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連載小説「出涸らしのティーバッグ」第7話

7-1

「それなら、鈴木がいいと思いますよ。そうです、鈴木澪です」
 透明のアクリル板に囲まれたデスクで、所長の黒沢さんが電話相手に告げる。

「本社の柴田しばたさんから。そちらに回すよ」
 彼が口を開くと、マスクでも防ぎきれない口臭が漂う。糖尿病の彼に配慮した白菜とニンニクだけの餃子入りの愛妻弁当を食べたのだろう。窓を開けるのは気が引けるので、フル稼働中の空気清浄機に期待する。

「ありがとうございます」

 保留を解除し、はやる思いで受話器を取る。
「お待たせしました、鈴木です」

「すーちゃん、柴田です。久しぶりだね!」
 溌溂とした声が本社のきりっとした空気を呼び起こす。
 
 柴田さんは本社でお世話になった1歳上の先輩で、コロナ禍でテレワークになってから顔を合わせることがなくなっていた。

「申し訳ございません。異動のご挨拶もできないまま、こっちに来てしまって……」

「急に異動しちゃったからびっくりしたよ」

「すみません……」

「いやいや、すーちゃんが北関東にいてくれて助かったよ」

「何かあったんですか?」
 試験運営部主任の彼女から電話が入る理由は2つだ。新たに借りた会場の使い勝手を試験当日に視察してほしいという依頼か、リーダーが欠席した際の穴埋めを頼まれるときだ。何となく後者だと予感した。

「Aホテル会場のリーダーが濃厚接触者になっちゃったんだ。運営部から人を出したいけど、本社は県境を越える出張禁止なんだよね。本当に申し訳ないけど、代わりに入ってもらえないかな?」
 いつも歯切れ良く話す柴田さんが、申し訳なそうな口調で尋ねる。

「わかりました。今週の土曜日ですよね?」
 彼女を慮り、できるだけ明るい声で引き受ける。

「大丈夫……?」

「はい。Aホテルは私が交渉と下見をした会場なので、使い勝手を見られるのが嬉しいです。でも、現場リーダーで入るのは随分久しぶりで不安です。それも、コロナ禍で……」
 これから何度もあることだろうが、気心知れた先輩だとつい弱音を吐いてしまう。

「大丈夫。運営部であれだけ経験したんだから昔取った杵柄だよ。大きな変化はコロナ対策だけ。あ、あと、神経発達症で限局性学習症を持つ小学生の男の子がいるの。読字障がいと書字障がいがあって、特別措置は①試験時間30分延長、②大きな文字で印刷された問題用紙の提供、③受験者は問題用紙の選択肢に〇をつけて解答するので、終了後に監督員が本人確認の下で解答用紙に転記。詳細はマニュアルを見て。これからマニュアルを添付で送るから、不明点あったら連絡してね」

「かしこまりました」


「リーダーの穴埋めか?」
 電話を切ると、黒沢さんがアクリル板の向こうから首を伸ばして尋ねる。

「はい。今週末です」
 私はさっそく柴田さんから送られてきたメールの添付ファイルを開き、印刷アイコンをクリックする。

「いつも本当にごめんね」
 向かいの席のアクリル板越しに、矢島さんが絵文字の困り顔のように眉を下げ、手を合わせる。

「とんでもないです。Aホテルは私が見つけて、交渉と下見をした会場なので、自分の子供のようなものです。むしろ、ラッキーです」
 プリンターから出てくる用紙を集めながら、マスクのなかで笑顔を作る。

 矢島さんは先月妊娠がわかった。妊婦で喘息持ちの彼女が感染を恐れるのは道理だ。つわりがひどいが、産休が取れる時期まで頑張ると決めている。製造業で働いていたご主人が、コロナ不況でリストラされたため、彼女が大黒柱なのだ。
 所長の指示で私が外回りのある仕事を交替している。正直に言って、負担が倍増するのはきつい。けれど、いつか自分も同じ立場になると思うと文句は言えない。

