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風花が舞う頃 5

 教壇に戻り、仕切り直すように声量を上げる。

「ここからが今日の内容です。今日のレジュメをご用意下さい。持っていない方は、中央列の一番後ろの机にあります。 

 近年は、従来の民族問題とは違う民族問題が生じています。ドイツやフランスなど、既に国民統合がしっかりしている国で、民族問題が発生しているのです。

 なぜでしょうか?

 これは、グローバル化の影響で、人の移動が増えたことで、移住した人々と現地の人々とのあいだで文化的、経済的な摩擦が生じたことによる民族問題で、『新しい民族問題』と呼ばれています。空欄Aに、新しい民族問題と記入して下さい」

 学生の集中力を保つために、レジュメは穴埋め式にしてある。ホワイトボードに用語を書くと、学生は筆記具を走らせ、それを書き写す。寝ていたり内職をしている学生も、そのときだけは記入する。

「では、なぜ人がたくさん動くのでしょうか? 

 その理由の一つに、労働があります。

 皆さんが就職活動をするとき、もし地元で仕事がなかったら、どうするでしょうか? あなたなら、どうしますか?」

 前の席で熱心に耳を傾けている女子学生にマイクを向ける。
「え、東京に行くとか?」

「正解です。地方に仕事がなければ、より機会の増える都会に行くのは自然でしょう。ですが、もし都市の産業が十分に発達していなくて、地方から出てくる人たちに提供できる仕事がなかったら、国はどうすると思いますか?」 

 教室を見回すが、学生はマイクを向けられるのを恐れ、目を伏せてしまう。スライドを見せながら続ける。

「給料の高い国に、出稼ぎに出すのはどうでしょうか?

 送り出し国は、余剰労働力を海外に送り出し、失業者問題を解決したい。そして、彼らからの送金で外貨を獲得したい。受け入れ国は、安価な労働力が欲しい。ここで、双方の希望が一致し、労働力の移動が起こります。

 第二次世界大戦で、フランスやドイツのようなヨーロッパ諸国は、若い労働力をたくさん失いました。ですが、復興には、労働力がたくさん必要でした。
 そうした時期に、自国の失業者対策と外貨獲得のために、労働力をヨーロッパに送り出したい国々がありました。こうした国に、トルコなどのイスラム教徒の多い国がありました。

 安い労働力を受け入れ、受入国は経済的に発展していきました。

 そして、経済が発展してくると、体力のある若い人が必要な建設、工場、道路工事、清掃などの肉体労働に人が集まらなくなります。そうすると、さらに、外国からの労働力が必要になります。

 ですが、1973年の第一次石油危機で、ヨーロッパは深刻な不況に陥りました。受入国は、失業者を増やさないために、外国人労働者の受け入れを止めます。すると、外国人労働者は、ヨーロッパに来られなくなることを恐れ、家族を呼び寄せて、定住することを選びます。

 それに伴い、こうした移民労働者が集住するエリアができます。エスニックタウン、ゲットーなどと呼ばれる場所です。
 そして、彼らは、受入国の住民から、移民労働者は自分たちの仕事を奪い、自分たちが払った税金で担われる失業保険や生活保護に依存して生きていると批判されます。

 ここで注目したいのは、イスラム教は、1日5回の礼拝、断食、女性が親族以外の男性に美しいところを見せないためのヴェールの着用、豚肉やアルコール摂取の禁止など、生活と信仰が一体になった宗教だということです。
 そうした価値観が、西洋的価値観と衝突を起こすこともあります。例えば、政教分離が徹底されているフランスでは、2011年に、イスラム教徒の女性が公共の場で、ブルカやニカブなど、顔のすべてを覆うベールを着用することを禁止する法律が施行されました。違反者には罰金が課されています。

 現在、移民は二世、三世の時代に入っています。こうした若者は、ヨーロッパに生まれ、現地の言語を話しても、肌の色や宗教により差別され、社会的に上昇できません。しかし、親の国にも同化できず、強い不満を抱えています。

 ニュースをよく見る方はご存じかと思いますが、ヨーロッパ諸国では、EU離脱、反イスラム、反移民を掲げる右派政党が支持を拡大していますね。そして、白人による反移民・反イスラム教徒のテロが発生しています。 

