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風花が舞う頃 24

 如月ゼミの合宿は、2日目の夕刻を迎えた。温泉旅館の会議室には、卒業論文の中間報告を終えた疲労と解放感が漂っている。

 4年ゼミ長の三枝さえぐさくんが、ホワイトボードの前に立つ。普段はかっちりした服装の彼だが、今日はTシャツに半ズボン姿だ。
「皆さん、2日間お疲れでした。酒が入っちゃうと頭回らなくなるから、夕食の前に模擬ディベートの分担を話し合っておきましょう」

 副ゼミ長の向坂さきさかくんが、疲労と空腹でだれているゼミ生に渇を入れる。
「これ終わったら、飯食って、風呂入って、飲み会やろ? 楽しいことしかないやんけ。そう思ったら、もう少し集中できるやろ?」

 向坂くんの問いかけに、さざ波のように笑いが起こり、淀んでいた空気が動き始める。

 TAの木村くんが呼応する。
「向坂くんの言う通りだね。みんな、もう少しだけ、頑張れるよね!」

 三枝くんは、ホワイトボードに「共和党候補」、「民主党候補」、「司会のキャスター」と列挙する。彼の目元のクマと、降りている前髪が、蓄積した疲労を物語っている。

「まずは、目玉になる3役を決めます。その後、残りの11人に共和党、民主党のサポートスタッフに分かれてもらいます。
 最初に立候補を募って、立候補がなければ投票にします。前も言ったけど、1年生も遠慮することないからね」

 3年生で2人しかいない女子の澄川すみかわさんが遠慮がちに挙手する。旭野ひのさんとは附属高校からの親友だが、彼女とは対照的に控え目だ。そのアンバランスが、2人が親友でいられる要因かもしれない。

「すみません。質問というか、確認よろしいですか?」

「はい、どうぞ」

「候補者は、恐らく来年夏の党大会で選出されるバイデン大統領とトランプ元大統領として討論するのでしょうか? それとも、独自の共和党、民主党候補像を作り上げ、自身の考えた政策をもとに討論するのですか? すみません、水を差す質問をしてしまって……」

 椅子に胡坐をかいている向坂くんが真っ先に口を開く。
「鋭い指摘や。最初にはっきりさせておかないとやな」

 三枝くんが大きく頷く。
「その通りだね。聞いてくれてありがとう」

 澄川さんは、耳まで真っ赤にして腰を下ろす。

 三枝くんはゼミ生全員に向けて語り掛ける。
「去年の先輩は、実際の人物にこだわらず、自身が候補者だったらどんな政策を掲げるかという立場で討論した。さて、今年はそれをどうするかだ」

 4年の針谷はりがいさんが口を開く。
「トランプになりきらなくちゃならないのなら、やりたくない人もいるだろうね」

 彼女の指摘に、笑いの波が広がる。

 木村くんがおちゃらけた口調で呼応する。
「金髪のかつらかぶって、お腹に何か入れて、America FirstとかMake America Great Againを連発する?」

 再び広がった笑いが収まると、三枝くんが腕組みをする。
「まず、そこをどうするかだな。ブレインストーミング形式でいこう。意見ある人、どんどん出して」

 3年の古賀こがくんがのんびりとした口調で意見する。
「俺、トランプとバイデンになりきるのが、おもろいと思います。独自の候補を立てるのもありだと思うんすけど、トランプが強烈な奴だし、聴衆はどうしても彼を意識して共和党候補を見ちゃうでしょ? だったら、徹底してトランプとバイデンになりきってもウケるんじゃないすか」

「なるほど、ありがとう。確かに、聴衆にもわかりやすいね。他に意見ある人いるかな?」

 針谷さんが再び挙手する。
「トランプとバイデンに扮するのはウケると思うよ、でも、女子がやるとしたら、仮装するの? それだと、仮装したくない女子は、立候補をためらってしまうんじゃない……?」
 彼女は卒論で女性政策を扱っている。ゼミ生は、彼女の言葉の裏にフェミニスト色と彼女自身が立候補を考えていると読み取ったに違いない。