「ありがと。昼休憩、先に入っていいよ」
 矢島さんが、できることで気遣ってくれるのがわかるので、素直に甘えさせてもらう。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」

 パーテーションの背後に、古いテーブルとパイプ椅子が一脚だけ置かれた食事スペースがある。昨年までは、各自がデスクで昼食をとっていたが、感染防止対策を徹底するために、ここで交替で昼休憩をとることになったと彩子から聞いた。

 パイプ椅子に座って、昨夜握ったおにぎりをかじりながら、マニュアルの重要事項に蛍光ペンでラインを引く。

 土曜日は、理央さんに会うために上京予定だった。
 海風に吹かれて竹芝桟橋を歩き、旧芝離宮恩賜庭園を散策する予定だった。港区で生まれ育った理央さんらしいコースだ。空気清浄機の低いうなりを聞きながら、申し訳ないがキャンセルだと諦める。

 矢島さんが視察にいくはずだった試験会場は、黒沢さんと私で分担するので、ほとんどの週末は埋まってしまうだろう。トーニオさんに会いに行くのも難しいかもしれない。

7-2 

 トーニオさんと会う予定だった土曜日は私が出勤になってしまい、奇跡的に2人とも休める平日に会うと決まった。

 オンラインで知り合った人と会うのは人生初だ。待ち合わせに遅刻しないよう、早起きしてハンドルを握り、ドライブインで休憩するたびにマスクを外して化粧を直した。化粧室の姿見の前で、白いカットソーに合わせた深緑色のミディスカートの座りジワがひどくないか確かめる。気持ちを上げるために香水をつけたいが、トーニオさんが苦手だと思って控えた。

「Misuzuさんですか?」
 待ち合わせしたつくばエクスプレスのつくば駅の入口に、トーニオさんは白シャツに柔らかそうな紺のサマージャケットを羽織り、ジャケットと同系色の細身のパンツで現われた。整えられた髪と、初夏に合う清潔感のある服装に安堵した。
「はい。トーニオさんですよね?」

 合言葉のニックネームを確認し、マスクを掛けたまま初対面の挨拶を交わす。初めて生で聞いた彼の声は、テレビやZOOMで聞いたとおり、少し高めだ。聞き取りにくいと言われないよう、ゆっくり話すことを意識しているのがわかる。

「遠いところ、すみません。お疲れでしょう?」
「大丈夫です。緑が多くていいところですね」
 トーニオさんの眼鏡の奥の目に光が宿る。
「人工的なところが目立ちますが、私は結構気に入っています」
 彼は一重まぶたの目を細め、左側に見えるペデストリアンデッキを指す。
「左側に進むとT大学まで続いています。右側に進むと私がウォーキングする公園があります。歩いても行けるのですが、かなりあるので、バスで行きましょう」
「もし宜しければ私の車で行きませんか? そこのショッピングセンターの駐車場に入れてきました。帰りはこちらにお送りします」
「いいんですか? 実は私、車の運転が苦手で、いつも自転車です」
 デッキの上を自転車でいく人がたくさんいるのを見て思った。
「自転車で走るのが気持ち良さそうな街ですね」
「ええ。風を切って、デッキの上を走るのは気持ちいいですよ。今度、自転車を借りて一緒に走りましょう」
「ぜひ。最近車ばかりで、自転車に乗ることがなくなってしまって……」

 駐車場まで並んで歩いてみると彼の背の高さがわかる。154センチしかない私には見上げるほどだ。180センチくらいあるだろうか。この人と歩み続けるうちに、この差が心地よく馴染む気がしてくる。

 目的地の「洞峰公園どうほうこうえん」をカーナビに入れ、彼が好きだという学園東大通がくえんひがしおおどおりに出る。日本の道百選に選ばれた美しい道だという。道の両側に植えられた街路樹の若葉が瑞々しい。木々は研究学園都市の発展を見守ってきた貫禄がある。ベビーカーを押しながら進む若い夫婦の背中を横目に、自分がこの街で暮らすことを想像してしまう。