 その背景に、ヨーロッパ諸国がEUに加盟し、財政赤字削減などの厳しい基準を満たすために、国内で失業率が上昇していることがあります。グローバル化の恩恵を受けられる層と、そうでない層の所得格差が拡大し、不満が募っているのです。

 そうした中、福祉に依存し、社会に同化しないイスラム教徒、次々と押し寄せるシリアやアフガニスタンなどからの難民は、国内の不満のはけ口にされています。

 では、これから、いまお話したことの復習に、15分ほどの映像を見ていただきます」


 電気を消して教室を暗くし、ドイツやフランスで起こっている右派政党の台頭と、それを支持する国民の声を紹介した映像を流す。暗くなると眠くなる学生が出るので、教室内を巡回し、寝ている学生に「大丈夫ですか? 具合が悪いですか?」と声掛けしていく。

 映像が終わると、眩しそうに目をしばたたかせる学生に問いかける。

「こうした問題は、私たちと無関係でしょうか? 遠いヨーロッパで起きていることでしょうか? 

 実は、県内でも似た種類の問題が発生しています。皆さんも、その真っ只中にいるかもしれません。

 皆さん、日本が好景気に沸いたバブル時代をご存じでしょうか? 1980年代後半のバブル期に、製造、建設、道路工事などのブルーカラー分野で、深刻な人出不足が発生しました。

 皆さんも、猛暑や極寒の日は、空調の効いたオフィスで働きたいと思うでしょう? そのことを考えると、こうした分野に、若者が集まらないのは想像できますね。

 その頃、プラザ合意後の円高で、日本と周辺アジア諸国との経済格差が拡大していました。日本では、単純労働分野での外国人の就労を認めていません。それでも、現実として、そこで労働力の不足が発生しているのです。雇用者は、違法と知りつつも、出稼ぎに来た外国人を雇っていました。

 そうした状況で、1989年に、自民党が経済界から強い要望を受け、空欄B『出入国管理法(入管法)』の改正が行われました。就労制限のない空欄C『定住者』という在留資格がつくられ、日系人とその配偶者及び未婚未成年の子が入国し、働けるようになりました。受け入れ根拠は日本との、空欄D『血縁』です。

 では、なぜ南米に日系人がいるのでしょうか?
 実は、日本は明治から昭和にかけ、自国民を南米諸国に送り出していました。今は受入国である日本は、昔は送り出し国だったのです。
 つまり、曾祖父母、祖父母、父母の世代で南米に出稼ぎに出て、定住した人々の孫や子にあたる人々が、日本で合法的に働けるようになったのです。こうして、ブラジルをはじめとする南米からの「デカセギ」外国人が急増しました。家族を伴ってくる人、 デカセギ的に母国と日本を数年ごとに行き来する人もいます。

  ほとんどは、自動車や電気機器などの製造業が集積する特定地域、愛知県豊田市・豊橋市、静岡県浜松市、群馬県太田市、 群馬県邑楽郡大泉町、栃木県小山市、茨城県常総市、岐阜県美濃加茂市、可児市、大垣市などに集住しました」

 学生を見回すと、自分の住む地域がそれに該当することに気付いたような顔も見られる。 

「彼らの多くが派遣、業務委託などの間接雇用でした。2008年秋のリーマン・ショックにより、景気が悪化すると、多くの日系南米人が失業し、経済的に厳しい状況に置かれています。母国に帰る方もたくさんいます。

 そして、彼らと日本人の文化や習慣の違いから生じる生活トラブル、彼らの日本社会からの孤立という問題があります。
 
 空欄E『子供の教育問題』も深刻です。両親がポルトガル語やスペイン語しか話せない場合、子供の日本語教育の問題が生じます。子供が日本の学校に通い、日本語中心の生活になると、母語を忘れていき、両親とのコミュニケーションが難しくなることがあります。また、母国に帰るときに、コミュニケーションに支障が出ることもあります。日本と出身国を行き来したこと、学校を中退したことなどにより、日本語も母語も中途半端になってしまうこともあります。

