共通項で繋げたかった。
先輩との共通項なんて「そのモノ」と「嗜む理由」だけだった。
嘘。無理やり共通項にして、それをどうにか俺と先輩とを繋ぎ止める糸にしたかった。ただそれだけ。
5%の缶チューハイで酔えるほど先輩は可愛らしくはなかった。
それでも酔いたかったのか、いつも9%のアルコールを無理やり体に流し込んでいた。美味しくはなさそうに。君は呑まずに生きれるといいよ、なんて乾いた笑いを零しながら。
そんな先輩はたまに電話をくれた。
今日も3コール目で「もしもし、」と返す。
「もしもぉし、おつかれ。」
先輩が電話をくれるのはいつも酔った時だった。
酔いが回った柔らかな声が僕の耳を包む。
「先輩、また呑んでますよね。」
「呑んでたら駄目なの?」
「別にそうは言ってませんが。」
「じゃあ良いってことで。」
「どうせ酔ったからかけてきただけでしょう。」
「ご名答!さすがだねぇ。」
ケラケラと笑う先輩は可愛らしくて、でもどこか悲しそうだった。
「なんで先輩はいつも酔った時にしかかけてこないんですか。」
「やだなぁ、酔った時にかけられるからかけてんのよ。」
そんな先輩は、俺の心を掻き乱すのが得意だった。
「それ、どういうことですか。」
「そのまんまの意味。樹くんはさ、どんな私も受け入れてくれるじゃん。」
「いやまぁ、そうですけど。」
いつもみたく酔った先輩も、憂いを帯びながら煙を口から吐き出す先輩も、元彼氏に振られたと言いながら泣きついてきた先輩も。
どんな先輩も先輩だから許容できた。
いや、俺が受け入れたかった。
「そうですけど、先輩だからこんな電話も付き合うんですよ。」
「へぇ、ありがとう。私はいい後輩を持ったもんだね。」
「俺、先輩が、」
「樹くん。」
先輩は俺の言葉を遮るように名前を呼んだ。
「もう、電話やめようか。」
「え。」
「電話、やめよ。てかもうかけない。」
「なんで、ですか。」
イヤホンの奥からカチッと音がして先輩の深い呼吸音が続く。
「じゃあ、先輩が。何?次が言える?」
「先輩が。先輩、が。」
何故か次の言葉は喉の奥で絡まって重くなったまま出てこなかった。
「勢いで言うもんじゃないよ。そういうのってさ。」
ゆっくりと吸って、ゆっくりと吐く息が聞こえた。その場に居ないはずなのに香りが鼻を纏うようで、俺は鼻を啜った。
「雰囲気とか、その場のアレとか。自分の感情だけ突っ走っちゃうんだよね。」
いつもみたく乾いた笑いを零しながら先輩は話していた。
「樹くんはさ、そういうタイミング的なやつを大切にしなよ。樹くんはもっとこう、自分を幸せにしてくれる人を見つけて。」
言葉を出そうにも出せなかった。
今の先輩は声は酷く優しくて、きっと、きっとこれは気の所為だけれど、どこか涙を含んでいたから。
「良い人見つけたら教えてよ。その時はお祝いでもしてあげる。」
「じゃあね。樹くん。ありがとう。」
「まって、先輩。」
帰ってくるのは沈黙だけで、やっと絞り出した声は届かなかった。
心に空いた穴はどうやって埋めればいいのか。そんなのまだ分からなかった。
重い足取りで向かったのは徒歩3分とところにあるコンビニ。ふと付けたスマートフォンのディスプレイには01:06と記された。
気だるげな店員の気持ちの籠っていない「らっしゃせー」という言葉に軽快な入店音が続く。
店内の冷蔵庫を開けると冷気が零れた。9%と印字された缶を手に取りレジへ進む。
「えーっと、807番のタバコください。」
タバコを買うのは初めてだった。頼み方なんて分からなかったが、確か番号を伝えた方が店員に親切だとかなんだとかTwitterに書いていた気がして番号を伝える。
「こちらですか。」
「あ、はい。それです。」
