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「巡礼」31

「いつになったら彼女のもとに帰れるのかとハワイで気をもむうち、終戦が知らされた。サイレンが響き渡り、米兵が興奮してピストルを鳴らしていた。捕虜の兵舎は沈黙に包まれ、悔し涙を流す人もいた。日本の敗戦は予想通りだったので、特別な驚きはなかった。あったのは、これから自分がどうなるのかという漠然とした不安だった」

「復員できたのは、いつ頃でしょうか?」

「翌年1月頃、捕虜として働いた日当の小切手をもらって、船で日本へ帰された。復員手続きをするとき、私は特攻戦死扱いで戸籍が抹消されている可能性があると知った。3ヶ月以内に、親族と連書して生還者届を出さなければならなかった。唯一会ったことのある叔父が、原爆が落ちた広島で生きているかわからず、生きていたとしても一度しか会ったことのない私を本人と認めてくれるか不安だった……。
 焼け野原になった横浜は米軍だらけだった。なかには、二世らしき姿もちらほら見られ、もしやミツが日本に来ているのではと思い、何人かの二世を捕まえて尋ねた。彼を知る二世には会えなかったが、東京のNYKビルに入っている連合国通訳翻訳部に行けば、何かわかるかもしれないと言われた。
 私は東京行きの汽車に乗った。着いた頃には日が暮れかかっていて、車窓からバラックやテントに明かりが灯るのが見えた。進駐軍に接収されたビルには煌々と明かりが灯っていた。マッカーサーがいた第一生命ビルをはじめ、接収されたビルの周囲を立派な軍服に身を包んだアメリカ人が、肩で風を切って歩いていた。少し先には空襲でドームを吹き飛ばされた東京駅。戦災孤児や家を失った人が空腹を抱え、地方に買い出しにいく切符を求める人が列をつくっていた。その格差に、胸が締め付けられた。
 NYKビルは皇居に面した立派な建物だった。サイズの合わない復員服を着て、顔色が悪く、髭も伸びた浮浪者同然の私が来る場所ではなかった。私は少し離れた場所から、もしや知っている二世が出てこないかと、出入りする軍人を見ていた。ビルの前にジープが止まり、将校をおろしたり、乗せたりしていった。
 知った顔に出会えないので、意を決してNYKビルに近づき、出てきた二世に声をかけようとすると、ガードらしき米兵に、ここは日本人の来るところじゃないと威圧的に言われた。自分は二世で、兄がここにいるかもしれなと言っても聞く耳を持たず、2人がかりでつまみ出された。道に叩きつけられた私は、やり切れない思いで立ち上がり、とぼとぼと東京駅に向かって歩いた。すると、二世らしい軍人と派手な日本人の女を乗せたジープが通り過ぎていった。俗に言うパンパンだろう。乗っていた女が、歩いている長身の軍人を指差して嬌声を上げると、運転手がクラクションを鳴らし、今夜は来るだろと男に向かって叫んだ。

 その声に振り返った長身の男を見て、息が止まるかと思った。薄暗くても間違えるはずはない。

 ミツだった。

 彼は持っていた書類袋を振り、これをボスに見せたら行くと叫んだ。濃い化粧をした日本人の女がジープから降り、ミツの腕にしがみついて、必ず来てねと甘い声で言った。彼はその女の肩を抱き、約束するよと両頬に接吻した。
 ジープが走り去ると、ミツは足早に歩き出した。彼の背中には近づきがたい威厳があった。靴磨きをしていたすすけた顔の子供たちが寄ってきて、見るからに立派な彼に片言の英語でチョコレートやキャンディーをねだった。彼は子供を一瞥し、ポケットのチューインガムをばら撒くと、書類袋を抱え直して足早に去っていった。子供達はガムに歓声を上げ、取り合いを始めた。
 昔から人目を引く容姿の彼だが、勝者の奢りを体にまとった近寄りがたさは、私の知らないものだった。彼が撒いたガムは、惨めな自分に向かってばらまかれたように思えた。私は彼に声をかけられず、気がつくと逃げるように東京駅に走っていた。しばらく忘れていたミツへの劣等感が湧いてきた。同じ屋根の下で暮らした兄弟が、片方は勝者の軍服に身を包んだ将校、もう片方は特攻に失敗した敗戦国の復員兵になってしまった。昔から彼には適わなかったが、ここまで立場が違ってしまったことにやりきれなさが込み上げ、東京駅の便所で泣いた」

