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風花が舞う頃 12
梅雨の合間をぬい、龍さんと私は、赤城山の見える公園を散策している。昨夜降ったので、湿気の高い空気が肌にまとわりついてくる。首筋に降り注ぐ光の強さが、夏はすぐそこまで来ていると教えてくれる。
龍さんとは、週末に地元で会っている。今までは、講義が終わると東京にとんぼ帰りし、週末は研究室に缶詰めになっていた。ペースを乱されることに焦りはある。だが、彼と故郷の山々に見守られて過ごす時間は、活力を与えてくれる。
彼は私がO大に移ると決めるまでは、国際関係学部改革の進行状況を話さない。それでも、目元に刻まれる疲労を見ると、抵抗勢力から向けられる悪意にさらされていることが伺える。彼の苦悩に寄り添いたいが、彼は他愛のないことを話したがる。私は御簾を下ろされたようなもどかしさを感じながらも、流れに任せてきた。
風車を眺め、展望台からの眺望を楽しみ、今が見ごろの紫陽花と菖蒲を愛でた。牧場で見たヤギや羊、ポニーは心を和ませてくれた。ラルフローレンのポロシャツにデニム姿の龍さんは、頭一つ上から私にやわらかい眼差しを向ける。
「風花さんは、健脚だね。かなり歩いてるのに、疲れた様子を見せない」
私は七分袖のブラウスと紺のアンクルパンツ姿で龍さんを見上げる。彼の垂れ気味の目で見つめられると、肌がじんわりと熱を持つ。
「子供の頃から家族で山歩きをしていて、上毛三山は小学校で制覇しました。だから、持久力はあります。東京でも、部屋にウォーキングマシンを置いて毎日鍛えています」
「なるほど。健脚は日々の鍛錬の成果だね。僕も上毛三山はすべて登った。もう一度、あなたと制覇するのも楽しそうだ」
「ええ、ぜひ。ここは、赤城山がパノラマのように、きれいに見えますね。こんなに近くで見たのは何年ぶりでしょう……」
山の緑は雨の恵みを含み、瑞々しく輝いている。祖父が、夏の山の季語は、「山滴る」だと教えてくれたことを思い出す。私は故郷の山々が好きだと改めて思う。嫌な思い出がたくさんあっても、帰ってくると心安らぐのは、それを身近に感じられるからだ。
龍さんは縁なし眼鏡の奥の目を細め、山並みに視線を移す。
「近くで見ると裾野の長さがわかる。富士山に次いで二番目だそうだね」
「上毛かるたで『裾野は長し赤城山』とありましたね。私、三方を山に囲まれて育ったので、少女時代の記憶は、山影と結びついているんです。悲しいときや悔しいとき、山を眺めながら、その気持ちを溶かしていました。太古からそこにいる山は、すべて受け止めて、見守ってくれる気がしました」
「わかるよ。東京から帰ってくるとき、新幹線から上毛三山が見えると心が安らぐんじゃない?」
「まさにその通りです」
龍さんの艶のある黒髪が初夏の陽を跳ね返す。それに見とれながら考える。私たちは、電話でも対面でも、互いに意識して心地よい会話を選んでしまう。それは、始まったばかりの関係を壊さないための賢明な選択だ。だが、私は、彼を突き動かしている芯のようなものに触れたい衝動に駆られてきた。そこに踏み込むことが関係を損なう可能性を恐れつつも、それで壊れる関係であれば、そこまでだったという思いも地下水のように流れている。それに後押しされて問いかける。
「以前から、お聞きしたかったんです。龍さんは、世界を舞台に、やりがいのある仕事をしてきたじゃないですか。それなのに、故郷に戻ると決めたのはなぜですか? 跡継ぎになるご兄弟や親戚は、他にもいらっしゃるでしょう?」
彼は小さく頷くと、何かをためらうように口をつぐむ。その沈黙を耐えながら、まだ問うべきではなかったという猛烈な後悔に襲われる。取り繕わなければと口を開く前に、彼がいつもより低い声で話し出す。
「実は、家族にあまり良くない感情があって、こっちに戻るつもりはなかったんだ。僕は子供の頃、喘息持ちで、しょっちゅう発作を起こしていた。いつも、ごほごほ、ぜいぜいやっていて、夜中に咳が止まらなくなるのが怖かった……」