ニコリともしない店員から目の前に出された緑色の箱にはラクダの絵が乗っていた。
お会計を済ませて外に出る。足早に家に帰り、ビニール袋からお酒とタバコを出した。
ベランダに出てフィルムを剥いで中のタバコを取り出した、ところでライターが無いことに気づく。
「あ、。」
再度3分歩き、店内に戻ってライターを購入した。店員は相変わらず無表情だった。
今度は走った。早く吸いたいとか早く酔いたいとか、そんなことじゃなかった。
カシュっとプルタブを開け美味しくもないアルコールを胃に流し込む。
ベランダに出て火をつけ、1口吸って息を吸い込むと勢いよく噎せた。
「まず。」
口の中にはアルコールと苦味が残った。先輩はこれが好きだったのか。いや、違う。
もう1口吸ってみる。やっぱり噎せる。
「俺、先輩のこと、好きなんですけど。」
言葉と一緒に零れたのは涙で、止まることを知らないように溢れていった。
「なんで、俺じゃ駄目なんですか。」
タバコを片手に、もう片手には缶チューハイを持ってしゃがんだ。
現に今俺が吸っているタバコも先輩が好きなものじゃなかった。先輩の元彼が吸っていたタバコだ。
『先輩、タバコ吸うんですね。』
『んー、まぁたまに。』
『美味しいんですか。』
『まさか。美味しいわけないじゃん。』
『じゃあなんで吸うんですか。』
『えー?それ聞いちゃう?女の子にはよくある理由だと思うけど。』
『え。元彼の影響的な?』
『ご名答〜。さすが樹くんだねぇ。』
いつもみたいに先輩は笑っていた。
でもタバコを吸う先輩はいつも悲哀に満ちた目をしていた。
元彼氏のことを懐古しているのだろうと勝手に思った。
アルコールを体に入れ、煙を肺に入れる。繰り返すうちに、気づくと上手いこと呼吸はできるようになった。
俺は、ずっと副流煙が闇夜に消えていく様子をぼうっと眺めていた。
あれから先輩と会話をすることはなくなった。
月日はあっという間に流れて、今年の春に先輩は卒業した。
俺も3年になった。12月には適当に就職活動を始めた。
「おつかれ。」
「うぃー、おつかれ。」
カンッとジョッキがぶつかる。
「就活どう?」
「どうかね。まだ分かんないね。」
「まだ12月だもんな。いけるいける。」
「そういうこと。あ、タバコ吸っていい?」
「え、樹って吸ってたっけ。」
「まぁ、1年前ぐらいから。」
「へー、意外。」
久しぶりに会った友人は何故か少し頬を緩ませながら焼き鳥を口に運んだ。
タバコに火をつけ息を吸い込む。
副流煙で友人の顔が一瞬霞んだ。
「なんでタバコなんか始めたの。」
「なんかまぁ、気分かな。」
「よくある元カノがなんとやら、とかではなくて?」
「まさか、」
思いがけない言葉に、つい失笑をした。
「そうだよな。樹に限ってな、そういうのなさそうだもんな。」
「当たり前じゃん。」
ケラケラと笑いながら黄色の発泡酒に口をつけた。
「また飲もうな。」
「うん。またね。就活頑張って。」
「樹も頑張れよー。」
お互いスーツ姿のまま帰路についた。
帰り着くとベランダへ出てタバコに火をつけた。
「はぁ。まず。」
ポツリと呟いた言葉はどこにも響かなかった。
白いものを吸って吐いているのにいつの間にか肺は真っ黒で、先輩がいつも吸っていたであろう味が舌に残った。
先輩が今どこでどうやって生きているかなんて知らないが、今先輩が幸せに生きているのならばそれでいいやと思えるほどにはなっていた。
いや、そう思うしかなかったのかもしれない。
「レポート、書くか。」
副流煙を置いて俺はまたリビングへ戻った。
先輩のタバコの香りを纏わせて。
この香りを先輩に見立てて守護神にでもしてやろうかなんて考えながら、俺は今日もパソコンを開いた。ラクダが描かれた緑の箱をデスクに置いて。