「人工的な街でしょう? あそこにたくさん並んでいる同じような建物は公務員住宅です」
 助手席の彼が、窓から入る風で乱れた前髪を押さえながら尋ねる。
「私は企業の研究所や工場が密集する工業団地の近くで育ったので、違和感ありません。道の広さも地元によく似ています」
 小山の工業団地に馴染みのある私は、計画的に設計されたこの都市に無理なく馴染める気がしてくる。

「それはよかった。私は、嫌な思い出も多々ありますが、ここが嫌いではありません」

 初対面なのに流れる空気は心地良い。彼といるときの自然体の自分が好きだと思えることに、身体がほのかな熱を帯びる。理央さんと会うとき、私はこんなふうにリラックスできるのだろうか。


 洞峰公園の駐車場に車を入れ、彼の馴染みのウォーキングコースを歩くことにする。かなり広い公園で、洞峰沼の周囲に1キロ、1.5キロ、1.6キロのウォーキング、ランニングコースが設けられている。コースは足に優しいやわらかい素材で整備されているのが嬉しい。

 平日なのに、意外と人が多く、ウォーキング中の高齢者が私たちを追い越していく。足が長い彼が、私の歩幅に合わせて歩いてくれるのがわかる。

「木々に囲まれていて、マイナスイオンを浴びているようです」
 深呼吸をすると若葉の匂いが全身に取り込まれる。池の水面みなもは初夏の陽を浴びてまぶしいくらいに輝いている。歩いているうち、運転で固くなった身体の隅々まで血液が行きわたり、体が軽くなる。

「この沼は、バードウォッチングでも有名ですよ。もう少し早ければ、バラもきれいだったのですが。ああ、あとで向こうのプロムナードも歩いてみましょう。若葉が芽吹いた銀杏が綺麗ですよ。秋には紅葉が素晴らしいんですよ」

 弾丸のように話す彼を前に、これが気取らない彼だと思った。それが顔を出したのは、私に気を許してくれたサインだと思うと素直に嬉しい。名前のわからない鳥のさえずりが愛おしく響き、歩みが軽快になる。

 彼の鼻梁が高い横顔を見上げ、この人はどんなお付き合いをしてきたのかと想像を巡らせる。整えられた身なりと肩書は女性を惹きつけるだろうが、彼が港区女子のような若い女性に囲まれているのは想像できない。知的でクラッシーな女性が好みなのか、ビジネスパートナータイプが好きなのか。理央さんが、過去の恋愛について聞きたかった気持ちがわかる気がする。
 
「あの……、もし失礼でなかったら、今までどんな方とお付き合いしてきたか伺っていいですか? 全然想像がつかなくて。私は世界が狭いので、学校の同級生や仕事の先輩など近くにいる人ばかりでしたが」

 彼の目元が翳りを帯び、和やかだった空気が張りつめる。聞くべきではなかったと後悔したが、出てしまった言葉はなかったことにできない。

「気楽に付き合える年上の方がほとんどでした」
 彼は感情を挟まない口調でぼそりと言い、やや歩みを早める。

「仕事の先輩ですか?」

「いえ、ネットで出会った独身を通すと決めたキャリアウーマンとか、子育てが一段落したシングルマザーです」

 それなら、なぜ11歳も年下の私に関心を持ってくれたのかと思うが、その答えを尋ねていいかわからない。

「私は若い女性というか、適齢期で結婚願望の強い女性が苦手です」
 彼は歩調を変えずに歩きながら、乾いた口調で話し出す。
「私自身が、自分のことで精一杯で、子供をつくって養う経済力も精神力もないからです。それでも、男ですから女性にはそれなりに興味があります。その結果、たくさん稼いでいて結婚願望のない女性とのゆるい交際に行きつきました」