 新たな論点が加味され、ゼミ生たちは顔を見合わせたり、首を傾げたりしている。

 三枝くんが椅子の背もたれに両手をつき、机に視線を落としてつぶやく。
「現時点では、トランプやバイデンが選ばれると決まったわけではないし、女性候補が選ばれる可能性もあるな……」

 旭野さんがすっと手を上げて発言する。
「今、針先輩が挙げたような問題があるので、特定の人物をコピーするのはあまり良くないと思います。2人の候補者が、共和党と民主党の傾向を踏襲して、自分が大統領になったら、どうしたいかを討論すればいいと思います。去年の先輩方は、それぞれ候補者のプロフィールを考えて、独自の候補者像を作っていたので、私はそれが良いと思いました」

 三枝くんが頷く。
「昨年はそうだったな。古賀くん、どう思う?」

 古賀くんは、面倒を避けるような口調で続ける。
「あー、俺、女性がどう思うかに考えが及びませんでした。すんません。最初に、各候補者のプロフィールとかをパワーポイントで紹介すれば、トランプとかの強烈なイメージは払拭されるんじゃないすか?」

「なるほど。それで、トランプやバイデンではないオリジナル候補者として見てもらえると……。針はどう思う?」

「私もオリジナルな候補者像を作るほうに賛成」

「ありがとう。他に意見ある人は?」

 1年の澄川さんがほんのりと頬を赤らめて挙手する。
「すみません、いま思いついたのですが、第三党の候補者がいてもいいと思うんです。1996年と2000年に緑の党から立候補したラルフ・ネーダーのような。すみません、今になって。最初に提案しておくべきでした……」

「いやいや、もっともな意見だよ。僕が二大政党に限定してしまったのは良くなかった。第三党の候補者をやりたい人がいれば立候補してもらおう」

 三枝くんはホワイトボードに、「第三党の候補者」と書き足し、全員に語り掛ける。
「今のところ、独自の候補者像をつくる方向に向いている。他に意見や質問のある人は? 遠慮しなくていいからね」

 2日間をともに過ごしたことで、同級生間はもちろん、先輩後輩間の距離もだいぶ縮まった。私が常日頃から、意見は積極的に出すこと、議論をするときは対等と指導していることも手伝い、発言をためらう空気は薄れてきた。

「意見がないようなら、役割を決めよう。まず、共和党候補の立候補者は? 何度も言うけど遠慮しないでね。来年はディベートやるかわからないし、少しでもやってみたいと思う人は挑戦をお勧めするよ」

 三枝くんは、さらに立候補を促すが、ゼミ生の多くが俯いて目を合わせないようにしている。

 三枝くんは苦笑いする。
「やっぱり、共和党候補はトランプのイメージが強いからな」

 向坂くんが「しゃーないな」と胡坐をといて立ち上がる。
「みんな、やりたくないなら俺がやったる。金髪のかつらかぶってトランプになりきって、何で彼が支持されるかが聴衆にわかるようなディベートやったるぜ! おもろいやろっ?」

 古賀くんが両手でメガホンを作って叫ぶ。
「いよっ、向坂トランプ!」
 それを皮切りに、温かい拍手が広がっていく。

「向坂、サンキュー。期待してるよ。じゃあ、次に民主党候補をやってもいいという人は?」

 針谷さんが気負いをオブラートで包んだような気の抜けた口調で言う。
「は~い、私、やってみたいでーす」

「針、立候補ありがとう。他にやりたい人はいるかな?」

 釣り目にベリーショート、忌憚のない物言いをする彼女は、小柄でも威圧感を与える存在だ。それを考慮し、三枝くんが優しく促す。
「何度も言うけど、3年生も遠慮しなくていいよ。サポートはしっかりするし、一人で背負う必要はないからね」