「今の龍さんからは想像がつきません……」
「子供の頃はひどかったんだ。祖父母や両親から、おまえは長男で跡継ぎなのだから、丈夫にならなくてはいけないと発破をかけられていた。喘息を克服するために、埃の出ない水泳やスケートを習わされた。弟2人と妹は健康で、優等生そのもののような子だった。けれど、祖父と父は長男である僕を優先した。それが、たまたま長男に生まれた子供を大切にする習慣のためか、僕に何らかの資質を見出したからかはわからない。結果的に、そのことが弟と妹の不満を強め、彼らとの関係は、ぎくしゃくしてしまった。そんなことが続いて、僕の祖父と父に対する複雑な感情、弟や妹への劣等感は、年月とともに降り積もった。
小学6年になると、喘息は落ち着いてきて、弟や妹との関係はおおむね良好になった。中学や高校では、学級委員や生徒会役員を務められるほど積極的になれた。けれど、祖父や父から、跡継ぎ、跡継ぎと言われるのが、鬱陶しくてたまらなかった」
「それでも、医師になりたいという思いは持っていたのですか?」
「祖父も両親も、親戚も医者だったから、自分もなるのが当たり前と思っていた。むしろ、どんな医者になりたいかという問題だった。子供の頃、祖父が途上国で医療が十分に受けられない人たちのために力を尽くした話をしてくれて、自分も喘息を克服して、そうした医療に携わりたいと思っていた。体が弱くて行動に制限があったからこそ、海外に憧れる思いは人一倍強かったと思う。祖父や両親が、病院や大学経営の生々しい話をしているのを耳にしながら育ったこともあって、海外に行ってしまえば、それに関わらないで済むという思いもあった」
「家のビジネスに関わらないとは、ご両親に言わなかったんですか?」
「その話を曖昧にしたまま、高校卒業後は、東京や海外に拠点を置いてきた。祖父や父は、僕が国立感染症研究所や海外で研鑽を積むのを誇らしく思ってくれた。けれど、いつかは戻ると信じて疑わず、そのことをほのめかしてきた。WHOへの派遣が決まったときは、学長としての箔つけにこれ以上のものはないと大喜びだった。それが鬱陶しくて、戻るつもりはないとはっきり言おうと何度も思った。それでも、期待してくれる祖父や父の顔を見ると言えなかった……。だから、故郷は好きでも、足が遠のいてしまっていた」
「そんなふうに思っていたのに、戻ると決めたのはどうしてですか?」
「WHOで働いているとき、たくさんの優秀な人材に出会った。この能力を金儲けに使ったら、大富豪になれるだろうという人もたくさんいた。インドネシアで働いているときの直属上司が、以前は医療機器の会社を経営していて、目がくらむほど稼いでいたアメリカ人だった。彼はそのビジネスを人に売って、WHOに入った。WHOの給料は、彼が稼いでいた額に比べれば雀の涙のようなものだ。それなのに、彼はどうしてWHOに入ったと思う?」
「あくまでも私の考えですが、彼は使命を感じたのではないでしょうか? 欧米社会には、能力、財力や社会的地位がある人は、それを社会のために使う義務があるというノブレスオブリージュの思想が浸透しています。アメリカで学んでいるとき、折に触れて感じたのは、普通の人でも、国家や社会、コミュニティのために奉仕すべきという思いを持っていることでした。きっと、子供のときから、教えられて育つのでしょう。
ケネディ大統領の就任演説に『国家があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何ができるかを考えて下さい』という呼びかけがありますが、それが国民に響いたのは、もともとアメリカ社会にその素地があったからだと思います。
アメリカに、企業や財団が提供する奨学金が豊富なのも、その精神からだと思います。私はその恩恵を受けて学べたので、本当にありがたかったです」
日本にもっと民間の給付型奨学金があれば、木村くんのように苦労する学生が減るだろうという思いが脳裏を過る。