「どうして婚活アプリに……?」

 彼は所在なさそうに視線を彷徨わせ、言葉を選びながら答える。
「今までは、老いたら施設に入って死に、弁護士や業者に後始末を頼めるくらいの金を貯めておこうと思っていました。でも、この年齢になって……、歳をとったとき一人なのはしんどいと思うことが増えました。こんな私でも共に生きてくれる物好きな女性がいればと思ったんです……」

 彼は私の困惑を察したかのように、弁解めいた口調で勢いづく。
「そもそも、あのアプリの自己紹介文を読んで私に興味を持つ女性は、絵に描いたような結婚生活などはなから期待しないでしょう。あなたは仕事で神経発達症に関わったなら、私のような面倒くさいのと結婚したらどうなるかわかりますよね? それほど詳しくないにしても、これだけ情報が普及している時代、調べようと思えばいくらでも調べられるでしょう。ネットを検索すれば、カサンドラ症候群の妻とか、神経発達症の子供を育てる母親のブログがあふれているのですから。
 あなたにはメッセージで書きましたよね? 神経発達症で使い物にならず、会社を5社もクビになった男だと。社長という肩書もお飾りだということも」

 そこまで深読みできなかった私が浅はかだったのかもしれない。だが、彼はそのことを自己紹介文に明記するべきではなかったか。でも、翻って考えれば、私も「温かい家庭を築きたい」とは書いたが、子供が欲しいと明記しなかった。そもそも、そうした希望は、相手と親しくなってから伝えるか、二人で話し合って決めることだと思っていた。

 彼をうんざりさせるとわかっていたが、敢えて確認しておきたくなる。 
「では、結婚はしても、子供を作ることは望んでいないと理解してよいのでしょうか?」

「ええ。結婚はしたいですが子供は望みません。私はスタークエストが売れなくなれば、社長をおろされるかもしれませんが、会社が存続する限りは技術職として雇ってもらえる約束を交わしています。夫婦で食べていくくらいは、どうにかなるでしょう。
 あなたと結婚するとしたら、週末婚も射程に入れています。互いにつくばと高崎か小山に拠点を置き、時間があるときに一緒に過ごす結婚も悪くないと思いました。それなら、一人っ子のあなたが親と住んで面倒を見ることもできます。そういうことも、おいおい話し合えればと思っていました」

「私とのことを、考えていてくれたのですね……?」
 そのことが嬉しく、声が震えてしまう。

「当然でしょう。あなたからイイネをつけてくれたときも、先にメッセージを送ってくれたときも、本当に嬉しかったんですよ。
 でも、こんな若くて魅力的な女性には、すぐ捨てられるだろうと思っていました。だから、ありのままの私を知ってもらおうと、あなたが引くようなことも包み隠さず書いたんです。幻滅されたら、深手を負わないうちに諦めようと思っていましたから。
 それでも、あなたは私を好意的に見てくれたじゃないですか。期待してしまいますよ……」

7-3

 煮詰まった私たちは、近くのカフェで飲物をテイクアウトし、ソーシャルディスタンスを確保してベンチに落ち着いた。水面を照らす陽に、歩き始めたときの清らかさはなく、気だるそうに揺れている。

 子供に対する考えの相違は、私たちの可能性を一気に引き下げてしまった。そのことを口にしてしまうのが怖く、互いにかすかな可能性を見出そうとあがいているのだろう。

 私はアールグレイのティーバッグを揺らし、濃度を上げてから一口含む。気持ちを落ち着けてから、慎重に言葉を選びながら考えを言葉にする。
「私は葉山さんの自己紹介文を読んで、お仕事への向き合い方に魅力を感じて、この方をもっと知りたいと思いました。
 葉山さんは、ご自身が神経発達症で苦しんだ経験を生かして、神経発達症のお子さんの学習を支援するアプリを開発しています。少年院の少年たちとも、楽しそうに交流していました。神経発達症のお子さんの生き辛さを軽減するための方法をたくさんご存じです。
 だから私は、葉山さんにお子さんができて、もしも神経発達症が遺伝していても、全力でサポートすると思っていました……」