 受け入れを決めた当初、官僚たちは、日系人なのだから日本人と言語や文化を共有していて、日本社会に同化できると思っていました。ですが、三世ともなれば、母語は現地語で、文化的な紐帯も薄れています。起こって当然の問題です。
 
 教育機関や地方自治体、NPO、地域社会は、こうした問題への対応を迫られ、真摯に取り組んできました。国が正面から対応できない問題は、地域社会に委ねられているのです。

 では、今までお話したことの復習として、短いドキュメンタリー映像を見ていただきます」

 
 再び、教室の電気を消し、15分ほどに編集した映像を再生する。日系人の多い団地で、彼らの騒ぎ声が迷惑になったり、ゴミ出しのルールが守れないことなどが問題になっている様子が流れる。その後、日系人側、問題解決に取り組む住民側、それぞれの主張が紹介される。そして、日本語が不十分で授業についていけない日系人の子弟に対応しきれない教員、日本語を教える日本語講師や住民の取り組みが紹介される。


「さて、先ほどお話したヨーロッパの問題と似ていることに気付いたでしょうか? 皆さんの中に、こうした問題に思い当たることがある人もいると思います。日系人の子弟と机を並べていた方もいるでしょう。 

 これから、用紙を配布するので、残りの時間で、今日の感想や質問を書いて提出して下さい。皆さん自身の経験を交えて書いていただくのも歓迎します。書き終わった方は、提出して帰って結構です。お疲れ様でした。来週は、中東の民族問題に入ります」


 提出された感想は、文章や内容が稚拙であるものの、自身が経験してきたことと講義内容を関連づけて書いてくれたものが多い。思えば、木村くんもこの講義を通し、自らの立場を国際労働移動という文脈に位置付けたことで、さらに学び続けたいと私の研究室を志してくれた。

 提出された用紙に目を通していると、瑞々しい瞳の女子学生が、教壇前にやってくる。
「先生、あたし、日系ブラジル人の多い地域に住んでるんです。今見たようなトラブルもありました。うちのお母さんは、パーティーを開いて大騒ぎする日系ブラジル人を怖いと言っていて、私もそう思っていました。でも、今日の授業で、自分の経験していることが、グローバルに発生している問題とつながっていると気づいて驚きました。これから、もっと勉強して、こういう問題を解決したり、日系人を助けたりする仕事に就きたいです」

「ありがとうございます。県内には、日系人の方々が多いですからね。コメント用紙も楽しみに読ませていただきます」

「何か彼らを見る目が変わった気がする。今日は、今まで受けた中で、一番勉強になった授業でした。ありがとうございました」

「こちらこそ、熱心に聞いていただき、ありがとうございました」

「先生って、ゼミとか持たないんですか?」

「私は非常勤なので、ゼミは担当できないんです」

「そうなんだ。先生の授業面白いから、ゼミがあれば入りたかったのに。後期は授業ある?」

「はい、アメリカ政治をやりますよ」

「絶対取ります!」

「お待ちしています。お名前は?」

真田小花さなだちかです」

「真田さんですね。覚えておきます」

 この仕事を選んで良かったという思いが、身体の底から強烈に突き上げてくる。真田小花は、待たせていた友人と一緒に、軽やかな足取りで教室を出ていく。トレーナーにハイライズジーンズ、スポーツメーカー製のリュックが似合っている。引きしまった体型は、普段から運動している人のそれを思わせる。

 彼女の提出したコメント用紙に目を通すと、子供のときから見てきた日系人とのトラブルが赤裸々につづられ、学ばされることも多々あった。最後の行に差し掛かったとき、思わず目が止まる。

「後ろの席のうるさいおばさんたちを外に出してほしいです」

 不快だが放置しようと思っていた。だが、他の受講者の迷惑になっているとわかると、そうはいかない。いずれ彼女たちと話をしなくてはならない。

主要参考文献
梶田孝道『統合と分裂のヨーロッパ』(岩波新書、1993)
梶田孝道『新しい民族問題』(中公新書、1993)
上毛新聞社『サンバの町から 外国人と共に生きる 群馬・大泉』(上毛新聞社、1997)
内藤正典『ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か』(岩波新書、2004)