 小説かと思うほど数奇な運命に、都は研究を忘れて聞き入っていた。

「その晩、私は復員列車に揺られて広島に向かった。広島で叔父を探し、戸籍を回復させるつもりだった。そして、何としても宮子さんに会いたかった。翌日、私は原爆が落ちた広島で、父方の叔父一家が亡くなっていることを役場で知った。その辺りは爆心地に近いので、即死に近かったのだろう。バラックが立ち並ぶ広島で、冷たい風に身を震わせながら、ますます戸籍の回復が難しくなったと途方に暮れた。
 私は宮子さんを探そうと呉に向かった。呉には英連邦軍が進駐していて、耳慣れないアクセントの英語が聞こえてきた。交番で菅井という苗字の家を聞き、片端から尋ね歩いた。足を棒にして歩き、それらしき家に行き当たったときは日が暮れかけていた。
 玄関に出てきた出っ歯の中年女に尋ねると、確かにうちにいると言われた。自分は昔の知り合いで彼女に会いたいというと、女は胡散臭そうに私を見回した後、奥に入って彼女を呼んできた。驚くほど痩せて顔色の悪い彼女が、モンペ姿で出てきた。肩身の狭い生活をしていることは一目瞭然だった。
 幽霊を見るような目で私を凝視する彼女に、ただいまと万感の思いで言った。立ち尽くした彼女は、本当に彰さんかと震え声で尋ねた。私は彼女の瞳を捉え、俺だと力強く言った。出っ歯の女の視線に気づいた彼女は、私を促して外に出た。私たちは夕闇が迫る埃っぽい道を足早に歩いた。工場らしき建物の焼け跡に来ると、2人はそこに腰を下ろした。私は自分が生きて帰ってきた経緯を打ち明けた。彼女は、ぽろぽろ涙をこぼし、ご苦労さまでしたと何度も言ってくれた。打ちのめされていた私は、彼女に温かく迎えられたことで、体中に血が通ってくるようだった。
 手拭いで涙を拭いた彼女は、工場に動員されていた妹が空襲で亡くなったこと、親戚に邪魔者にされてろくに食べさせてもらえず、厄介払いのために縁談を押し付けられていることをぽつりぽつりと語ってくれた。そして彼女から、進駐軍の軍服を着たミツが訪ねてきたと知らされた。私が特攻で死んだことも、ミツから聞いたそうだ。ミツは進駐軍の物資をたくさん持ってきて、生活の面倒を見るのですぐに東京にこいと切符を手配し、結婚をほのめかす言葉も出したらしい。彼女がなかなか出てこないので、何度も上京を促す手紙がきているという」

 彰は吐き捨てるように続けた。
「娼婦のような女とちゃらちゃらしているくせに、彼女を奪うと思うと許せなかった。だが、自分の立場を考えれば何も言えなかった。もともと、彼女はミツのものだったんだから……。ああ、唯一の心の支えまであいつに奪われると思うとやりきれなかった。
 私は彼女の顔を見ず、ミツのところに行くのかと尋ねた。彼女はうつむいたままだった。横目で彼女を伺うと、大きな目に今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。あのとき唇を重ねた私への罪悪感かと思い、それがいいんじゃないか、あいつには金も地位もあるからと投げやりに言った。心にもない言葉は、自分の声ではないように冷たく響いた。すると、彼女は真っ赤な目できっと私を睨みつけ、ずっと前から、自分を置いていってしまったミツよりも、傍でひたむきに支えてくれた私に気持ちが移っていたことを、声を震わせて訴えた。彼女の目に溜まっていた大粒の涙が勢いよくこぼれ落ち、手拭いに顔を埋めて泣き崩れた。

 私の頭のなかで何かが弾けた。

 漠然と感じていた彼女の好意が、確かな言葉になった歓喜が全身を貫き、夢中で彼女を抱きしめていた。彼女の体の温もりに、生きているという実感が湧き上がり、私も声を上げて泣いていた。