「確かに私は根っからの子供嫌いではありません。でも、私は神経発達症のせいで疲れやすく、不定愁訴が多く、仕事をこなすために普通の人より多く睡眠や休養を必要とします。もういい歳ですが、これからもっと歳を取れば、さらに体力が落ち、その時間がたくさん必要になるでしょう。そうした状況で、多動衝動性が強かったり、感覚過敏が強くて神経質だったり、読み書き計算に苦労する神経発達症の子供を育てる体力はありません」

「私がこれからあなたとお付き合いして、人生を共にすると決意したとします。そして、もしそういう子ができたとしたら、私はワンオペになっても全力で育てたいと思います。そういう特性を持っていても、可愛いと思います」

 彼の眉がぴくりと上がったが、すぐに悲しそうに視線を落とす。
「あなたの気持ちは嬉しいです。ですが、私はあなたを負の連鎖に巻き込みたくありません」

「どういうことですか……?」

「私はかなり異常な家の出です。恥をさらすようで、今まで誰にも話しませんでしたが、あなただけには敢えて話します」

 彼はマスクを外し、ブレンドコーヒーをすすってから話し始める。
「私の両親は共働きだったので、兄と姉と私は市内にある母方の曾祖母と祖母が住む家に預けられました。3人とも、小学校を卒業するまで、学校から直接その家に帰り、母が迎えにくるまでそこにいました。母は夕方、子供を迎えに来て、祖母の作ってくれた夕食を持って帰ります」

「私の家も共働きで、小さい頃は母方の祖母が家にいてくれました」
 曾祖母と祖母という組み合わせに不穏なものを感じたが、敢えて詳細は尋ねなかった。
 
「きっと、優しいおばあちゃんだったのでしょうね。私の祖母も優しすぎるほど優しく、献身的というか自己犠牲的な人です……」
 彼の言葉には、乗せきれないほどの感情が乗っていた。

「曾祖父も祖父もかなり前に他界していて、曾祖母と祖母はずっと二人暮らしでした。もともとは、東京郊外に住んでいたのですが、母がつくばの国立環境研究所に就職し、結婚して子供ができたので、二人をつくばに呼び寄せました」

「女性が育児と仕事を両立するには、実家の助けが必要ですよね」

 彼は小さく頷いて膝の上で手を組み、目を落とした。しばらくして、意を決したように口を開く。
「曾祖母は典型的な多動衝動優位のジャイアン型ADHDで、攻撃的な言動が目立ちました。私が物心ついた頃は、既に80代でしたが足腰が達者で力も強く、とにかく沸点が低くて、気性の荒い人でした。でも、孫娘の母と曾孫に対しては、躾けは厳しくても基本は優しい人でした。手先が不器用で大雑把でしたが、頭が切れる上に肝が据わっていて、不測の事態には頼りになる存在でした。

 そんな曾祖母の攻撃を集中的に浴びたのは、長男の未亡人である祖母です。よくある嫁をいびる姑ですが、その言葉に収まるような生易しいものではありませんでした。
 祖母は神経発達症の家族のなかで、唯一の健常者でした。尋常師範学校を出て教職についていた優秀な人で、手先が器用で家事は完璧、優しすぎるほど優しい人です。曾祖母は、そんな祖母に暴言を浴びせ続け、些細なことを理由に暴力を振るいました。げんこつで殴ったり、ひっかいて流血させたり、ものさしで叩いたり……。子供の頃から、祖母が殴られたところを押さえて泣いている姿を何度も見ました。曾祖母が祖母の腕を爪でひっかき、腕から鮮血が流れ出す瞬間。祖母のエプロンが曾祖母に引き裂かれる音……。今でも目や耳に焼き付いています。祖母はテレビや新聞、本を読むことを一切許されず、奴隷状態でした。彼女は身寄りがなかった上に、子供や孫への愛が強い人だったので懸命に耐えていました。
 子供だった私は曾祖母が怖くて祖母を助けられなかったのですが、何もできなかった自分を悔いています……」

