の講義を担当していただきたいと思います。
今年40歳で、まだお若いですが、いまの国際関係学部に、あなた以上の研究業績がある専任教員はいません。そもそも、海外Ph.Dを持っている教員は、一人もいないのですから。そして、本学で10年ほど非常勤を務めていただいているので、学生による講義評価データも十分蓄積されています。それを見れば、あなたの教育能力に疑問を持つ教員はいないでしょう。あなたは、将来の学部長、副学長候補になる人材です」
彼は、私から視線をそらさず、熱のこもった口調で言い継ぐ。
「如月先生、O大に来て、国際関係学部の再生を手伝っていただけませんか? 理想を言えば来年、無理なら再来年からでも結構です」
「魅力的なお話で、本当に光栄です。ですが、H大にゼミ生も大学院生もいます。少し考えさせていただけませんか?」
「もちろんです。H大のような有名大からうちに来ていただくのですから、十分に考えて下さい。うちに移っていただいても、区切りがつくまで、H大で非常勤をしていただいて構いません。よい返事をお待ちしています」
「あの、いつまでにお返事をしたら宜しいでしょうか? それと、給与や勤務条件、担当科目なども、お伺いしたいです」
「当然です。細かい条件は、後ほどお伝えします。その上で……、そうですね、風花が舞う頃までに返事をいただければ嬉しいです」
風花。久々にその響きを耳にした。
山に積もった雪が、強い風に飛ばされ、ちらちらと舞うのを風花という。山に積雪のある12月下旬から2月頃に見られる。故郷を離れて久しい私は、もう何年もお目にかかっていない。
「懐かしい言葉です。実は、私の生まれた日に、風花が舞っていたんです。だから、風花と名付けられました。関係ない話ですが……」
幼い頃、雪が降ってきたとはしゃぐ私に、祖父が『あれは風花だ。おまえの生まれた日は、良く晴れて、風花が舞っていて、それはきれいだった』と教えてくれた。澄んだ冬空の下で、手袋をした小さな両手を高く広げ、風花を受け止めた朧げな記憶が脳裡をかすめる。
「やはりそうでしたか。そんな気がしました」
彼の目元が優しく緩む。
「僕はあれが好きです。亡くなった祖母が『はあて』と呼んでいました。僕は小学校に上がるまで、それが方言だと知りませんでした。風花と呼ぶと知って、美しい言葉だと思いました」
★
故郷の夜空は都会より濃い。闇にぽっかりと浮かぶ金色の満月が、強い存在感を放っている。駅のロータリーに車をつけた学長は、気づかわし気に尋ねる。
「本当に家までお送りしなくて大丈夫ですか?」
「はい。駅ビルで買い物をしたいので」
「そうですか……」
彼はそれ以上は尋ねず、遠くから聞こえてくる救急車のサイレンを追うように視線を動かす。互いに何かを待つような空気が流れ、私は車を降りることができずにいる。何を待っているのかと自問しても、合理的な答えは出ない。だが、このまま降りたくない思いが、体内で波打っている。
濃度を増していく沈黙に耐えられず、それを断ち切るように口を開く。
「今日は美味しいお寿司をごちそうしていただき、ありがとうございました。そして、魅力的なお話をいただけて、本当に嬉しかったです。十分に考えた上で、お返事したいと思います」
助手席のドアに手を掛けたとき、彼が芯のある声で呼び止める。
「先生、先ほどの話とは別に、考えていただきたいことがあります」
「何でしょう?」
「もし決まった人がいなければ、僕と交際していただけませんか?」
「え?」
低く唸るエンジン、FMから流れるドビュッシーの「月の光」、ロータリーを横切る男子高校生のはしゃぐ声。それらすべてが遠のき、頭の中がしんと静まり返る。
「昨年、初めて貴女の講義を聞いてから、僕は貴女に惹かれています。ご迷惑だったかもしれませんが、あなたの講義を何度も見にいってしまいました。いま、お付き合いしている方は……?」
「いません。貴方も誰とも?」
彼は力強く頷き、低い声で尋ねる。
「あなたは、僕が嫌いですか? 僕に興味がないですか?」
心臓がびくんと跳ね上がり、胸郭を押し上げる勢いで打ち始める。彼の人懐っこい垂れ目、艶のある黒髪、高い鼻梁と引きしまった小鼻、程よく日焼けした肌、うすい唇、全身から放たれるポジティブなエネルギー。それらすべてが、手を伸ばせば届く距離にある。引き抜きの話と同時に、こんな選択を迫る彼に、激しい怒りが突き上げてくる。
「ずるいです……! どうして、このタイミングで」
ドアに手を掛ける私の両肩を彼ががっしりとつかむ。
「僕も散々迷いました。でも、貴女が誰かに奪われてしまうのを指をくわえて見ているのは、どうしても嫌だった」
彼は私と視線を合わせ、気迫のある声で語り掛ける。
「もう一度言いますが、これは専任の話とは分けて考えて下さい。僕が、仕事とプライベートをごっちゃにする男ではないことは、先に言っておきます。貴女が僕を振ったとしても、専任の話は生きています。もちろん、H大に勤めながら、交際を続けるのも歓迎です。決めるのは貴女です」
彼は私の肩を掴む手を緩め、やわらかい声で尋ねる。