 私は彼女を立たせ、『俺と一緒に行こう!』とがむしゃらに抱きしめた。絶対にミツに渡すつもりはなかった。今思えば、幽霊同然の男が何て大胆なことをしたことか……。だが、彼女をここに置いていけばミツに取られてしまう。私は彼女の手を引き、無我夢中で汽車に乗った。途中、大阪で降りる大量の復員兵と一緒にホームに押し出され、再び乗ろうとしたら既に立錐の余地がなく、窓からもよじ登れなかった。
 私達は行くあてもなく大阪の雑踏をさまよい、その晩は駅で一夜を明かした。翌日、疲れきった彼女を汚い宿屋に落ち着かせ、仕事を探すために瓦礫だらけの街を歩き回った。腹が減って迷い込んだ闇市で、妙な話が耳に入ってきた。汚いなりの男が、空襲で亡くなった人の戸籍を売る朝鮮人のことを話していた。胡散臭い話だったが、そのときの私にはひらめくものがあった。自分の戸籍を回復する方法は他にもあったかもしれないが、別の人間として生きるのも悪くないと思った。そう思ったのには、彼女をミツから奪ってしまった後ろめたさはもちろんだが、二世につきまとう差別から自由になりたかったこともあった。私は男からその朝鮮人のことを聞き出した。
 私は生野の朝鮮人街でその男を探し当て、同じくらいの年の日本人の戸籍がないかと尋ねた。すると、空襲で亡くなり、家族や親戚もいない男の戸籍があると言われた。年齢は私より2つ上。条件の良い戸籍らしく、高くふっかけてきた。私はいま金がないから、手っ取り早く稼げる仕事を紹介してくれないかともちかけた。大きく出たが、内心何を言われるかとびくびくしていた。彼は丸眼鏡の奥の鋭い目で私を値踏みしながら、英語を話せるかと尋ねた。しめたと思った。自分はアメリカにいたことがあるので英語には自信があるというと、彼の目がぎらりと光り、進駐軍に食料や医薬品を横流しさせる通訳をしないかと言われた。逡巡する気持ちはあったが、自分のような者が稼ぐには裏の仕事しかないと思い、その場でやると決めた。私は朝鮮人街で危険な取引の通訳を何度かして、戸籍を買う金を手に入れた。こうして私は、1916年に大阪で生まれた鈴木勝喜に生まれ変わった。戦後の混乱した時代だからできたことだ」

「その瞬間、あなたは日本人として生きることを決めたのでしょうか?」

 彰は肯いた。
「以前の自分と決別し、彼女と新しい人生を生きようと決めた。だが、他人の名前を名乗っている後ろめたさがつきまとい、役場を避けてきた。人とも深くかかわらないようにしてきた。彼女とも籍を入れなかった。こんな得体の知れない男を受け入れ、ついてきてくれた彼女には、心底感謝している」

 それを聞いた都は、他人を容易に寄せ付けない態度も、自信なげに泳ぐ視線にも説明がついた。彼が怯えながら生き続けた年月を思うと、ずっと感じていた嫌悪も薄らいでいった。

「私が手っ取り早く稼ぐには英語しかなかった。皮肉だが、二世として生きてきた自分とは簡単に決別できなかった。私は彼女を連れて、英連邦軍が駐留する中国地方に向かった。アメリカ軍がいる地域だと、ミツに見つかる可能性があると警戒したからだ。私は岩国で進駐軍相手のバーを取り仕切る中尉と懇意になり、店のマネジャーに起用された。私はチャーリーと名乗り、そこで働く日本人歌手やバンド、女性を探し、店を切り盛りした。店に来る軍人がどこでアメリカ英語を身につけたのかと聞くので、小さい頃、アメリカ人の宣教師に習ったと言っておいた。
 それなりの給料がもらえ、彼女を養えるようになった。彼女は家にいるのが退屈だったらしく、裁縫の仕事を引き受けたり、英語を習いにいったりしていた。仕事はうまくいっていたが、2年ほど経つと占領が一段落し、進駐軍の規模がどんどん縮小された。そろそろ潮時かと思った。1950年に朝鮮戦争が勃発して再び英軍の規模が拡大したが、引き際を探していた私は、その年に仕事を辞めた。

 バーを辞める前から、次にどんな仕事をするかを彼女と話し合ってきた。16の頃から下宿で働いていた彼女は、修学旅行で行った京都で下宿か旅館をやりたがっていた。人と深く関わるのが嫌な私には、旅館のほうがよかった。2人でその夢を実現させるべく奔走したが、物件を探したり、借りたりするのに苦労が多く、経済的にも厳しい日々が続いた。金も減っていき、2人で日雇いの仕事をしていた時期もある。あのとき彼女がミツのもとに行っていたら、こんな思いはさせなかったと思うと、申し訳なさで一杯だった」