「あなたのお母さんは、お祖母さんを止めなかったのですか? 自分の母親がそんな目に遭っているのに」

「母は、祖母が曾祖母の暴力に耐えかね、助けてほしいと訴えたときは、曾祖母を諫めたり、怒ったりしました。私が小学生の頃、曾祖母に蹴られ、バケツの水をひっかけられた祖母が、ずぶ濡れで家にきたことを覚えています。そのとき、母は曾祖母を相当怒鳴りつけました。似たようなことは何度もあり、そのたびに母があいだに入ったようです。
 私が小さい頃、母は休日に曾祖母と子供三人をよく外食やドライブに連れていってくれました。大人になってから、それは祖母を休ませるためだったと気づきました。

 でも、母は祖母を引き取って一緒に住むことはしませんでした。性格に相当難があり、高齢で一人では生活できない曾祖母のために、祖母をなだめて留まってもらったのでしょう。そして、母は研究者としての仕事が第一で、それほど子供好きではなかったので、3人の子供の世話をしてくれる祖母が必要でした。

 うちは、父も母も間違いなくASDとADHD持ちで、仕事で手一杯で、子供は成績さえ良ければ、何も言われないドライな家でした。姉も兄も、恐らくいじめから逃れるために、学校をさぼって家にいることがよくありました。まあ、不登校だと問題にならず、出席日数が足りる範囲で休んでいたのでしょう。それを見ても、両親は何も言いませんでした。私も、いじめに耐えなくてはならない学校から適度に逃げ、自分を保っていました。 

 祖母は優秀な娘を溺愛していたので、彼女のキャリアのためなら耐えられたのでしょう。そして、義務感も強いので、曾祖母を見捨てたら亡くなった夫が悲しむし、自分も一生それを悔いるとわかっていたのでしょう。
 曾祖母は病気をして弱ってくると、祖母にべったりになりました。虫が良すぎる話でしょう? でも、驚いたことに、祖母はそんな曾祖母を受け入れ、二人は驚くほど仲良くなったのです。祖母は曾祖母を看取り、いまでも元気です。
 両親のキャリアも、曾祖母の生活も、私たちの生活も、祖母の献身と犠牲の上に成り立っていたのです」

「あなたより大きかったお兄さん、お姉さんは、ひいおばあさんの暴力を見て、どう思っていたのでしょうか?」

「うちでは、曾祖母の祖母への暴力を口にするのはタブーでした。私が小さい頃、『何で大きいおばあちゃんは、小さいおばあちゃんを虐めるの?』と母に尋ねたら、そういうことを言うもんじゃないと突き放されたのを覚えています。
 兄も姉もASDタイプの冷めた子で、幼い頃は曾祖母と祖母の家で、好きな本を読んでいられれば他のことはどうでも良かったのでしょう。年齢が上がってからは、勉強に没頭することで、見て見ないふりをしていたと思います。
 母も、あたしが一生懸命勉強して良い成績をとることがおばあちゃんたちへの恩返しだと言ってましたから、子供の頃から兄や姉と同じ姿勢だったのでしょう。祖母は半世紀以上、その状態にされていたのです。どう見ても異常な家です」

 彼の壮絶な話に引き付けられつつも、この話の行きつく先を考え続けた。そんな私の心を読むように、彼は話をまとめる。

「なぜこんな話をしたかというと、私が家族の中で曾祖母に一番良く似ていると母から言われているからです。自分でもそう思います。
 今でこそ、神経発達症の知識があるため、感情を押さえてコントロールしていますが……。本来の私は瞬間湯沸かし器で、感情を押し込めるキャパシティーが小さく、気に入らないことがあると八つ当たりする台風の目のような人間です。人に指図されるのが大嫌いなところ、思った通りに事が進まないと、むくれて心を閉ざしてしまうところも、曾祖母にそっくりだと母によく言われました。そういう母も、兄弟のなかで一番できが悪く、癇癪もちだった私を暴力で言うことを聞かせることがありました。そのときの母の目は、ぞっとするほど祖母を殴るときの曾祖母にそっくりでした。