 しばらく待ち、立候補者が出ないのを見て、向坂くんが口を開く。
「針でいんじゃね?」

「そうだな。じゃあ、針、お願いします」

「は~い。皆さん、宜しくお願いしま~す」

「針、おめでとう。次に、第三党の候補者をやってみたい人?」

 手が上がらないのを見て、三枝くんが促す。
「自分の好きな党をつくって政策を考えられる創造的なチャレンジだよ。どうかな? 澄川さん、どう?」

 澄川さんは、頬を染め、顔の前で大きく両手を振る。
「無理です、無理です。あったら、面白いと思っただけで。すみません、余計なことを言ってしまって」

 小さく笑った三枝くんは、前髪をかきあげて続ける。
「では次に、キャスターに挑戦してみたい人」

 旭野さんが、凛とした声で「はい」と挙手する。教室中の視線が彼女に集中するが、彼女は動じる様子を見せない。

「旭野さん、勇気を出してくれてありがとう。他にいるかな?」

 三枝くんは教室をざっと見まわした後、静かに口を開く。
「僕も立候補する」

 旭野さんの端正な横顔がすっと色を失う。澄川さんが心配そうな眼差しを親友に送る。

「他にいなければ、しんどいかもしれないけど、多数決で決めようか?」

 向坂くんが椅子に胡坐をかいた姿勢で発言する。
「それしかないし、いんじゃね?」

「じゃあ、多数決の前に、一言アピールをしよう。旭野さんからお願いします」

 先に指名されると思っていなかった旭野さんは、かすかに目を泳がせる。だが、小さく息を吸って気持ちを落ち着けてから前に出ていく。170センチを優に超える彼女と、小柄な三枝くんが並ぶと身長差が目立ってしまう。

 旭野さんは、意志のこもった声で話し出す。
「私はアナウンサー志望で、アナウンサースクールに通っています。昨年の大学祭で、先輩方の大統領選挙のディベートを見ました。キャスター役の先輩がとても格好良かったのが印象的でした。アナウンサー志望の私は、絶対にやりたいと思い、このゼミに入りました。私はまだ3年生です。ですが、留学予定なので来年は大学祭に参加できません。だから、この機会を逃したくないのです。力不足は自覚しています。たくさん勉強し、先輩方のご指導を受け、大役を果たしたいと思います。宜しくお願いします」

 三枝くんと向坂くんが率先するように拍手し、皆がそれに続く。旭野さんは、「緊張した~」と胸に手を当てる。

 三枝くんは、気負わない口調で話し出す。
「旭野さんの立派なスピーチに圧倒されて、固まっている三枝でございます。彼女の覚悟の前には、僕は完全に悪役ですね」

 皆がどっと笑い、三枝くんはそれが鎮まるのを待って話し出す。
「才色兼備の旭野さんを前に、皆がおまえ引っ込めと思ってるのは伝わってきます。すごい圧を感じます」

 再び笑いが会議室に広がる。それが鎮まってから、彼は力強い口調に切り替える。
「ですが、僕はこのディベートを有意義なものにする大役に挑みたいと思います。僕が目標とするのは、2人の候補者が話しやすい空気をつくり、本音を引き出して討論を盛り上げるキャスターです。結果として、聴衆は面白い討論を聞くことができるからです。理想は、NPR (米国公共ラジオ放送)でFresh Airのホストをしているテリー・グロスです。ご静聴ありがとうございました」

 大きな拍手と、向坂くんのヒューという口笛が彼に向けられる。

 木村くんが多数決のカウントをし、10対4で三枝くんに決定した。旭野さんは一瞬肩を落としたが、納得したように小さく頷く。彼女は哀れみの視線が向けられる前に口角を持ち上げ、両手を頭上にあげて三枝くんに拍手を送る。私の視線に気づいた彼女は、同情はごめんだと言わんばかりに視線を逸らす。

 他の分担を決めた後、旭野さんは普段と変わらない様子で澄川さんと連れ立って会議室を出ていく。旭野さんを気の毒に思ったが、三枝くんは務めたいキャスター像を明確に打ち出していた。皆が彼の統率力と気配りのできる資質を知っていること、彼がキー局のアナウンサーに内定していることも有利に作用したのだろう。

 旭野さんを慰めたい衝動に駆られるが、プライドの高い彼女はそれを望まない。議論をリードしてくれた三枝くんと向坂くん、木村くんを丁寧に労い、部屋に戻る。