「さすが、風花さんだね。彼も、自分が周囲より高い能力に恵まれたことを自覚していて、それを社会のために正しく使いたいと思っていたのだろう。外科医の彼は、企業して、たくさんの患者が質の高い手術を受けられるように、手術支援ロボットをはじめとする医療機器を開発していた。けれど、その販売や運用を見るなかで、いろいろドロドロしたものを目にしたんだろうな。端的に言えば、彼が生み出すのは、金持ちのための高度医療で、そうした医療を必要としているのに、金がないためにその恩恵を受けられない人が圧倒的に多かった」
「アメリカの医療制度では、必然的にそうなるでしょうね。彼は、それに疑問を感じたのでしょうか?」
「うん。詳しくは聞かなかったけど、彼はちょっとしたスキャンダルに巻き込まれて、海外に身を隠した時期があった。そのとき、南スーダンで飢餓に苦しんで死んでいく子供を目の当たりにした。彼は、自分と彼らの違いは、たまたま大国の金のある家に生まれたことと、そうでないことに過ぎないと痛感させられた。偶然、運が良かった自分が、そうでない人々のために何かしたい思いが突き上げてきたそうだ。金があっても、一企業家ができることには限りがある。WHOに入り、国際保健に携われば、できることが広がると思った。彼は本当に有能で、今はジュネーブのWHO本部で、より多くの人々を救う決定ができる高い地位に就いている」
「その方の生き方が、龍さんに、どこで自分の能力を生かすべきかを考える機会を与えてくれたんですね」
彼は肯いて続ける。
「彼の話を聞いて、改めて考える機会になった。そのとき真っ先に浮かんだのが、ずっと目を背けてきたO大だった。実家に対する複雑な感情には、いつか向き合わなくてはと思っていたからね。
O大が、祖父が設立したときの精神とかけ離れてしまっていることは、ずっと気になっていた。祖父も胸を痛めていたけれど、組織が大きくなり、しがらみが幾重にも重なり、どこからメスを入れればいいかわからない状態だった。
僕がWHOで勤務していた経歴が、学長としての権威になり、改革が進めやすくなるなら、継ぐべきだと思った。停滞しているO大をよみがえらせ、そこから世界に人材を送り出せるのは、たまたま経営者一族に生まれた僕だからできることだ。そう思ったとき、O大が自分の居場所だという思いが初めて芽生えた。
僕が戻ることを良く思わない人がいるのは知っていた。叔父や弟と争うことになり、たくさん話し合いを重ねた。心ならずも、傷つけてしまった人も少なくない。けれど、突き進むしかない……」
「よく、わかりました……」
彼の根幹に触れた気がして、その信念に対する敬意が胸を満たす。同時に、私は彼と違い、故郷へのわだかまりと折り合いをつけられていないと気づかされる。古林の苦虫を噛み潰したような顔が胸をかすめる。私はいつまで、報復のように尖った態度を取り続けるのだろうか。
龍さんの澄みきった声が、思いを断ち切るように頭上から響く。
「ところで、風花さん、他にスポーツはする?」
「全然です。極度の運動音痴で、特にチームスポーツが苦手です。運動らしいことは、同僚の先生に誘われて入ったジムとヨガに行く程度です。龍さんは?」
「皮肉だけど、人並みにできるのは、子供のときにやらされた水泳、スケート、スキー。僕もジムに通っているよ」
「いまは、喘息は落ち着いているんですか?」
「うん。でも、風邪をひくと醜い咳が長引く。去年、コロナにかかったときは、一か月くらい咳が止まらなかった。PCRが陰性になってからも、咳止めを飲んで仕事をしていたよ」
「それは大変でしたね。ところで、スイスにいたときは、スキーを楽しんだのでしょうね」
「僕は下手だったから、付き合い程度にね。滑るよりも、雄大な山々に見とれてた。切り取って、保存しておきたい迫力だった」
「一度、近くで見てみたいです。スイスはまだ行ったことがないんです」
「いつか、一緒に行こう」
彼はそう言ったあと、口の中でぼそりとつぶやく。
「新婚旅行になるといいな……」