「心のままに答えて下さい。僕の可能性はどれくらいありますか?」
「私も初めて会った時から、同じ気持ちです……」
私はマスクを外し、彼の頬を両手で挟み込んで引き寄せる。うすい唇に、自分のそれをそっと重ねる。考える前に身体が動いていた。
★
頬に月明かりを受け、駅のカフェでテイクアウトしたアイスティーを飲みながら歩く。排気ガス混じりのもわっとした空気が、近づいてくる夏の気配をほのめかす。脳をかき回されたような高揚感と、火照る身体を鎮めるには、駅から実家までの20分ほどの道のりがありがたい。
大通りは、夜が更けても、車の往来が激しい。電車やバスの本数が少ないので、車社会になるのは必然だ。もつれた思考の糸をほぐすために、一本奥まった道に入る。人も車も通らず、無音の世界に迷い込んだような静寂が広がっている。深く息を吸うと、むせかえりそうな若葉の匂いが鼻をくすぐる。氷が溶け始めたアイスティーのカップを振ると、清涼感のある音が思った以上に大きく響く。
学長が私の講義と業績を評価し、専任に引き抜こうとしてくれたのは素直に嬉しい。研究も教育も好きで、真摯に取り組んできたので、それが評価されたことは、今までの人生を肯定されたように誇らしい。
それでも、私はO大の専任になることにためらいがある。H大は、私にとって理想的な職場だ。専門家として尊重し合える同僚、高い学力と意欲のあるゼミ生、有能な事務職員、十分に与えられる研究費と居心地の良い研究室。そこそこレベルの高い大学の准教授というステータス。それらは、私が貧乏生活と山のような課題、英語コンプレックス、世界中から集まった才能との競争、将来の見えない不安な時代を乗り越えて手に入れた環境だ。
そして、都内にいることで、研究者の友人たちと、心行くまで語り合い、意見を戦わせることができる。様々なバックグラウンドを持つ人々が集まる東京は、多様な文化や価値観がぶつかり、溶け合う刺激的な環境だ。私はそれを愛している。
学長に提示されたO大の改革は魅力的だ。今までの経験を活かし、全力で協力したいと血が騒ぐ。
だが、改革の道のりは険しい。学長が、現在の環境に安住している専任の先生方からの抵抗に遭っているのは明らかだ。専任になれば、学長と同じ考えの私も、その対象になるだろう。そのことで、心身共にダメージをうけ、研究や教育に支障が出ることを考えると背筋が冷える。
以前、O大で工夫を凝らした講義をし、学生を笑いの渦に巻き込んだことがあった。講義終了後、隣室で講義をしていた学部長から、「先生は人気があるんですね。学生はエンタメショーみたいな講義が好きだからねぇ」と敵意のこもった口調で言われた。学生の関心を引き付ける努力を怠る彼の八つ当たりとわかっていた。それでも、ぐさりと胸に刺さり、その先生が怖くなった。そんなことが日常茶飯事になると思うと、胃がきゅっと縮む。
実家に近づくにつれ、家族のことが頭をじわじわと占領する。学長から提示された話をすれば、両親と祖父が欣喜雀躍するのは明白だ。親孝行を選ぶなら、断る選択肢などないことはわかっている。
この地域は地元志向が強い人が多い。県外で暮らしたことがないために、視野が狭い人も多い。私の家族は、いずれも外に出た経験があり、高等教育を受けたエリートに分類される人たちだ。だが、地元愛の強さと親の強い希望でUターンしている。祖父は都内の国立大学を卒業後、地元で高校の英語教師をしていた。父も祖父と同じ大学を卒業し、東京都庁に合格していたが、地元で県の職員になることを選んだ。母は都内の有名私立大を卒業後、地元に戻ってメーカーの研究員になった。兄は京都の国立大学を卒業後、地元のメーカーで技術職に就き、結婚して二児の父となっている。
私は中学時代から、異質なものを執拗に攻撃するこの地域に閉塞感を覚え、大学は県外に出ると決めていた。狭い地域では、一度虐めの標的にされると、それは加害者と離れるまで続く。私は、ある男子から、幼稚園でおもらしをしたことを中学までからかわれ、ばい菌扱いされてきた。加害者の男子が、新しい環境で私を知らない人たちにも、それを吹き込んでまわったからだ。それに、生来の不器用と運動神経の鈍さが絡み、虐めやいじりが勢いを増した。彼と高校が別になっても、狭い街で顔を合わせるたびに罵声が飛んできた。高校で新しくできた友人に、それを目撃されることが辛かった。
今日の講義にいた2人の社会人学生のような存在は、そのことを思い出させる。過去は、大学教員になる夢をかなえたことで克服したが、講義を邪魔されるのは堪らない。社会人学生が増え、その可能性が増すことを思うと憂鬱になる。
両親は、兄が京都に出てしまったので、妹の私を手元に置こうと、県内の国立大学を執拗に進めた。地元に戻って就職する条件で、都内の国立大学への進学を許されたが、アメリカ留学した上に、都内の大学に就職した親不孝娘になってしまった。両親は私がH大の専任になったときは大喜びしてくれた。だが、それから数年経つと、地元の大学に移れないのかと、事あるごとに尋ねるようになった。