 私は、年齢が上がり、経験も積み、大人同士の付き合いでは感情をコントロールできるようになりました。けれど、もし私が子供を持ち、自分に似た癇癪持ちで、落ち着きがなく神経質な子供だったら、私は間違いなくキャパオーバーになります。年を取り体力がなくなれば、子供のいる騒がしい環境に耐えられなくなるのは明らかです。私は、仕事柄、たくさんの神経発達症のお子さんと保護者に会って話を聞いているので、どれだけ大変かはあなたより知っています。私は子供を愛せないばかりか、憎悪するでしょう。あなたにも八つ当たりをするかもしれません。
 それに耐え、ひたすら頑張ってくれるあなたを想像すると、祖母の姿に重なります……」

「お話はわかりました。でも、あなたは繰り返したくないと既に思っているじゃないですか。子供を作っても、そうならないよう気をつければいいのでは? 私は、あなたのお祖母さんのように優しい人間ではないですし……」

「あなたは子供の人生を軽く考えすぎています。
 親は神経発達症の子でもいいと、自己満足で産むかもしれませんが、実りのない人生を生きなくてはならない子供は堪ったものではありません。この私がそうです。私は、虐めを受け続け、症状に振り回されて苦労し、猛勉強して博士号をとっても、ASDやADHDの症状のせいで切望した研究職に就けませんでした。会社を何度もクビになって、精神を病み、精神科で薬をもらっていたこともあります。親や親戚には落ちこぼれと言われ続けてきました。苦労ばかりで報われない人生です。こういう失敗作ができることもあるんですよ。

 世間では、成功した神経発達症の方が自伝を書いてメディアで注目され、神経発達症の人は特殊な能力を持っているイメージが先行しがちです。でも、それはほんの一握りです。突出した才能に恵まれず、症状に振り回されて報われない人生を生きる私のようなのも多々いるんです。そこには光が当たらないので、天才というイメージが流布してしまうのも仕方ないことですが。

 私の親の世代は、神経発達症の情報がなかったので自分がそうだと気づかないまま子供を作りましたが、今は情報があるんです。熟考した上で決められます。私は、自分のように人間関係に悩み続け、不器用で劣等感に苛まれ、不毛な人生を生きる子供を増やしたくないので作りません」

「でも、必ずしも遺伝するとは限りませんよね?」

「おっしゃる通りです。ですが、遺伝する可能性は高いんですよ。私より症状が重い子供が生まれる可能性もあります。いくら親が生き辛さを軽減し、道を切り開いてやったとしても、生きるのは本人です。親は一生手助けできないでしょう。大抵の場合、先に死ぬのですから」

 彼は感情を鎮めるように深呼吸し、コーヒーを口に運ぶ。
「赤裸々な話をしてしまいましたね。ですが、これが私のあなたに対する誠意です。作った部分だけ見せて、結婚してからこんなはずではなかったということにはしたくありません。
 もしも……、あなたがこんな男でもいいと思ってくださったら、こんなに嬉しいことはありません」

「正直、何ともお答えできません……。まだ、お付き合いも始まっていませんし」

「はは、おっしゃる通りです。通常は、それなりの過程があって、この人と一緒になりたいという気持ちになるものですからね」
 彼は軽く腕を組み、視線を斜めに落とす。
「どうやら私たちは、先にいろいろなことを話し過ぎてしまったようですね」

「そう思います……」
 ずっと手に持ったままだった紙カップのなかで、ティーバッグはお湯を染めきっている。いま飲んだら、渋くて美味しくないだろう。

「お付き合いを申し込みたいところですが、あなたの子供に対する気持ちが変わらなければ、貴重な時間を奪うだけです」

「葉山さんの考えは変わらないのですね?」

「残念ながら」

「少し考えさせてください」

 竹内くんが、彩子の婚約者の透さんに神経発達症の人が子供を持つことについてZOOMで相談すると言っていた。もし間に合えば、事情を話して参加させてもらおうと決めた。


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